平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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嬉しい再会

朝の稽古ができないこともある。そんなときは夕方に稽古をする。ついこの間、その夕方稽古で、とても嬉しいことがあった。2020年の2月まで、子供たちの集う放課後デイサービスという事業所で仕事をしていた。主に小学生、そして中高生が集う場所だ。殆どは小学生。私は、大阪に行かないといけない用事があり、残念だったが、沖縄での仕事をいったん辞めて大阪に移動した。大阪には結局半年いただけで今は沖縄に戻っている。その行き来については煩雑な話があるが全部省略。人生中々慌ただしいものだ。大体、私の人生はそれが宿命になっているように感じている。自分では気持ちは随分ゆったりしているつもりだが、動静は中々に賑わしい。

 

ともあれ、大阪に移動することが決まったとき、本当に寂しい思いを味わった。それは子供たちにも同様だったようで、皆それぞれ離別の淋しさを秘めていたようだった。会うは分かれの始めだが、それでもやっぱり寂しい思いに変わりはない。

 

夕方稽古で嬉しいことが・・・の後の言葉が消えたままだった。繋いでいこう。

 

夕方稽古をしようと、浦添大公園に向かった時のこと、何だか懐かしい顔が見える。もう一瞬で、あ、あの子たちだと気づいた。小学生ばかりが集まっている。10人、いや12人くらいだったろうか。いずれも見知った子供たちばかり、いろんな想い出が渦を巻きながら脳裏をかけめぐる。

 

私は既にオモシロ作戦を開始してる。彼らに近づくにつれて、体の動き、進めかたを、わざとおかしなものにして、ゆっくりゆっくりロボットのように、歩みを続ける。わざと中国拳法のゆっくり稽古のようなものも入れてみたりする。

 

子供たちはすぐに気づいてくれた。アレ? という所から、本当にマッハで あ! という驚きに変わるのがあちこちの顔で見えた。

 

「あれー、どうして?」

 

「なんでー?」

 

「偶然なん?」

 

などなど、疑問と懐かしさであふれたリアクションだらけとなって、私もすぐにオモシロ作戦はマッハで終了し、会話モードに変わる。

 

「いやー、ほんま偶然よ。公園で稽古しようと思ってさ。来たらみんなが居たってこと。ホント、びっくりしたよー。」

 

当時の見覚えあるスタッフも二人いた。他のスタッフは新しい方で知らなかったが、顔見知りのスタッフとも再会できた。驚いておられた。笑顔で迎えてくれた。これも懐かしい再会だ。

 

2年と2ヶ月ぶりの再会だ。みんなもうオッソロシイくらいに大きくなってる。その姿を見るだけで何だかものすごく嬉しい。でも顔はまだまだ全然変わってない。それもとっても嬉しい。ややこしい気持ちだが、ともかく何もかも嬉しい。子供たちはもう大騒ぎ。質問責めになった。やんちゃ坊主はもう私の後ろに回って、私の髪の毛をむちゃくちゃに引っかき回してる。

 

「あ、髪の毛はえてるー。」二年前にふと思いつき、髪の毛を切ってツルツル坊主にしていたものだから、そう言われるのも無理ない。

 

他、想い出は溢れるほどにあるので、いろんな思い出話に花を咲かせた。こんなプレゼントをしてくれるなんて神様も中々粋な所があるもんだなぁ、と嬉しく思った。子供たちの何人かは、今日は○○センセー(なぜかセンセーって呼ばれるんだよね、こういうとこでは。仕方無いね。あまりそう言われたくないけど)に会ったこと、お母さんに言っておくよ、とか言ってる。何故そういうのかは分からない。なんか大事なことみたいに思ってくれたのかな。

 

ほんの20分ほどの交流だった。おやつタイムになったので、あんまり長居するのも、と思い、じゃーねー、と言って別れる。また会おうね、というと。マタナー、と何度も見送ってくれる。マタナーコールが何度もお互いに続いた。

 

本当に楽しかった。たまにはこんなこともあるんだな。たくさん元気をもらえた。人間ってそう捨てたもんじゃない。苦しい思いの連続の中にも、こういったダイヤモンドのような瞬間がある。そういう瞬間々々を繋ぎながら懸命に生きていく、そうやって生を紡いでいくというのが人生だね。人が生きると書いて人生。あ、そうだ、死んで終わりじゃないから、この子たちともいずれ人生としての別れと再会がある。子供たちにとってもそれは同じ。ともあれ、良き日をたくさんたくさん、皆で作り上げていきたいものだ。