平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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父母からのアドバイス 想い出

いつの間にか、ずぶとくなってきてます。小さい頃から少年期青年期と、とにかく気が小さい小さい、なにもかもが気になって、特に、人が私のことをどう考えてるか、ひょっとしたら嫌われてるんじゃないか、なんてことをぐずぐず考えたりしてました。

 

今から思うと、ほんまアホやったんやなぁ、と。

 

今は、人がどう思おうと、馬鹿にしようと、悪口言おうと、告げ口しようと、何しても、全然何にも気になりません。どこでどう変わったんでしょうか? 自分でもあまりよく分からないのですが、ひとつ覚えてることがあります。

 

あまり大したことも言わない母でしたが、一つだけ、う~ん、これは名言だな、と記憶していることがあります。

 

「誰もかみつけへんよ。」

 

私が1人で、なにやかやを気に病み、心細そうに不安にかられているとき、(そういうことが多々ありましたね、忙しい毎日です)ぼそっと言うのです。誰もかみつけへんよ、と。

 

ふと我に返り、そうだな、どんなひどい局面になったとしても、誰も噛みつきにくることは無いわな。仕事で失敗しても、車で迷子になっても、お客さんからめっちゃ怒られても、はたまた上司からぼろくそ言われても、バカアホぼけマヌケって言われても、確かに誰も噛みつきには来ないわな・・・ひどく納得したものです。

 

この言葉、なぜか本当によく覚えています。母が言ってくれたアドバイスの中でピカイチでしたね。

 

あ、そうだ。父が言ってくれたことで一番よく覚えている言葉もあります、むろん。死期が近かった頃、もう意識も朦朧としていた状態の頃です。うわごとのように色んなことを言ってました。殆ど聞き取れない言葉ばかりだったのですが、一つだけ明瞭に覚えていることがあります。

 

ベッドからガバッと身体を起こし、目が飛び出るほどに見開いて、私の顔を丸ごと食い入るように見つめ、言いました。

 

「お前は、何でも一つ一つきちんとやったら、何でも出来る・・・だから頑張れ!」

 

私は思わずしっかりものを言う父に驚き、あわてて答えました。

 

「うん、わかった。頑張ってみるよ。」

 

そう言って、父の励ましに答えたつもりだったのですが、父は、哀しそうにクビを振り、うなだれて、

 

「やっぱり、お前は何にも分かっとらん・・・」

 

と言って、またベッドに横になり、それからは何も言葉を出しませんでした。この記憶も強烈に残っています。いつまでも頼りない私をとても心配していたようで、何とかアドバイスをし、立ち直ってほしい、しっかり人生を歩んでほしい、そう思っていたのだと思います。私のしょぼい返事と態度を見て、こりゃだめだ、まだまだじゃ、とガックリきたのでしょう。

 

でも、言葉と想いはしっかり受け止めることができました。母と父のこの二つの言葉は、金言として私の脳みその隅々にまで染みついています。確かにこの二つがあれば、何にも悩まず、堂々と人生の一本道をしっかりと歩んでいけそうです。

 

たまに父母のこの言葉を思い出し、さらに母のこと父のことの様々な人生街道の断片に想いをはせることがあります。親というのはやっぱり偉大ですね。盆と正月には、ご馳走を作り、作法通り、三回ずつチョルをして挨拶しますが、いつもいつも涙が流れます。親不孝であった私の悔いと、父母の想いに応えきれてない今の私のふがいなさに、悔しさと憧憬の念とが入り交じり、何とも言えない気持ちになります。

 

でもまぁ、子供たちの命を救いたい、その活動だけはしっかりと行っている、まだまだ足りないけど、ちゃんと努力はしている、そこら辺のことは、父母も分かってくれてると信じてます。たまに夢に出てくるけど、2人ともピンピンしてて元気そうだものね・・・

 

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