平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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太極拳教室

今は従来していた太極拳教室(普通にマスク無しでできていた)が全く出来なくなった。つまり、教室を開催するのに、私からは、マスクを着けないでください、という要請から始まる。その時点で、あっという間に生徒が無くなることになる。私の中の常識で言えば、少なくとも体を動かす形での教室で、マスクを着けて開催するということが全く想定できない。それが、昨今では、マスクを着けて教室運営をするというのが常識になっている。

 

ヨガ教室、ダンス教室、ヒップホップ、太極拳教室、合気道教室、空手教室、などなど、ともかく全部が、マスクを着けて教室が開催される、ということになる。本当に信じられない。何度もその場面を目撃している。

 

マスクを着けるとただでさえ日常的に息苦しい中を、体を動かす形での教室において、マスクを着けて実行する。あり得ない程に苦しくなる。拷問なのだが、むしろマゾ的な感覚で受け止めているのだろうか、と想像してしまう。私が生徒の立場なら、まず参加しない。いや、出来ない。参加者があること自体、想定外だと言わざるを得ない。どんな酔狂者が参加しているのだろう、としか想像できない。ところが、少なからぬ人たちが参加している・・・ ため息しか出ない。

 

いつの間にか、この種の教室で体を動かすということは、マゾヒストしかなし得ない部門になってしまったかのように感じる。ただ、陸上競技や、野球、サッカーなどでは、さすがにマスク無しで行われることが多いようだ。酸素使用量が多すぎて競技が成り立たない、ということがあるのだろう。

 

今の世の中、狂ってしまって大分久しいが、捨てる神あれば拾う神あり、私が行う太極拳教室にも2名の参加者がいる。まだ3回くらいの参加だが、私のマニアックな指導に対して、むしろ興味を持ってくれている。まだまだこれからなのだが、少し希望がある。非常に地味な項目しかやってない。その方法をクリアできると踏んでメニューを作っているのだが、付いてきて下さっている。むしろこちらが驚いている程だ。

 

なので、もう少し続けられると考えている。

 

基本的に、強くなるために、うまくなるために、体の芯が太くなるためには、基本稽古を延々と積み重ねるしかない。そのための稽古は、想像を絶する程に地味だ。今日やってもらったのは、30分スワイショウと、膝裏伸ばし100回、それに推手を少々、というメニュー。普通の教室なら絶対あり得ないメニュー。一言で言えば、退屈で面白くなく、少し、いや結構キツイ割に意味が分からない、という内容。でもこれが、最も近道の方法。それを理解してもらうために実践した。

 

どうやら、かなり理解していただけているようで、むしろ驚いている。普通、マッハで退けられる方法なのだが、この方たちの理解は私の予想を上回った。

 

今後どうなるかは分からないし、続くかどうかも分からない。でも、こうした稽古の実践を少しだけでも体験したというだけで、何らかのヒントになってもらえるかも知れない。それだけでもやったかいはあると思っている。それほどに、稽古法を伝承する試みは難しい。人間のやることはたかが知れている。その中でどれだけの結実を得られるかは、私にも稽古をする側にも問われることになる。いやまぁ、好きこそものの上手なれ、ということでもあるのだが。