平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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達人を目指す・・・?

「燃えよドラゴン」という映画をロードショー公開で観た人は少ないかも知れませんね。その少ない人達の内の一人が私です。

 

年齢が大体知れる所となりますが、まぁ年齢など何の意味もありません。私は今から最低30年は武術的に現役で進化し続けると勝手に決めています。むしろ若返る方向に行けるようにはしておこうと。

 

この映画を観たときは、まだまだ格技関連、格闘技関連に縁が無い時でした。ハタチに手が届くか届かないかくらいだったかな、ともかくこの映画を観てとても感動しました。同時に、動きがコントロールされていることとあまりにも速いのとで驚愕しました。後に、フィルムの早回しは一切されてないことも知り、ますます驚くことになります。

 

映画を観たあと、学校の先輩に、どこか空手の道場ないですか、と聞き、あぁ、あっこら辺にあったよ、と言われ、ソッコウ入門しました。武術未体験なのに、しぶとく道場で生き残り(としか言いようがない・・・)黒帯を取る所まで何とかがんばりました。

 

それからウン十年・・・

 

ともかくも、武術、古武術とふれあうことを続けてきています。未だに現役です。と言ってもさすがに組手、いわゆる試合形式の稽古には興味がありません。人によっては、そんなのは邪道だ、と言われるかもしれませんが、若い頃にいやという程組手稽古をしてきました。これ以上やる意味が分かりません。

 

組手稽古は必ず怪我をします。相手を害することもあれば、自分が痛むこともあります。双方ともに、何の得もありません。組手はせずとも、実は強くなることはいくらでもできます。

 

所で、若い頃から中年に至るまで、強くなる方法は何がいいのだろうか、とずっと考え、良いと思えることを実践し続けてきました。ひたすら突きや蹴りの稽古を力いっぱい、それも延々と数をこなしていくのが良いと思った時期もありました。また、同時に、身体の鍛えのために重たいものをひたすら持ち上げる、それも回数をたくさんこなす、腹筋運動などもたくさんこなす、とかいうこともやってみたりしました。

 

でも、どうしても何かしら突き抜ける、という感覚を持つことができません。ある達人と知り合うことになり、(たまたま同い年)稽古法の交流を持つ機会がありました。同い年とあって、自然に友人関係となり、今に至ってます。彼の稽古法はとても変わっていて、重い物は持たない、アホほど突きや蹴りをし続けるなんてこともしない、ただただじっと座る、腕をゆるーく振り続ける、じっと立つ、思い切りゆっくり動く、とかいうだけ、というものでした。

 

ずっと信じられなかったのですが、一年以上見続けてきて、やっぱりこれは実験してみるしかない、と心に決めて始めた稽古があります。彼に勧められた通り、正座合掌30分、スワイショウ30分、これをとりあえず毎日する、それだけです。仕事もあるのでそれ以上の稽古は中々できませんでした。合間を見て他の稽古を少し加えるくらい。

 

で、ともかく半年続け、密かに対人稽古で検証した所、実に驚くべき結果が出ました。詳細は書きません。自分の感覚の中で信じられないほどの進化がある、ということが分かったのです。

 

以来、この稽古は続けてます。正座合掌はどちらかと言えば苦手で、少しサボり気味ですが、様々に変化した稽古があり、それもまた続けてます。最近の自分の中での流行は四股踏みです。

 

それもかなり独特の四股踏み、これもまた説明が難しいので内容は省略。毎日ともかく2000回します。あと1,2ヶ月ほどで半年経過となります。一年続ければ、自分の中の可成りの部分が変わってくるだろう、と予見しています。

  

ヒントは、緩やかな動きと、少しハンパない回数と時間を確保するということ。と言ってもフーフーハーハーは不要。慣れたらとても快適になるというもの。禅問答のような話ですが、本当です。健康と達人への道が同時に開かれるものと確信しています。