平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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モモ

てぃるるの図書室で、偶然、「モモ」を読む、という表題の本を見つけ、何だろうと思い、ページをパラパラめくっていた。ふと見つけたフレーズで、人間の死とは何かという問題に絡む語句が目に入った。私が最近気の付いたことについては、これまでに何度かポツポツと書いている。「人間死んで終わりじゃない」という項目でも書いているし、他の記事でもちょこちょこ書かせてもらってる。大変深いテーマなので、まだまだきちんと書き切れてない。それでもこれはずっと付き合わないといけないテーマだと感じている。そのテーマにしっかりリンクする本が「モモ」だということが推察できた。

 

子安美知子さんという方が書いているが、この方はもうとうに故人となっている。この方の認識によると、亡くなられてはいるが、一般的に言われている「死」というもので身体(ライブ)が終わり、人生も何もかもが終わった、ということではなく、精神(ガイスト)は続き、魂(ゼーレ)も持続している、ということになる。むろん身体(ライブ)は無くなっている。

 

「モモ」を読む、という本に出会い、考えてみれば、「モモ」をまだ読んでいなかったので、「モモ」を読む、という本はしばらく置いといて、「モモ」の方を読んでみた。これは、とても引き込まれる。実際、小学校5年生あたりから読める本だが、意図する所の内容は大変深く、少年期、青年期、中高年期、老年期、つまり5才から100才以上ずっとまで、読んで面白い本だ。大変珍しい本だと思う。著者はミヒャエル・エンデ、この方も既に故人だ。映画が1986年に作られている。それも観た。ほぼ本に基づいたエッセンスが盛り込まれている。本のまま、という訳にはいかないが、大変興味深い内容になっていた。版権がどうなっているか知らないが、ニコニコ動画で見つけることができる。細切れになっているが、自動的に連続で観ることができるので、普通にレンタルビデオを観ているのと同じ。でもいずれきちんと借りて観ないといけないな、と思っている。何らかのエピソードも知ることが出来るかも知れない。

 

最近知ったことだが、時々これまでにも記事として紹介しているグランド・ジュリー関連の情報の中に(これはまだ紹介していない、全部の要約をしておられる方を知人から教えてもらったので、いずれきちんとまとめて一つのカテゴリーに入れる予定にしている。既に多くの人がそうしていると思う)「モモ」に関連する記述が入っていて驚いた。なるほど、社会の仕組みが明らかになっているということは、現実社会で行われている悪巧みの状況がさらけ出されてしまうということなのだな、と気づいた。いずれそのまとめ記事を紹介することになるので、楽しみにしていただきたい。

 

もう少し書き継ぐが、そうだな、モモというのは一体どういう存在なのだろう、ということを考えてみたい。「モモ」は大変不思議な子で、実際には存在しているとは思えない、そういう想定にはなっていると思う。でも、普通の子供たちと普通に交流するし、大人たちとも仲良く、そして対等に交流している。やっぱり普通ではない。妖精、というイメージも感じられるが、それだけでもない。知性、洞察、生と死についての造詣、など、普通に賢人と言われる人たちの考察を遙かに上回る深みを持った存在のように思える。キャラクターとして見たことの無い人間だと言うしかない。

 

こんな子供がいたら本当に楽しいし、交流そのもので安らぎと刺激が得られ、人生における知の獲得に繋がるように思える。まずありえないことだが、しかし、子供たち全般を考えるとき、実は「モモ」は子供たちの中にこそ、かなりたくさん存在するのではないか、とも思える。モモのように一人の子供によって、これほどの知と智と考える力、洞察する力を持つことはできないが、一人一人の子供の中に、モモの持つ煌めきが時々光る時があるのだ。私は子供たちとの交流を重ねる中で、そうした体験を数多く持っている。大人との交流は下手だが、子供たちとの交流はダイヤモンドのように貴重だと昔から認識していた。なので、子供たちとの交流はとても大事にしていた。

 

しかし、最近、特に日本の社会では、子供たちへの虐待とも言える制度の酷烈さが相次いでいる。学校も教育も、そして児童施設という名の隔離施設もそうだ。子供の人権は無いに等しく、人間らしい生き方の保証もほぼ無い。親も壊れているので、命を守ることすら難しくなっている。今は特にコロナワクチン接種という問題があり、ほぼ多くの大人たちがこのワクチン接種を積極的に打っていくという行動を重ねている。むろん自分の子供たちにも良かれと思って打たせてしまっている。親権があるので、外部の者はそれを止めようが無い。

 

いずれ、グランドジュリーの要約を全部読めば、どれほどに邪悪な計画の下にこの恐ろしい作戦が実行されてきたのかが分かるが、今はもうかなりの人たちに被害が広まってきている。ただ、解毒の方法もあるので簡単に諦めることもない、とも思いたい。

 

モモがいたら、このワクチンの邪悪について、もっと分かり易い言葉で批判し、アドバイスし、理解を進めてくれるようなイメージがある。そうだな、モモを見習って、小学生でも分かるような話を自分でも考えないといけない。小学生でも分かる文章を書き、それでもって深い内容を伝えるというのが文を書くものの努め。私はまだまだ全然それが出来ていない。もう少し修行が必要だな。人間って死ぬまで修行は終わらない。あ、いや、死んでから後も別の生命体でまた生を紡ぐことになるだろうから、永遠に終わることはない。その内、ワザも錬磨していくだろう。あ、錬磨なんて言葉だめだね。その内もっと分かり易く、多くの智恵を持ってもらえるような話ができるようになるだろう。そういう方向を考えていこう。