平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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久しぶりで武術や身体のことについて話しました

久しぶりに電話で話しました。どなたと話したのかというと、かつて、古武術の稽古で時々ご一緒した方です。私より二回りは若い方ですが、とても意欲があり、身体もあり、ガッツもある、とんでもなく強い方です。

 

色々話しましたが、その中で共鳴できる所がありました。共鳴というべきか共感と言うべきか、表現が難しいですが、古武術をする中で、疑問に思う部分についてのことです。古武術、いや、武術や格闘技全般を通じて言えることですが、怪我の問題があります。立ち会い、組手、試合、という試技の中で、必ず怪我をします。そしてその怪我は間違いなく後を引きます。

 

その方もかなり大きな怪我をされ、復帰するのにとても日にちがかかったと言われました。聞いた所では本当に危ない怪我で、もし私が同じ目にあった場合、復帰することができただろうか、と思えるほどのものでした。

 

私自身もあちこち怪我をしています。単に武術の稽古によるものだけではありませんが、腰をけっこう痛めてます。発症のきっかけは、本当にちっぽけなものでしたが、何故か治癒せず、それどころかどんどん症状が酷くなっていきました。

 

それを如何に治していくか、いや、治すというより身体の他の部分を使いながらカバーしていけるか、そういった課題に取り組むことが重要だと思うようになってきました。痛めた部分を直接治療することに努めるよりも、身体全体を見ながら、歪んだ積み木細工をどのように組み立て直すかという課題が大きいのだと気づきました。

 

また、名高い武術家が意外に若くしてあっさりと亡くなられてしまう、ということも教えてもらいました。そういった訃報は私も時々聞きます。若い時に痛めたキズは必ず加齢と共にひどくなることがある、これは私の亡父もよく言っていたことです。

 

自分の中で最近感じることがあります。武術の稽古は大事、それは無論だが、健康の維持、増進という部分はそれと同等、いやひょっとしたらもっと大事なことなのかもしれない、ということです。

 

無事これ名馬なり、これは真実ですね。ところが、このシンプルな真理をきちんと受け止めることの出来ている人は意外に少ないものです。過飲やムリがたたって簡単に命を散らす人が大勢います。時には意地を見せるために、虚勢を張ることで故障の治療が手遅れになる、ということさえあります。

 

精神、身体、修行、健康、栄養、休養、そういった要素を過不足なく、そして敵を作らないということも大事なのかもしれません。自分なんか丸でダメですね。まだまだ全体的な修行が足りません。人生すべからく、これ、修行です。道はまだまだです。今日も寝る前に少し身体を整えてから寝るようにします。

 

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