平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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鉄板がつま先に入っている戦闘靴で、頭を蹴り上げられる・・・

鉄板がつま先に入っている戦闘靴によって、機動隊から頭を蹴り上げられる・・・

 

これは、とても長い記事なので殆ど読まれないでしょう。かまいません、自分の記録のために残します。ざっくばらんに書いてみます。

 

警察の機動隊から暴力行使を受けたことがあります。1985年5月2日。当時の私は30代前半。

 

最初に、簡単な経緯を。

 

誤解の無いように先に記録しますが、ごく平和的なデモで、車椅子で参加する方、母子二人でも参加、多数の子供たち、米人宣教師などが参加する地元市民による手作りデモの中で起きた事件です。在日韓国人が参加し、多くの日本人も参加していました。比率は分かりません。私の友人で、外国人登録法で義務づけられている指紋押捺を拒否した方がおられ(むろん在日韓国人です)、逮捕されるかもしれない(逮捕者が当時複数人出ていました)ので、抗議のためにデモをする、当日時間が空いていれば来て欲しい、と頼まれ、引き受けました。それほど大人数ではありませんでした。50人前後だったと思います。

 

当時、外国人のために指紋押捺制度がありました。外国人と言っても、主に在日韓国人のための制度と言えます。今ではむしろ在日中国人の方が多くなってきてますが、当時は在日韓国人朝鮮人が在日外国人の約8割を占めていました。5年毎の指紋押捺制度が在日外国人に義務づけられていましたが、日本人には指紋押捺制度が無いことから、抗議する声が上がり、指紋押捺を拒否する方が増えてきました。実態としては、ほぼ在日韓国人朝鮮人を保安対象と見た前提で作られた制度が指紋押捺制度でした。今回、私は機動警官から暴行を受け負傷しましたが、このような行為は在日韓国人への弾圧的行為の一貫だと想像しています。以下のサイトの「外国人登録法の運用実態」という項目に、警察の在日韓国人への対応が書籍からの引用抜粋で示されてます。

 

外国人登録法 | key-j

 

一番最初に指紋押捺拒否の声を上げたのは、韓宗碩(ハンジョンソク)という在日韓国人で、1980年9月に第一号としての指紋押捺拒否を行いました。続いて1981年にピアニストの崔善愛(チェソンエ)が指紋押捺拒否を行いました。留学に際し、指紋押捺拒否を理由に再入国不許可とされました。この件、及びその後の経緯については、以下の記事で明らかにされてます。

 

在日新世紀・新たな座標軸を求めて 21 ― 平和と人権のメッセージ 音楽に込めるピアニスト 崔善愛さん ― | 在日社会 | ニュース | 東洋経済日報

 

以来、次々と指紋押捺拒否運動は広がり、抵抗運動が続き、2000年にすべての外国人に対する指紋押捺義務が無くなりました。

 

ここから私自身への暴力被害の記録になります。デモの出発地点は覚えてません。小さな子供も参加してましたから、それほど遠い所ではないと思います。大阪城公園の近辺だったかと。多少離れた所の生野区区内だったかもしれません。(到着予定場所は大阪府警本部でしたから少し遠くなりますが)

 

最終到着場所の大阪府警本部玄関前で、皆で抗議を続けました。シュプレヒコールによって抗議の意志を示すことと、抗議文の受け取りを拒否されたので代表団が抗議文を読み上げた、ということの2点です。この行動に対して、いきなり、機動隊指揮官の「かかれー!」という号令を合図として、デモ参加者に対して機動隊が襲いかかってきました。(ここからの記述は、様子を観ていた人の証言による記述が主となります。私は途中で完全に意識を失いましたので。)何カ所かで一人ずつに対して複数の機動警官が取り囲み、それぞれに逮捕を目指していたようです。逮捕者は2名、でました。公務執行妨害罪及び障害罪容疑で逮捕ということになっています。さらに、車椅子で参加した方の車椅子が彼らの暴行によって破損させられています。(その賠償等については不明です)そして私に対しても、複数の機動警官が取り囲み、私の体を車道に仰向けに押し倒した所を、すかさず横から丸でサッカーボールを蹴るように私の頭を蹴り上げました。その一撃で私は既に完全に意識を失っています。さらに蹴り上げた後、同じ機動警官か別の機動警官か不明ですが、私の顔面を戦闘靴で靴型のアザができるほどに強く踏みつける、という暴行を加えました。その結果、私は完全に意識を失った上、白目を剥き、口から泡を吹くような状況となっていました。意識を失った時間は不明です。側頭部に8針縫う裂傷を負って倒れている私の回りを、機動警官が取り囲み、救急車を要請する仲間の声に対して、なぜか「その必要はない」という発言があったとのことです。私自身は、先にも書いたように、頭を蹴り上げられた時点で完全に意識を失っています。私は負傷によって、かなり出血したらしく、誰かが頭に手ぬぐいを巻いてくれてましたが、出血が止まらないので結局、機動警官も包囲を解いたようです。頭を戦闘靴で蹴られてから、仰向けで寝ている状況で意識を取り戻すまで、正に私は「死んで」いました。完全にその間、記憶が欠損しています。意識喪失から目覚めたとき、正に、ここはどこ? 私はダレ? 道路に寝っ転がって私は一体何をしてるの? というような様相でした。その後、間もなく救急搬送されました。後日談ですが、手当をしてくれた外科医?の処置が大変乱暴で、8針縫う間に、頭から血がダラダラ顔面に首元に流れ落ちてきたのをよく覚えています。麻酔をされたかどうかは覚えてません。結局、帰宅後、2週間ほどはまともに起き上がれず、私はもう少なくとも植物人間になるんじゃないか、と言われたものです。幸い、頭が固かったせいか、一応今も人間稼業をやっています。但し、後遺症は残り、ムチウチ症と、脳内での不自然な脈動(力んだ時などに起きる不自然な脈動が、何故か蹴られたのと反対側の方に出る)が40年近く続いています。最近になってようやく少しだけ収まってきてます。頑丈な体に生んでくれた両親には本当に感謝しています。ただ、人間の運命とは本当にほんのわずかな掛け違いで分かれ道が生まれるものです。蹴られた箇所がコメカミからわずか5センチずれたおかげで致命傷となりませんでした。コメカミを蹴られたとしたら、死亡もしくは植物人間になっていたかもしれません。そして、その後生まれるはずの子供も生まれなかったということになります。人間の運命の不思議という他ありません。

 

ここで一つの疑問を呈示してみます。

 

私たちデモに参加した人たちは、暴力集団ではありませんでした。単に指紋押捺制度に対する反対の声明を出しているだけです。逮捕されそうになっている人のために、口頭で、書面で抗議しているという集団でした。そこへ、いきなり機動警官が襲いかかり、むりやり二人を引っ張っていって、さらに勝手に罪名を付けて逮捕し、私の場合は、ありえない暴力行為、鉄板の入った戦闘靴で頭を蹴り上げ、なおかつ、顔面をアザが残るほどに踏みつける、という暴力を犯しています。車椅子で来られた方は、その車椅子がひしゃげて壊れてしまいました。それほどに暴力行為が著しかったということです。日本の法律で言うと、機動警官側は特別公務員暴行陵虐致傷罪という犯罪です。当時は、スマホも無く、動画の記録も残っていません。目撃証言だけです。警察が積極的に自らの犯罪を白状するはずも無く、自供するはずもありません。なので、結局、暴行を受け、怪我を負った私は何の補償もありませんでした。結局仕事も出来ず、2週間寝たきりで動くこともできませんでした。とりあえず回復できたのは不幸中の幸いだったという他ありません。

 

この時に感じたのは、警察側に、在日韓国人の団体グループによるデモということで、差別感があったのではないかという疑義です。実は、在日韓国人朝鮮人に関しては、警察は基本的に保安対象として見る向きがある、ということをよく聞いていました。犯罪者だという前提で在日韓国人朝鮮人に対応している、ということです。1985年と言えば、まだまだ差別感が強く残っていた頃です。今でもあまり変わりはありませんが、表だって差別をする、ということは次第に無くなってきてはいます。しかし、日本では、まだまだ在日外国人、特にアジア人に対する無意味な差別感を持っている人がいます。むろん素晴らしい日本人も多く、私の古い友人たちは、そのような時代遅れの差別意識などありません。でも、残念ながら、多くの日本人の中では、昔ながらの在日外国人、特にアジア人、韓国人朝鮮人に対する差別感情は無くなっていません。特に警察では、在日韓国人朝鮮人を保安対象として見ることを教えられている、ということまで聞いたりしています。外国人登録法自体の根幹がそのような姿勢になっている、との指摘もあります。実際の所、それを証明はできないのですが、伝聞として、よく伝わってきます。例えば、私自身の体験ですが、以下のようなことがありました。

 

私が20代後半くらいの時に、運転免許証の更新のため、門真の運転免許試験場に行った時です。すごい行列で、並んでいました。やっと自分の番が来たときに、書類を出すと、係官が無愛想な声で、「外登(がいとう)出して」と言います。外登というのは、外国人登録証の短い言い方です。その時、あいにく持ってきていませんでした。持ち歩くという習慣がありませんでした。一応常時携帯義務というのは知っていましたが、あまり真剣に受け止めていませんでした。「すみません、今日は持ってきてません。」と普通に言うと、そこから大騒ぎになりました。

 

「なにー? 持ってない。アホかお前は。いつも持っとかなあかんことくらい分かってるやろ。今すぐお前が韓国に強制送還されても文句言われへんねんぞ。それくらいのこと知っとるはずや。何考えとんのやお前は!」大行列の大集団の中でこういった罵声を延々と繰り返されました。さすがに常時携帯義務違反で強制送還は無いのですが、まだ若かった私は、何も言い返せず、実に悔しい思いを味わいました。おそらく、こんな人ばかりではなかったと思うのですが、中にはこういう意地の悪い人もまだまだいたのですね。法的には確かに、当時は一律に外国人登録証の常時携帯義務が課せられていて、常時携帯しなかった場合は、一年以下の懲役、それに罰金(当時の罰金額は調査してません)を問われる、ということになってました。さて、この件を初めて知った方で、驚かれた方はいませんか? 驚かれ、ひどい話だと思われる方は、少なくとも私の友人となれる人です。でもあまりにも多くの人が、法律で決まってるから当たり前だ、と考えます。この現実には本当にいつも愕然となります。

 

外国人登録証(当時は冊子型でした、今はカード)を携帯しないだけで、一年以下の懲役? 罰金? そんなことがあるんだ、これってひどくないか? と普通に驚かれるのは、今の所、沖縄だけです。内地と呼ばれる沖縄県外では、普通に、法律でそう決まってるんやったら従えよ、という感覚の人が多いのです。むろん、内地でもそうではない人もいます。それはおかしいだろう、とんでもないことだ、と沖縄の人のように分かってくれる人が大勢いる地域もあります。大阪市の生野区はそういう認識の日本人も大勢います。ふだんの在日韓国人との付き合いも多く、当たり前に交流しています。私の友人はそういう人ばかりです。でも残念ながら内地では全体として、理解できる人は少ない・・・

 

学生時代にもショックだったことがあります。大学の下宿(寮形式で中々素敵なバンカラ下宿でしたね)で同級生と話したことがあります。ふつうに話しました。

「オレ、日本で生まれて日本で育ってる。学校も日本の学校。日本語しかしゃべらんし、韓国行ったことない。韓国語もしゃべられへん。で、税金もふつうに日本人と同じように取られる、せやけど選挙権は無い。おかしいとおもえへんか?」(ふつうにびっくりされ、同調してくれると思ってましたが・・・)」

「・・・お前、韓国籍やねんな。」

「一応そういうことになってる。国籍は韓国」

「そしたら外国人やねんな。」

「まぁ形の上でそうやな。」(少し不穏な雰囲気が伝わってきます)

「外国人やったら日本の言うこと聞くのんが当たり前やろ。いややったら国に帰ったらええんとちゃうか?」

「・・・え?」

これ、法学部の学生なんですね。私が日本で生まれ育ってることも韓国へ行ったこともないことも言ってあるのに、日本の言うこときかれへんかったら国へ、韓国へ帰れと言われました。え?っと本当に固まりましたね。

 

でも、本当にこういうことをけっこう言われました。最近はこういうことを聞き飽きたのであまり尋ねることもありません。でも、沖縄に来て同じことを言ってみたところ・・・

 

「え? 平山さん、日本人とちゃうの?(沖縄では外国人差別が無いので 平山栄一で通してます、その方が分かり易い)」

「はい、日本で生まれ育ちましたが、韓国人です。いわゆる在日韓国人という形です。」

「ふ~ん、平山さんは日本人やない・・・韓国人・・・なかようしようや~!」

 

というのも普通にあります。それまでは私を内地の人、日本人と思い、私に少し冷たく当たっていた人です。それが、私が韓国人と分かった途端に上のようになったわけです。いきなり握手を求められたものです。これは、内地では全く無かった反応。沖縄は韓国、朝鮮とは仲間だという感覚があるようです。同じように差別され続けてきましたから。

 

またこんなことも。さっきの法学部の学生に言ったのと同じ事を、沖縄で聞いたときの会話です。

 

「日本で生まれて育ってるし、学校も日本の学校、日本語しかしゃべらんし、韓国行ったことない、で、ずっと日本の税金取られてるけど、選挙権無いんですよ。」

「え? 選挙権無い? 税金払ってるのに?」

「はい。」

「・・・そら考えられんわ。ずっこいな。」

 

普通にこう返されます。複数の人に聞きましたが、みな同様のお返事でした。何だか落ち着きますね。同じ感覚でいてくれたんだという安心が伝わってきます。内地に住む多くの日本人はもう少し考えてほしいと思います。沖縄の人のような対応を見習ってほしいと。

 

念のために申し添えますと、私自身は、自分が韓国人であるとか朝鮮人であるとかについて、何の自意識も愛国心も民族意識も全くありません。たまたま、国籍が韓国、生まれが韓国人、もしくは朝鮮人なだけで、基本的に私は日本でたまたま生まれた日本市民だという認識でしかありません。大体、国という入れ物自体に何の意味も無い。日本人として愛国心を持つ? 韓国人として愛国心を持つ? ならば半分半分はどうなるの? みっつよっつ混ざってたらどうなるの? それでもどっかに決めといて愛国心持つの? 私には理解できないんです。前にも書きましたが、大阪で知り合った子供。学童保育所によく遊びに来てた子供、完全なネグレクトでほったらかしでした。お父さんがアル中の日本国籍。お母さんはスナックの・・・何て言うんでしょう。女給、いや古い、ホステス? コンパニオン? ・・・の韓国籍。私生児という言葉もバカバカシイ、つまり婚姻外で生まれた子供。お母さんは経済力がないので、お父さんと奥さんとに引き取られる。愛情皆無。完全にネグレクト。食べ物すらまともに与えられない。悲惨な幼児期少年期を送ってた。何とかしよう、地元の人間たちで頭をひねり、里親制度で親が立候補、そして、もう一人重度の知的障がいの子供と二人、グループホームを作ってもらい、そこで育った。立派な職人になり、独り立ちした。結婚もし、お世話になった人を皆、招待した、皆涙を流して喜んだ。私も泣きまくった。で、彼は愛国心、どこの国に持ってる? そんな話聞いたことない。必要無い。世話になった人に対する信頼はあっても、国に対する信頼なんてみじんもない、意味もない。立派に育った、それで充分。そうじゃありませんか?

 

実は、親ともよくケンカしましたね。先祖に誇りを持たないといけない、とよく言われました。族譜(チョッポ)という家族の系図を韓国で父がもらってきたらしく、あまりにも素晴らしい系図に感動し、自分はすごい格式ある先祖に繋がってるのだと言い出した。私は全く興味がなく、そして、その系図を全く信用しませんでした。多分詐欺だろう、お金で売ってるのだろう、そう思ったんですね。よくある話です。でもあまりにそれを言うと、父も悲しむので言えませんでした。今でも信用してません。本当なら本当でも、それでも何の意味も無い。そう考えています。

 

タカが人間、タカが人類。生まれが良い? 貴族の生まれ? 誉れある武家の生まれ? 王族の生まれ? いや、アンタは奴隷の生まれだよ。お前は士農工商穢多非人の非人が先祖だよ。それらが万一本当だとしても、それが価値あることなの? 恥ずかしいことなの? 何の意味もありません。最も重要なのは、いかに人の幸せを願うことができるか、いかに自分より苦しい弱い立場にある人に思いを至らせることができるか、少しでも何か役に立つことができるか、少しでも子供たちのダイヤモンドの微笑みを作る手伝いができるか、そういうことだけが大事なことじゃないですか? それ以外、何百億、何千億のカネがある、地位がある、名誉を持ってる、でっかい家がある、ロールスロイスにのってる、などなど、本当に一体何の意味があるんでしょう? 私には全く分かりません。

 

書いている内に何だかずいぶん文だけ長くなってきました。一体私は何を書いていたのでしょう? あ、そうだ、機動警官から頭を蹴り上げられ顔面を踏んづけられた話でしたね。これとて本当に下らないことでした。危うく殺されかけたのですが、考えてみれば、今まで何度も死にかけた、その内の一つに過ぎません。人間っていつ死ぬか分からない、事故で? 病気で? トラブルで? そう言えば、私は1才か2才の頃に家の近くの池で溺れ死にしそうになりました。目の前の世界がどんどん暗くなり、もう少しで暗闇に落とし込められる寸前に、一緒にいた親戚のお姉ちゃんに引っ張り上げてもらって助かりました。お釈迦さんの手のようにものすごく大きい手でしたね。人間、どうしても死なないときは死なない、死ぬときは簡単に死ぬ、あれこれ考えていても何の足しにもなりません。

 

世の中の不条理とは際限が無いものです。私が何の落ち度も無いのに、機動警官から頭をサッカーボールでも蹴り上げるかのように蹴られてしまう、おまけに戦闘靴で顔面を思い切り踏みつけられる、そんなことも稀に起きてしまうのが人生なのですね。いや油断できないものです。自分の最善を考えながら今後も生きていくしかありません。

 

やっぱり子供たちの命と未来、この部分を貴重だと思うから、今の私は生きられてるのだと思います。命とは連続体、肉体の命ははかなくても生命体としての魂としての命はとこしえにあるものだと考えています。肉体が死んだから終わりではない、だからこそ、子供たち、これから大人に向かい、様々な知識を得て、さらに自分たちの子供をも育てなければならない、そうした道のりのバックアップをするためにも、子供たちの命と未来を大切に思わないといけない。

 

今の人類の在り方、最近感じることですが、あまりにもいびつに歪みすぎてきています。カネと安楽と自らのみの幸せ、これらを重きに置きすぎています。どこでどう踏み間違ったのか解明できません。モノスゴク頭が良いとされる者たちが必死で作戦を組んで、よし、これで大丈夫と、自分たちの究極の幸せを勝ち取れる、そう思い込んでいる人たちは、実は富と幸福の独占という邪悪の池に嵌まり込んでいます。虚偽と詐欺と隠蔽、捏造をふんだんに使いながら・・・その浅ましさはとめどありません。中々に厳しく難しい課題です。だからこそ、詐欺コロナのようなトンデモない邪悪が作られることができるのでしょう。マインドの劣化に陥らないよう、自らを顧みながら、前に進んでいくこととしましょう。やっぱり今の世の中、この部分に収斂してきます。このままじゃ邪悪な者たちによって、皆殺されますよ。「国際金融資本」と呼ばれているグループについて、一度調べてみて下さい。