平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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沢村忠さん、この春に亡くなられていた・・・

偶然、沢村忠さんが今年の3月に亡くなったということを知りました。活躍されていた時のことはよく覚えています。ただ、その頃は私自身がまだ格闘技や武術に目覚めてない時で、単にテレビを観ながら、すごいなぁ、と思ってただけでした。あまりにも強すぎ、本当なのかな、と感じるほどだったことを覚えています。八百長疑惑まで起きたほどに強く、その噂を払拭するために、本場タイのチャンピオンに挑戦した、ということは、今回の亡くなられた情報を知り、調べてみて分かりました。

 

この方のお顔は真面目そのもの、間違っても八百長なんかできるタイプではありません。でもそう思わせてしまうほどに圧倒的な強さでした。キックボクサーがそれほど育っていなかったこともあり、ご本人が強すぎることもあり、目立ちすぎたのでしょう。

 

やがて30才を過ぎる頃から、加齢による衰えを感じるようになります。これは私もよく分かります。私は単なるアマチュアですが、空手の稽古をしていて、20代後半くらいまではどんなに厳しい稽古をしても結構耐えられました。でも、30才を越えると同様の稽古をするとムリが出てくることを体験しました。脈が飛んだんじゃないか、というような感覚も体験しました。キックボクシングはボクシング以上に体力を使うと思います。手だけじゃなく足をも十二分に使い、飛んだり跳ねたりもしょっちゅうです。体力の消耗は著しいものがあります。

 

結局、当時のキックボクシング界では、看板スターが沢村さん1人しかなく、重圧が酷すぎ、身体のムリが効かなくなってきます。残酷な状況だったと思います。不満一つ言わず耐えておられたようですが、限界だったのでしょう。姿を消すことで引退の方向性に向かいました。正解だったと思います。引退の後は、格闘技界から一切縁を切り、全く違う仕事をされていたそうです。元々はシャイで真面目な方だったのでしょう。

 

本当にいい顔をされてます。子供に空手を教える道場もやっておられたようで、子供たちにも大変信頼され、人気があったようです。稽古風景を観ましたが、子供たちもとても楽しそうでした。

 

武術、格闘技、を仕事として成り立たせる時に、自分の健康を保持することと仕事との両立という難しさに直面します。沢村忠さんは過酷な対戦日程に身体をすり減らす毎日を重ねられました。比較的早い時期に引退できたのはまだ幸せだったのでは、と感じました。

 

ちなみに、単純な私は、何故かブルース・リーの「燃えよドラゴン」を観てから、武術に目覚めてしまいました。沢村忠さん全盛時はまだ武術より、バレーボールとかサッカーに夢中でした。ほんの少しの時代のズレですね。

 

懐かしい想い出です。沢村忠さんの毅然としたたたずまいは素晴らしいものがあります。少しでもあやかりたいですね。

 

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