平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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一人稽古が最も重要な稽古

古武術の稽古の中で何が重要かといって、一人稽古ほど重要なものはない。多くの師に出会って、奥深いテクニック、理合等を会得するのも大事だが、もっと大事なのは、一人での稽古で、どれほどの繰り返し稽古、集中稽古、その中で自ら会得する感覚を積み重ねることだ。

 

もちろん、稽古時間以外もすべて稽古、姿勢、歩行、シミュレーションなどなど。立ったり座ったりも稽古、ドアを開けるのも稽古、閉めるのも稽古。ある意味、寝るのも稽古と言って良い。それだけではなく、栄養、休養、そしてマインドの維持。平常心。すべて絡んでくる。

 

最近、稽古内容をもう一度基本に戻している。スワイショウは長らくやってきたので、最近他の稽古が多くなり、スワイショウの稽古機会が減っていた。今、復活させている。立禅はあまりこれまで稽古していなかったのだが、友人の指摘により、するようにした。馬歩タントウも長い間、やらなければ、と思いつつ、やってなかった。これも友人の情報で、始めることにした。独立トウも併せてしたいが、馬歩をすると、独立トウがなおざりになる。この部分は何とかしたい。

 

スワイショウ、立禅はそれぞれ、30分から40分を目途。馬歩タントウはいずれ10分ないし15分が出来るようになることを目安として行っている。ただ、形と高さ、腰割りのレベルなどは色々な情報と他の修練者の稽古を参照し、聞きながら調整したい。

 

古武術は長くしたい。あと30年は最低現役でいたい。現役と言っても、別段、組手をドシドシやりたい、という発想はない。緊急時危急時はいくらでも対応できる準備があるから問題ない。目ヂカラを鍛える。自然に鍛えられる。ただ、見せないようにすることも大事だろう。別段、戦闘を主とする必要もない。何もせず、圧する気合いで段々と充分になってくるようにしたい。

 

基本的に武術と健康を並立させたい。武術の達人で、意外に酒で体を害する人が多い。徹夜で飲んだが、そのまま朝からバンバン稽古もやってるぞ、という人の話もよく聞いた。でも、必ず体を壊す。短命で終わる人も多い。50代、60代で亡くなる人も。健康の維持を考えることも武の内だと思う。

 

大東流合気柔術の始祖、武田惣角は酒を飲まなかった。飲む者をあまり信用しなかった。私は若い頃、飲み方が分からず、体を少し壊したりした。今は基本的に止めている。完璧に止めようとも考えたが、ごく稀に少しだけ体に入れる、という感覚になった。ただしビールは全く飲まない。酒を止めてみて、久しぶりにビールを少し飲んだとき、何だこんなに不味いものだったのかと驚いたものだ。

 

その他、ヨガと呼吸法は必須。ただ、あまりに過ぎたストレッチは加齢の中で逆効果のような気もする。実践しながら調整する方がよいかもしれない。

 

稽古の課題は無数にある。型の稽古は太極拳の型とサンチンだけ。その他はしない。型をたくさんすることに意味はあまりないと思う。道場経営をする場合、沢山の型を知っておく必要はあるかもしれないが、個人稽古でそれは必要ないのではないか、と感じている。

 

太極拳の型は、基本的に6,7分程度だが、これをあえて20分ほどかけて行う。時々1時間かけてやりたい、と思っているのだが中々できない。今までで3度? 4度? くらいしかできていない。久しぶりにやってみたいものだ。サンチンの型もやればやるほど変化してくる。これはある程度速い稽古もしている。面白い。

 

気功の動きは自然に出てきたものを流用している。とても体が落ち着く。ただ、瞑想はまだ全然きちんと取り組んでない。これも近いうちに導入を検討したい。

 

若い頃、20代のときは、頭突きで瓦10枚を割ったりしていきがっていたが、もう絶対やらない。多分これをして、脳細胞の100万個くらいは死んだんじゃないか? いいこと一つもない。大体、瓦というのは屋根に葺くもの、割るものではない。もったいない。ただのコケオドシに過ぎない。

 

段々に見えてきたものはある。ただ、まだまだ途方も無く先にしか目標は見えない。やることは大変多い。めげず腐らず、たゆまず楽しめるように進んでいきたい。今年はとりあえず、稽古ラインの整備をきちんと押さえていきたい、これが当面の目標となるだろう。