平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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警察を信用しない、その理由は・・・

彼らは魂を売っている。残念ながら、警察官になったという時点で、人間ではなくなるということだ。警察官の諸兄、諸姉には申し訳ないが、断言させてもらう。もうそろそろこれくらいの断言はよかろう。私も長年、人生を紡がせてもらった。

 

過激派でも何でも無い。よく勘違いされるのだが、私は、警察からひどい目に遭ったことがある。それを言っただけで、誤解する人が多い。お前が悪かったんだろう、とか、何か悪いことをしたんだろう、とか、不思議なことにストレートに、一体何があったんだろう、とノーマルに疑問を持つ人が少ない。

 

小さなデモに参加したことがきっかけだ。ごくごく平和的なデモだった。小さな子供連れもいれば、車椅子の参加者もいる。キリスト教の牧師もいれば、在日韓国人もいれば日本人もいる。実に多彩な集団だった。女性の姿も多かった。たかだか40人か50人のデモ。警察本部の前で抗議デモをしていた。抗議のテーマは説明が煩雑なので省略する。もう随分前の話だ。

 

私は先頭にいた。警察本部の前で先頭で抗議していた訳だ。なぜか機動隊がワンサカいて、本部玄関に集合していた。実に奇妙な光景だった。こんな平和的なデモに対して、あり得ないものものしい風景だった。私達が抗議の声を上げていると、突然、機動隊の指揮官から、「かかれー!」という声がかかった。とたんに、機動隊の隊員たちが私達に襲いかかってきた。

 

真っ先に、私に向かってやってくる。5人も6人もの機動隊隊員が私1人に対して取り囲むように集合した。大勢の機動隊隊員に囲まれて保持され、身動きができない。私を路面に押し倒そうとしていた。そこまでで記憶は途切れている。

 

周囲で見ていた人の話だと。私が路面に後ろ向きに倒れ、頭部が路面のコンクリート面に接触しようとする瞬間に、1人の起動隊隊員が私の側頭部を、丸でサッカーボールを蹴り上げるような勢いで蹴り飛ばしたそうだ。その一撃で私は昏倒、失神し、白目を剥いて泡を吹くような状態で路面に上向きに倒れた。その倒れた頭部の顔をめがけ、今度は、同じ足で、私の顔面に全体重をかけ、足裏を振り下ろし、打撃を加えた。後に知ることになるが、これは、日本拳法の「踏み抜き面」という技の一種。相手を死に追いやる威力のある技だ。

 

正にこの後、私は「死んでいた。」蘇生するまでの時間は、周囲の動きや様相から見て、5分ないし10分は経過していたと想像している。側頭部からかなりの出血があり、私自身は、一体何があって道路に上向きで横になっているのかが丸で分からなかった。今どこにいて何をしているのかが、分からなかった訳だ。

 

起動隊隊員の靴は戦闘靴で、先に鉄板が入っているという話を聞いたことがある。鉄工所で使う安全靴のようなものだろう。その鉄板入りの靴で思い切り蹴られたのでは、いくら頭の固い私でもやられてしまう。その上、足裏を使って思い切り踏み降ろして打撃を加える。明らかに相手、つまり私が死んでもいいという前提での攻撃だ。

 

殺害意志のあるなしに関わらず、これは殺人未遂行為であり、明らかな犯罪である。救急車が呼ばれ、私は救急病院に連れて行かれ、処置をされた。8針縫う裂傷だった。乱暴な処置だった。ダラダラ血が顔に流れ落ちてきたことを良く覚えている。レントゲンを撮ったのかどうかについては全く記憶がない。帰宅したのもどのように帰宅したのかが分からない。帰宅してから約2週間、全く起き上がることが出来なかった。朦朧とする感覚で、その時、連れ合いは、もうこの人は植物人間になってしまうかもしれない、などと考えていたらしい。

 

幸い、頭が人より固かったのか丈夫だったのか、とりあえず傷は治った。後遺症として、ムチウチ症候群としつこい頭痛は残った。未だに不全感は残っている。本当にひどい目に遭ったものだ。

 

むろん、何の補償も無い。警察側は一切、非を認めない。残念ながらビデオのような録画の証拠も無く、あるのは周囲で目撃していた人たちの証言のみ。結局泣き寝入りで終わってしまった。

 

これは殺人未遂という明確な犯罪だが、こうした越権行為、暴行などは、実は警察によって数知れないほどの件数がある。私の体験はその内の単なる一つの事例に過ぎない。

 

警察官の全てがこうした人間たちだとは言わないし言えない。中には優しい人もいる。いろんな設定の中で、とても世話になる、という局面もむろんある。しかし、基本的に警察というのは、越権行為をしがちな部署であり、過ぎた暴行が発生しやすい所でもある。その過ぎた暴行の犠牲になったのが私だ。

 

こうした体験をして尚、まだまだおかしな話が警察との間で起きてしまう。つくづく相性が悪いようだ。たまたま傷害強盗の現行犯を目撃し、その犯人を民間人逮捕(私という民間人が犯罪者を逮捕するということ)したにも関わらず、その後の警察と検察(なぜか担当刑事から、ともかくお願いしたい、でないと立件ができません、などと頼み込まれた)に行ったときの話。あまりにバカバカしすぎてもう書くのがいやになったので、この件は説明を省略。

 

ともかく、ろくなことがない。警察は基本的に、魂を売らないとできない商売のようだ。

 

ここで思い出したことがある。昨年の12月10日のブログ記事に関連する。

 

hirayamax.hatenablog.com

 

この中のアンドレア・ノアックという人がショットガンを持った警察官に連行されるシーンが動画で掲載されている。実に生々しい動画。この方はその後、死亡したという情報があるのだが、その死亡の原因、経緯が全く知らされていない。非常に奇妙な説明だった。

 

ずっと不審に思っていたのだが、つい最近、情報が入った。ネットから知ったのではなく、私の友人のそのまた知り合いの人が、何らかのルートで情報を得たという。この方は、連行されて間もなく、ひたすら暴行を受け続け、その果てに死亡したのだという。その事実を知った奥さんの悲哀を想像すると胸が痛む。

 

1933年に拷問によって殺された小林多喜二という作家がいた。この人と同様の方法で殺害されたのだということが分かる。こういった殺害を、世界中の警察が行っている。日本だけではない。残念ながら、警察という組織は、えてしてこうした方向へ暴力を振り向けてしまう。基本的に、武器を大量に所蔵している時点で、どうしてもその能力を試したくなってしまうのだろう。人間とは本当に愚かな生き物だから。

 

ともあれ、既に魂を売ってしまった警察に対しては、人間と思わない方がよいようだ。対抗するにも、こちら側が武器を持たないといけないことになる。そうなると相手側は、法律という後ろ盾で、取り締まることができる。とりあえず、自分の身体を武器化しておくことがある程度必要かもしれない。焼け石に水だろうが。

 

とりあえず、殺されることは全く怖くない。人間は死んで終わりじゃないと知っている。私を殺したい人間がいるかもしれないが、それはそれで、どのようにアプローチしてくるのか観察してみたいものだ。人を殺すより、自分を生かすようにする手法を学ぶほうが、どれほど建設的か分からないが、人間は得てしてそうした良法を理解できないようだ。もったいない話だ。