平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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工作員

工作員、という言葉があります。最近、随分、安易に使われているなという印象を受けます。コロナ関連の発信をする人たちの中に、この工作員という言葉が使われ、この人は工作員だ、あの人も工作員だと指摘されることがよくあります。

 

私にはまだよく分かりません。私自身、新型コロナウィルスの騒動が始まった頃、全くその始まりも流れも分からず、一体何が起きているのかすら理解できませんでした。自分で調べることができず(あまりに仕事が忙しすぎて、それを口実に何も調べてませんでした)、一般に言われている情報に従って右往左往していました。マスクを着け、(2020年初期の頃、2重に着けたりもしてました)検温し、頻回ではありませんが、手指消毒もした記憶があります。幸い2020年3月頃に、一斉に皆がマスクを着けるのを見て、これは何かがおかしい、と気づき、徹底的に自分で調べるという作業を始めました。すぐにすべてが嘘だと分かりました。

 

ただし、情報がどんどん変わっていきます。色んな科学者、医師、化学者たちが様々な情報を出してきます。新型コロナウィルスの存在そのものが証明されていない、新型コロナウィルスは存在しない、という所まではすぐに理解できましたが、ウィルスそのものが存在しない、という説については理解するのに日にちがかかりました。今ではまず99%、いや100%、ウィルスというのは存在しない、100年以上前から意図的にあるものとされ続けてきたまやかしであった、と理解するようになってます。

 

ちなみに、ウィルスというものは存在しない、ということについてはかなり以前から何となくぼんやり理解していたような気がします。なぜなら、もう30年ほど、ワクチンというものを打たなくなったからです。ワクチンというものは少なくとも体を守るものではなく、体を害するものだという理解ができていたからです。インフルエンザワクチンを打った人だけがインフルエンザに罹患するという現実を見て、直感的に理解できました。直観というものはありがたいものです。

 

こういう状況をもってしても、今の世の中が如何に混沌としているかが分かります。今の社会で、ウィルスなんて一つも存在しない、と真顔で言っても誰一人振り向いてもくれません。おそらく、かなりの時を経ないとこの説が常識となることは無いと思います。

 

世の中の真実というのはとてもデリケートかつ変化していくものだと最近は理解できるようになりました。理解できるようにはなったものの、一体何が今、完全に正解で、何が完全に不正解なのかということが整理できるには、まだ相当の時間がかかると感じています。

 

そういう中で、全く間違っていることを主張している人について、どのように評価するか受け止めるか、排除するか、いや、様子をみるか、難しい所があります。

 

最近、この人もあの人も工作員だと指摘される情報を見ましたが、私には、工作員という言葉を使って否定するということはできません。単に本人が理解できなていないという可能性、本人が意図的に間違っているフリをしている可能性、さらに言えば自分の利得上、間違っているフリをせざるをえない可能性、もっと言えば既に脅迫されており間違った情報を出さざるを得ない可能性、そういったこもごもがありうる可能性を考えてしまいます。

 

ともあれ、これは間違っていると思える情報を出している人は、結果的に今の事態において混乱と分断を作り出していることは明らかです。その点においては冷静に分析し、理解し、間違いを指摘する必要はあります。ただ以下のようなケースではどう出ればいいでしょうか?

 

非常に困っているグループがいる。その人たちが裁判に訴え出ようとしている。頼りにする人がいない。やっとエライ教授に出会い、一生懸命サポートしてくれている。ところがその人は実は理解出来ない主張もしている。その点においては理解できない。しかし、裁判を続けるためにはサポートが必要・・・

 

このエライ教授に対して、貴方の言うことは間違っている、サポートから下りてくれ、と言えるでしょうか? ただでさえ寄り添う人が殆どいない状況の中でそれは難しいのではないでしょうか? しかし、そういうマゼコゼの状況の中でまともな裁判が行われるとも思えません。元来、日本の裁判、信用できるとは私には到底思えません。司法は死んでいると理解しています。(こういう感覚はまだまだ数少ないと思いますが)

 

今の世の中は本当に混乱しています。この混乱と分断をできる限り増やしていきたいのが、この騒動の画策者の狙いなのだと思います。

 

ところで、ハンドサインというのがあるそうです。これも私にはまだ理解できていません。いろんなサインを出し、自分が画策側だと知らせる意味のようにされているようですが、これすら混乱と分断を作る作戦ではないか、とも思えます。いくらでも画像を捏造することもできるのではないかとも思えます。

 

もう何でもありのような状況になってきています。何が真実かは、自分で調べ、自分で理解し、自分で間違いも見つけ、自分で方向性も考える。すべて自分で努力する、これ以外ありません。国もメディアも全く頼りになりませんし、専門家というものもまた、100%信じるという姿勢は危ないということなのでしょう。

 

私自身は今の所、リカルド・デルガドの活動を信頼しているのですが、彼とて間違うこともあるはずです。それでも、他の専門家よりは遙かに懸命で真摯な態度で活動しておられます。いつも敬服しています。ただ、もう殆ど情報が入りません。今の所、彼を「工作員」だと非難する人はいませんが、できればもっと情報を出せるようになってほしいものです。

 

しかし、未だに、PCR検査の正当性を主張する人はやっぱり信頼することはできません。CT値の操作で陽性陰性をどうにでも操作できてしまう、という時点において、これは感染症検査には全く使えません。それに、新型コロナウィルスというものが存在しないので、検査そのものも意味がありません。これをいくら専門家でもない私が言っても誰も聞きません。

 

中々難しい状況です。

 

明日からマスク装着は個人の判断に委ねる、とのこと。これは、日本政府がひねれだしたクセ球です。彼らは何とかしてマスク装着を続けさせたい。人と人とのコミュニケーションをじゃましたい。お互いの顔が見えないように、まだマスクを着けさせ続けたい。そうすることによって、憲法改悪、緊急事態条項の導入が容易になる。彼らの目的は緊急事態条項の導入が最も喫緊の課題だと考えてます。そして、それが果たされば、日本は全く丸で違った社会に変貌します。基本的人権が無くなり、監視社会になり、国民市民は奴隷とされ、幸福も真実も何もかもが破壊されていき、徴兵制も簡単に実現します。というより、日本という国の存続が近々の未来で危うくなるでしょう。この件が最も危ぶまれていると私は感じています。