平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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一歳の勇者

マスクを三人とも着けていない。こんなことは本当に珍しい。20代後半? 30才前後? のお父さんと、3才くらいの女の子、そして1才前後の男の子。ここはかなり広い公園。広大な芝生があり、その周囲をガジュマルやアカギ、松、トックリヤシなどが囲んでいる。土日の晴天ともなると、親子連れで大変な賑わいになる。しかし、必ず皆が着ける印がある。マスクだ。日本のマスク氾濫はまだまだ収まらない。海外では随分ノーマスクが増えた。いや、殆どの人が着けてないと言ってよい状況の所も多い。そのことをあちこちで伝えもするが、反応は鈍い。外国は外国、日本は日本・・・ ある人は、海外でマスクを外しているということは知っているが、日本は違うんですよ、とはっきり日本ではマスクを着けるのがまだまだ当たり前、という認識でおられた。ここまでのマスクへの執着は一体何なのだろう、と不思議に思える。

 

平日の朝方だ。さすがに広い公園とは言え、散歩をする人が数組あるくらいで人影は少ない。私はのびのびと体操をしていた。スワイショウという体操と試力(しりき)という動きとのミックス。傍目には珍しいのだろう。時々不思議そうに見ている人もいる。というより、私がマスクを着けない姿でいる方が、物珍しいかもしれない。私ももう慣れているので、素顔を曝していても別に何とも思わない。しかし、私とは別の人で、親子連れで3人ともマスク無しという姿を見させてもらうこと自体はむしろ珍しい。

 

ひょっとしたらこのお父さんは、マスクの無意味さや有害性を分かっておられるのかな? そう思ったが、そんなことでわざわざ声を掛けるのも、よほどキッカケがない限り難しい。車から降りて、お二人の幼児とお父さんはゆっくりと芝生の方にやってきた。眩しい太陽は無い。薄曇りで快適な天気。沖縄のカンカン照りはむしろ歓迎されないから、こんな天気の方がありがたい。

 

1才3才の子供たちもそれぞれ、コトコト歩いてる。1才位の男の子はまだ足取りが覚束ない。歩くようになってまだそう日にちも経ってないと見える。言葉はまだあまりない。子供をみるとすぐに手を振るクセのある私は、つい男の子に手を振っていた。自然に自分の顔も笑顔になる。

 

この1才くらいの男の子は、手は振らなかったが、立ち止まって私を少し見ている。本当に可愛い。私はさらに手を振る。ようやくわずかに笑みを見せ、私という大人をしっかり認識したようだ。何しろ、この子もノーマスクなら私もノーマスク。この子にとって、マスクだらけの大人よりも、私のように表情を見ることができ、その顔の変化や笑い顔を体験するというのは貴重なことなのかもしれない。

 

突然、この子がコトコト覚束ない足取りで歩み始めた。何と私の所へまっすぐやってくる。歩みは全く止まらない。私は嬉しくなって両手を振り続けた。勇敢なベビーはとうとう私の真ん前に来て、私の両手を取ろうとする。そのとき、見ていたお父さんが、

 

「大丈夫ですよ。」と声をかけてくれた。その意味はすぐに察知することができた。この男の子は私に自分を抱き上げてほしいと意志表示している、その意志に応じ、私がこの子を抱き上げても、全然大丈夫だ、どうぞ、どうぞ、ということなのだ。私はここ最近、全く無いことなので嬉しくなってしまった。

 

小さな小さな冒険男を丸で壊れ物を扱うかのように慎重に抱き上げてみた。

 

「たかーくなるよー。怖くないよー。わぁー、怖くないんだねぇ、すごいねぇ。」とか適当に声をかけながら、抱き上げたあと、ほんの少し揺すってあげる。どうやらご機嫌さんのようだ。ほんの少し高い場所を体験してもらい、まぁこれでいいだろう、あまり長時間もよくないしね、と思いながら、子供を下に降ろそうとした。? ところが降りない。はっきり降りたくないという意志表示を体全体で私に示してくる。体全体を突っ張って降りたくないよ、って教えてくれてるのだ。

 

「アレー、降りたくないの?」と言うと、お父さんが、

 

「懐いてますね。」と笑顔で言ってくれる。

 

「いやー、嬉しいですね。」そう言いながら、私はしばらく揺すり遊びをしながらも、さらに二度ほど降ろそうとする、それでも降りない。いやほんとに嬉しいなぁ。三度目にやっと勇気ある体験者、あ、殆ど初であろう他人の大人に抱っこされるという人生体験をやったぞ、という小さな勇者は地面に、地球に降りたってくれた。そのままトコトコお父さんの方へ向かって戻っていってくれる。

 

何だか私の心の中にも例えようのない涼風がそよいだようで、とても楽しかった。嬉しかった。子供がお父さんの方に到着したのをみて、また手を振ってみると、今度はこの勇者も手を振り返してくれる。しっかり笑顔だ。来年古稀を迎えるというジジィと1才児との交流はこうして終わった。

 

しばらくこの3人はこの芝生で遊ぶようだったので、私は少し後ろの方へ15メートルちょっと位、移動した。これ以上あれこれかまう必要もないし、お父さんと二人の子供で遊んでくれた方が楽しいだろうと、私はむしろ、彼らの横を向いて稽古を続けた。三人もそれなりにあちこち歩き回ったりおしゃべりしたりしていた。やがて、3人は乗ってきた車の方へ戻ることを決めたようでぼつぼつ移動を始める。車のある場所は目と鼻の先だ。

 

向こうが段々遠ざかるので私も元居た場所に戻ろうとぼつぼつ歩みだした。すると、車に戻る途中のお父さんが、素敵な笑顔で会釈してくれた。私も晴れ晴れとした気持ちで彼と同じ笑顔で会釈を返した。

 

このお父さん、完璧だな。何もかも分かっている。私が子供を大事に扱ってくれるだろうなってことも分かっているし、ノーマスクの意味も知っている。イチイチ説明もしないが、お互いに同じ感覚で生きている、その気持ちを共有してくれている。二人の子供たちもそれなりに良い体験をした。それだけで大丈夫、私というジジィも随分楽しい思いをさせてもらった。

 

中にはこういうクールな若いお父さんもいるんだな、と感じ入った。本当にかっこいい。一人でもこうした方が増えてほしい。マスクなんぞに振り回されないで欲しい。特に子供たちには着けさせないでほしい。このお父さん、子供にマスクを着けさせない、ということでまず子供を守っている。これから先どうなるか分からないが、何とかお父さんの健闘を祈りたい。そして、二人の子供たちが健やかに楽しく充実した人生を歩み始めることができるように、心から祈りたい。そう思いながら3人と別れた。本当に楽しいヒトトキだった。生きていればこんな楽しいことも嬉しいこともあるんだね。