平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

人生の様々な側面を表示します メール keitaisan@icloud.com 

コオロギ食? 本気でやりたい?

 

こういう発信を見ると、普通に直観や常識で、コオロギなんて食べられる訳ない、と思えそうなものですが、政府からテレビからは当たり前のようにまだごり押しがされてるようです。上に載せたこんな動画情報を見ても、コオロギ食べたいと思える人の感覚が分かりません。人間って洗脳に弱い生き物なんだな、と最近よく思います。

 

そう言えば、私の体験から言えば、つるむということができない人生を続けてきました。人と同じことをするというのが苦手で、むしろ人と違うことをする、もっと言えば、人が右だと言えば左に行く、そんな人生街道でした。おかげで、政府の言うことなど丸で信用せず、学校の教師も信用せず、医者も信用しません。だから今までこのひねくれ者も何とか生き抜き続けることができたのかな、なんて思います。

 

日本では、全般的に左右周囲をよく見計らい、自分が最大公約数の中に入っているかどうかを気にする人が多いと感じます。大多数の人の考えていることと、自分の考えとちゃんとマッチングしてるだろうか、と気になる訳です。何故そう考えないと落ち着かないのか、私には全く理解できません。

 

極端な個人主義とまでは必要ありませんが、自分の考えというものをきちんと持つということは必要だと思います。というより、自分自身の考え方をまず優先するという発想はとても重要だと思います。そんなことはどうでもいい、周囲の人たちの考え方と合わせることが大事・・・な訳ありません。でも、想像以上にそういった考え方で安心する人が多いのではないでしょうか? 

 

それと、関連するかしないかわかりませんが、間違った考え方にたまたま染まってしまった後、それを修正するということは、案外、非常に難しいことなのだ、ということが最近分かりました。例えば、コロナ騒動でマスクもPCRもワクチンもとんでもない大型詐欺に過ぎない、ということについて、どうもこれはおかしいと気づき始めている人がいたとします。でも、正しい考え方、間違っていない、安全で健康確保できる考え方に、そう簡単にシフトすることはできない。そのためには、莫大な回数のトレーニングが必要だということです。

 

最近、何度かその場面に遭遇しました。2回や3回、いや5回10回とお伝えしてみても、すぐに感覚は元に戻ってしまうようです。マスクを外す方が良い、とかなり気づいていても、ごくいっとき外すことができても、すぐにマスクを着けてしまう。そしてそのままになってしまう、そういう人が結構います。3年以上も習慣づけられてしまったことを元に戻す訳ですから、無理ないかもしれません。