平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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マスク洗脳への対処・・・

(7月いっぱいくらいまで、ほぼ独り言のみ)

 

久しぶりに奥武山武道館に行ってみた。いつも3階の武道場、畳間の所に行く。大体330畳以上の広さがある。実に快適に稽古できる所・・・のはずだったのだが、今日はそうは行かなかった。考えてみれば、これまでにそれほど再々いっている訳ではない。夏真っ盛りに行ったという経験は無かったようだ。記憶とは曖昧なもの、本当に初めての体験をさせてもらった。

 

三階建ての三階部分、当然屋根に当たった強烈な沖縄の真夏の太陽は三階部分に熱さのエネルギーを補充しまくる。到着したのは午前10時を半時間ほど回ってた。10時35分? いや40分くらいだったろうか。三階に入ってみて驚いた、丸で温室だ。え? こんなに暑かったっけ? と面食らった。観ると、この階によく来られてるグループが10人ほど集まって準備運動なんかをされてる。まずその時点で気後れしてしまった。いつもの私ならありえないのだが。

 

実はもう武道場に入った時点でフラフラした感覚になってしまったのだ。大体が暑さに弱いタイプなのだが、こんなに暑い部屋に入ったのは久しぶり。で、その暑さの中で平然と誰も暑がる気配も無く稽古に取り組んでおられる。私一人が、ナニコレ? こんな暑さの中で動けるのか? と不安になっている状態。

 

エアコンは無い。窓は全開。大型扇風機は4つほどあるが、既に全部確保されてしまってる。早い者勝ちなんだね、やっぱり。私は部屋の隅っこで、とりあえず稽古を開始してみたのだが、丸で気が乗らない、というよりはっきりいって息が苦しい。温度計が壁に掛けられてるので観ると、35度近くになってる。こりゃ暑いはずだわ。

 

しばらく体を動かしてみたが、このままじゃヤバイと思い、2階の板間の道場に行ってみた。温度が2,3度は低いような感じだった。日の当たりも少し弱い。急遽、三階から二階に移動した。二階では3グループほどが、二人ずつくらいで稽古されてる。

 

念のため、マスク状況だが、三階は珍しくノーマスクだった。以前はずっとマスクを着けてやっておられたが、ようやくこの酷暑で全員外したようだ。ところが、二階は全員マスク装着のままでの稽古。3グループで薙刀、空手、空手、の稽古をされてる。ノーマスクでさえ、この酷暑での稽古はキツイ。何故マスクを着けて平気で稽古できるのか分からない。私には絶対出来ない。

 

もうあれこれ動くのはあきらめ、ヨガ的稽古、柔軟などの稽古に当てる。最後に少しだけ型の稽古。ふだんよりごく短く切り上げた。それでも普段のここでの稽古の中で一番疲れた。

 

県立図書館で借りた本を返却しないといけないので、武道館から歩いて図書館に行く。もう昼を少し回ってる。太陽は真上から当たってる。自分の影がめっちゃ小さくまとまってる。しばらく歩いてすぐに影で座り込んだ。少し休憩。また歩き出す。あれ? 椅子を回りを取り囲むように配置してあるガジュマルの木がある、涼しそうだ、で、すぐにまた座り込む。こうして2回涼んでようやく図書館に到着した。ガジュマルの木のネキで座り込んでいたとき、驚くべき光景と遭遇した。

 

分厚いマスクを口元全部を完璧に覆うように着けて、男性が一人ジョギングでへたり込んでいる私の前を通過したのだ。え? このカンカンの熱さの中でビッチリマスク着けてジョギング? 本気でマスク着けまくってるんだ・・・実はマスクジョギングは普通の光景にはなってる。中には口元だけでなく、首元もすっぽり覆ってしまうような豪傑もおられるのだ。しかし、今のこのカンカン酷暑の中でもマスクジョギング?  出来るんだ、やるもんだ、と半ば感心してしまった。私なら2分と持たない。

 

むろん、マスクをいつも体の一部のように着けて、慣れている人は、かなりのレベルで体が馴化(じゅんか)しているのだと思う。私のようにコロナ騒動初期にほんの2ヶ月ちょっと着けただけで、後は一切着けていない者は、馴化することはできない。だから、ある程度はマスクを我慢できるということはあるのだろう。

 

しかし、多くのマトモナ呼吸器系の専門家が言っていることがある。マスクを着けることに慣れて、それほど苦しくないと感じている人も、酸素の吸入量は確実に制限されている。その制限によって、脳への障がいは確実に起きる。特に若い人、子供たちへマスクを長時間、長期間装着し続けるということは非常に危険、小さな子供たちへのマスク長期装着は完全な虐待であり犯罪だ、ということが言われてる。

 

これまでにこういったタグイのことは、いやと言うほど言い続けてきたし書き続けてきた。ミニ講演会までやってきた。しかし、ほんの一部の人に伝わっただけで、殆どの人たちは丸で耳を傾けようとしない。文字通りスルーするだけで、耳には厳重なフタが取り付けられているかのようだ。そのフタは自動的に機能していて、少しでも政府やテレビ、新聞の言ってること以外の情報が耳に届くと、(例えば私が言うようなこと)あっという間にそういった内容が聞こえないように、透明の頑丈なフタが耳元にパッと取り付けられるかのようだ。

 

もう最近はシャカリキになって伝えるというようなことはしない。淡々とお話したり、書いたりしたりしてる。それで通じるか? 恐らく通じない。もうご自分で気づくまで続けられるしかないんじゃないか、と考えている。

 

もう、マスクを着けているという国って、日本と中国しかないというようなことを言っても(中国はあまりに広いから田舎なんかは着けてない人も多いんじゃないか?)、いや、日本は違うんです、とか言われる。一体何が違うのか分からないけれど、日本は特別なんだそうだ。マスクを着けるのが当たり前なんだと、納得されている人が多い・・・

 

今日はあんまり暑くて、体が涼しさを求めていたので、帰宅する途中に、とある大型スーパーにより、フードコート的な所でこの小文を書いていた。途中で中断して、荷物をアレコレまとめ始めたときに、周囲を見回すと、私以外はやっぱり全員マスク姿だった。一番離れた所におられた年配の人が何だかモジモジし始めてるのが眼に入った。アレ、一体何しておられるのかな、と思って目を止めると。マスクが二つ耳元にぶら下がってる。で、私が立ち上がったのを見て、突然その二つのマスクを触りだした。あっという間に、その二つのマスクを着けてマスクを押さえている。つまり、ノーマスクというとんでもない人が近くにいて、立ち上がったのを観た。これは自分の近くに来るかもしれない、そういうことを考え、急いでマスク二つを着けた訳だ。

 

この大型スーパーも他と同様、ほぼ全員がマスクを着けている。着けていない人は、たまに、ごく稀に見ることはできる。いや、全くノーマスクの人を見ることができない時も、多々ある。

 

本当に一体どうなってるんだろう。今行われている感染対策は、科学的医学的根拠が無い。新型コロナウィルスの存在証明すらない・・・などということを延々と書いても言っても意味が無い。ともかく多くの人たちがマスクを着けたがっているのだ。そしてPCR検査も再々受ける。無料ならそれこそ毎週でも受けるだろう。ワクチンも喜んで打つ。そういった流れをせき止めるなどということは、とてもできない。

 

あまり落胆しても怒っても、批判しても、間違いだと指摘しても、本当に全く前に進まない。完全にこのコロナ禍とされるものの作戦が図に当たってしまっている。完全に負けている訳だ。その状況は認めないといけないだろう。しかし、その作戦自体にムリとウソがあり、真実はカケラも無いということは分かっている。分かっている人も少なくない。ただし、もっと多くの人たちが完全に洗脳され、その洗脳が完了しているという現実があるわけだ。

 

どのようにしてその洗脳の実態を明らかにすることができるか? あせらず、怒らず、諦めず、逃げず、淡々として伝え続けるしかないだろう。私にとって最も大事なのはやっぱり「怒らず」だな。