平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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コロナにかかった・・・?

よく聞く言葉だ。両親がコロナにかかった。子どもがコロナにかかった。家中みんなコロナにかかった。

 

ある程度、コロナのウソに気づき始めた人でも、このセリフがよく出てくる。結局、新型コロナウィルスというものが存在する、という前提を持っておられる人が多い、ということだ。コロナパンデミックを否定し、コロナワクチンも否定し、PCR検査は受けてはいけないと言い、マスクも着けてはいけない、と言う医師の中でも、新型コロナウィルスは存在する、としている人がけっこう多い。この部分は新型コロナウィルスというものに対して、考え方の一本化が難しい部分なのだろう。

 

何が何でも一本化するというのも無理なんだろう。新型コロナウィルスは存在するけど、そんなに重症化することはない、そういう認識の人もいるが、存在もし、そしてかつ、途方も無く重症化することもある、とする人もいる。正に千差万別。(ただ、重症化すると言う人は、コロナワクチンの毒性による重症化を、新型コロナウィルスの病気による重症化にすり替えていることが多い。)

 

また、コロナはウソ、と口では言いながら、マスクを外せず、PCR検査も全部ウソという訳ではない、データの積み重ねで感染が分かる部分もちゃんとある、などと言ったりしている人もいる。結局、もう少し詳しい所まで掘り下げて調べず、中途半端に結論を出してしまっている。今日、たまたまそういう方と出会ってしまい、延々と持論を並べ立てられたのには参ってしまった。私が伝える情報は絶対に受け入れようとしない。

 

その会社では社員さんは全部マスクを外していた。こういう会社もあるんだと嬉しくなったのだが、社長さんは一人だけでマスクを着けていた。おまけに分厚いアクリル板を挟んでの会話となった。社員さんはノーマスクなのに何でかな? と思いながら少しずつ話を交わしていくのだが、持論を譲らず、こっちの話は聞こうとされない。

 

最後の方では私の方がくたびれてしまって、思わず、マスクを外された方がいいですよ、私もしてないし、苦しくないですか、と言ってみた。するとそこで何故か逆ギレされ(私が先方と違う意見を他にも言ったのが気に入らなかったようだ)、「それではお客さんが来たときに、ここはマスクも着けない会社なのかと思われてしまう」と言って、自分はお客さんを守るためにマスクを着けている、と見得を切った。一応私もお客さんの立ち位置のはずなのだが・・・あげくの果てに今度は、従業員を守るためにマスクを着けてる、とか言ったりされ、支離滅裂になってきた。

 

少し馬鹿馬鹿しくなったので、こちら側からも持論正論を少し並べてみると、ますます先方は興奮状態になってしまい、「スーパーなどでマスクを着けずにおれないでしょう。着けなかったら何か言われることになるでしょう?」などと言われるので、「ずいぶん前からどこでもマスク着けてませんよ、スーパーでも銀行でも警察でも。バスでもどこでも。」と伝えると。そのときになってやっと黙り込んでもらえた。あまりに意外だったようだ。どこでもマスクを着けない、という人間に出会ったことがなかったのだろう。

 

しっかり持論を持つというのは大事なことなのだが、マスクのウソやPCR検査のウソ、危険性などについて、話そうとしても、全く聞く耳を持たない、というのは困りものだ。ご自分では、自分の考えが絶対的に正しいと思い込んでいる。

 

つまり、新型コロナウィルスは絶対に存在するものであり、マスクは状況次第では着けなければならないものであり、PCR検査は絶対的に使えるものでなくても有用性はあるものだとし、コロナワクチンについても、それほど目くじら立てる必要もない、と、先方はそういった感覚になっている。残念だが、少しは調べたのだとは思うが、結局、充分裏付けを持って調べ理解する、という作業をされてない。

 

それにしても、私がどこにいくのにもマスクを一切着けない、という発言は想定できなかったようだ。スーパーに行くときはマスクを着けて当たり前、銀行とかあるいは、警察とかなんかに行くときなどがあった場合は、間違いなくマスクを着けるものだと。私は屋外でも屋内でも、どんな店でも、銀行でも警察でも、あるいはジェット機にのるときでも、一切マスクを着けない。説明が必要なときは説明する。

 

コロナパンデミックとされるものが始まってから、往復で6回? 8回? くらい空路を利用したが、すべて、マスクを着けられない旨を説明し、同意書を読み上げてもらってそれでオッケーとなった。本当はすべての人にとって必要がない。もう海外では空路でもマスクはほぼ全部撤廃されてる。日本だけがまだマスク。そんな状況も知らない人が多い。むろん、日本以外はどこの国もマスクは着けない。(中国も着けてるそうだが、田舎までは無理だろう)

 

いや、こういったやりとりは不毛ではないと考えるのも一法だ。相手は絶対に自分の考えが正しいと信じ切っている。いや信じるフリもしている。話をしていてすぐに分かったが、先方は詳しくマスクやPCR、ワクチンのことを調べている訳ではない。それでも持論を延々と展開するのは傲慢に過ぎる。やはり言うべきは遠慮せず言わないといけない。多少の摩擦にはたまに油を刷り込めばいいだろう。いずれ会う時もある。私は平気だ。

 

こうした方々が大声で間違った考えを披瀝されるのを看過する必要はない。間違っていることについては間違っていると指摘するべきだ。今後もこうしたやりとりで摩擦が生じたとしても、言うべきは言っていこう。

 

それと、マスクのことだが、マスクを着けないということは当たり前のこと。2019年には誰もマスクを着けてなかった。それが当たり前だった。何の問題も無かった。実際、今現在でもマスクを着けることは何の意味もなく、有害なだけ。その部分をきちんと調べ理解し、実行する、そういう人をどんどん増やしていかないといけない、ということだ。子どもたちからマスクを外させるために、大人がどんどん目覚め、大人がマスクを外し続けないといけない。むろんどこでもマスクを着けない。2019年の在り方に戻ればいい。この目覚めについては最も強力な気づきの実行として最優先するべきだろう。