平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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優先順位

仕事というものを、多くの人達は優先順位として高い所に置くものだが、これって賢いやり方なのだろうか? いろんなことについて疑うという習慣を持つことは大事なこと、私はこの習慣を比較的若い頃から取り入れていた。一言で言えば、かなりひねくれていた、ということになるかもしれない。

 

比較的若いと言っても、10代20代では無論ない。40代頃から段々と仕事について、かなり考えさせられるようになった。実は40才前後からようやく自分でできる仕事に就くことができ、どこかの会社に所属する、という境涯から離れることができるようになった。そこに至るまで、またその後も、仕事に対して本格的に疑問を持つようになった訳だ。

 

どうしてもお金儲けということに実感を持てない。一応、どこかに勤めながら生活を立てるにしても、自分で商売をするにしても、どちらにせよお金というものを稼ぐということになる。自分で商売、仕事をするようになるまで、いろんな職業を経験した。洋書販売会社の社員、引越専門の運送業アルバイト、障がい児児童入所施設、鉄工所、学習塾、プラスチック部品製造会社、ビニール工場・・・数え上げてみれば結構多くの職種に就いてきた。まぁまぁ仕事が出来たり、全然出来なかったり、適性によってマチマチだったが、合う仕事では結構生き生きしていた。合わない仕事では全くやる気も出ず、ほぼ全部ウツになってた。好き嫌いが多かったのかもしれない。

 

やがて、にっちもさっちもいかなくなり、一般的にウツと言われるものがしっかり脳みその中に根を張ってしまい、仕事自体に就くことができなくなったりもしてた。何回かあった。最後のはかなりキツイもので、もう人間止めた方がいいかな、というマインドが強くなっていた。ふと本屋で手にした本をきっかけに、もう一度やってみようと思い立つ。これは強調しておきたいけれど、ウツというのは実は病気ではない。単なる逃げに過ぎない。サボタージュでもある。抗鬱剤など何の意味もない。何かしらやってみよう、取り組んでみようと思いついた途端に、ウツというのはふっとんでしまう。

 

本で思いついたので、本に関わる仕事、本に関わる仕事の中でも、人と会わなければならない仕事(その頃、人と会うということ自体が苦痛だったので、思い切って会わないとどうにもならないという方向を選んだ)として、書籍の飛び込み営業販売職というのを選んだ。人生止めてもいい、という位の気持ちで取り組んだので、死に物狂いだった。何故か不安は無かった。できればオッケー、出来なかったらまぁ首でも吊るか、くらいの気楽な気持ちだった。気楽な気持ち? 矛盾するかもしれないが、そう表現するしかない。

 

何故かうまくいき、仕事に精出すことができるようになる。それはそれで嬉しいことだったが、まだまだもう一つしっくり来ない。お金はそこそこ稼げるようになったが、心のどこかで物足りなさを感じていた。

 

やがて書籍の販売に限界を感じ、商品を変えることに決めた。衣食住に絡めればいいだろうと思い、衣食は先行投資が大きすぎるので諦め、住に関する仕事を見つけた。不動産仲介の仕事だ。これは全く右も左も分からない仕事でとまどったが、何故かそこそこ出来るようになる。いつまでも勤めるのはいやだった。思い通りのことができないからだ。会社の言う通りに動く、ということが出来ない。自由になりたかった。

 

40才の一つ手前、39才でとりあえず独立した。好きなように仕事をした。たまに大きな取引をしたりもしたが、大体は小さな物件の仲介。それほど儲かるものでもない。何となく相談されることが多くなり、お金にもならない相談ばかり受けるようになった。当然、経済は逼迫する。でも気持ちは安定していた。家を買いたいという人に家を買うなと言える。家を売りたいという人に家を売るなと言える。これは、意味が分かりにくいと思うが、そうする方がその人のためになることも多いからだ。説明は煩雑なのでパス。

 

ただ、そんなことばかりしていると、何故か信用はされたり感謝されたりすることは多いが、生計が立たないようになっていく。仕方無いので、若い頃に経験したことのある、障がいを持つ人のサポートをするというアルバイトを兼業でするようになった。20代後半で就いた障がい児児童入所施設での仕事の記憶が忘れられなかったこともある。魂とのふれ合いだった。丸でお金にはならないけれど、何かしら心意気という部分で違うものを感じていた。皆が皆そうでもなく、この仕事業界でもお金お金の人がいたが、そうではなく、ハートで仕事している人もいた。そういう人たちとの交流は本当に貴重だった。

 

不動産仲介の仕事と障がいを持つ方々のサポートの仕事。この兼業をしていると、段々と自分のやりたいことというのが見えてくるようになる。生きていくのにお金は必要だけれど、お金だけでは得られないものって結構あるのだな、という普通のことに気づいていくようになる。これは貴重だった。今はもう仕事からは離れているが、いつでもまた何らかの形で関われるようになりたいと思っている。

 

人間として生きて行くのに、いろんな優先順位がある。お金が好きでたまらない、という人もいれば、お金にあまり興味はなく(生まれつきお金が沢山ある人もいるし)、何かしら生きがいが欲しい、という人もいる。私はどちらかと言えば、生きがいが欲しいタイプなのだろう。お金にならないことで興味のあること、これはやらないといけないという意欲の湧くこと、そういうのに惹きつけられる。

 

ようやくこの歳になって、そういうものの大事さというのに気づいた訳だ。間もなく69才にもなろうというこの歳になって・・・

 

実はもう一つ大事なことがあった。やりたいこととしてこれはひょっとしたら仕事より大事かもしれない。それは、自分の身体を鍛えるということだ。小さい頃はガリガリだった。体力もそれほど無かった。中学校高校と、それなりに遊び半分でサッカーに夢中になったりもしたが、大した成績も上げなかった。二十歳前後のときに、何故か身体を鍛えたいと思うようになり、空手を始めて以来、自分の身体を鍛えるということに興味を持つようになる。

 

身体を鍛えるには毎日何かしらしないといけない。空手は30代半ばで継続することを断念した。心肺機能に良くないと気づいたからだ。20代と同じ稽古をし、サンドバックを果てしなく突いたり蹴ったりしてると、脈が飛ぶ。激しすぎる稽古をした翌日、または翌々日は死ぬほどに身体がダルイ。心肺を痛め、活性酸素の増加で身体が劣化する。

 

これはだめだな、と気づいた。数年のブランクの後、中国拳法にシフトした。身体を鍛えるのに、健康を基礎にしないとうまくいく訳がない。ヨガも大事、呼吸法も大事、むろん気功法も大事だ。そういったものを組み合わせながら段々と練り上げていく。練り上げ方も分かってくる。長い道だ。

 

さらに何より大事なことがあった。今の詐欺コロナ騒動の中で、子供たちが災厄に遭っている。5才以上の子供たちが、何も分からないまま、コロナワクチンを打たれようとしている。子供たちは誰1人として新型コロナウィルスとされるもので亡くなっていない。にも関わらず、接種後1400人以上が亡くなっているコロナワクチンを3月にも打たれる、ということになっている。日本では殆どの大人が洗脳され、真実を自ら調べることもなく、テレビや新聞、政府、自治体の言いなりになっている。人々を多く害するための作戦により、マスクが、常時装着は明らかに無意味で有害であるにも関わらず、人々の顔を覆ってしまい、コミュニケーションを削ぎ、人同士の分断を果たした。同時に、全く感染症検査の能力の無いPCR検査を、新型コロナウィルスの標準検査とし、陽性反応を意図的にコントロールし、「コロナ患者」を大量生産した。トドメとして、コロナワクチンで多くの人を死に追いやり、不妊、流産、不正出血、男性においても精子減少、勃起不全などが起き、結果的に人口減少に資することとなっている。

 

明らかな詐欺による作戦であるにも関わらず、あまりにも大きな詐欺なので、これまでの歴史的経緯に沿う形で多くの人が騙されることとなった。海外ではかなり大幅にばれ、活発な反コロナデモが頻発しているが、日本は世界一洗脳と詐欺が行き渡っているため、政府、テレビ、メディアの言いなりになっている状況だ。

 

何としても、子供たちだけでも助けたい、その思いで活動している。この活動が生活に入ってきたため、中々忙しい。発信もさることながら、チラシ捲き、行政交渉、街宣など、身体を使うことも多い。

 

「義を見て為さざるは勇無きなり」という論語での言葉が今の時代に当てはまる。私はこれを座右の銘にしている。実際書いて机の横に貼っている。現在における「義」正義は、詐欺の犠牲となり続けている小さな子供たちを救わなければならないということ、そういう状況を知り、見ながら何もしないのは、人間として大変重要なメンタルパーツである「勇」勇気を持たないということだ。これほど分かり易い様相は無い。

 

できるだけ多くの人にこの「義」に気づいてもらい、「勇」をもって1人でも多くの子供たちを助ける活動に参加してほしい。人生の優先順位としてはこれが一番。むろん、仕事や活動において意欲の湧くことを優先する、身体の鍛え、健康を優先するということは活動の基盤として必須なこと。同時並行で確保していけばよいだろう。当分色々と忙しい日々が続くと思っている。