平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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9月9日の4 母は優しい人でした

母について書くのは気が重い部分があります。母の存命中、殆どの期間、ウマが合いませんでした。母の言うことすること、どうしても納得できないことが多く、お互いに信頼できる関係性を中々取れなかった記憶があります。

 

精神的に安定する所が少なく、気を高ぶらせることも、ママありました。その時の様子を見るのが苦しく、できるだけ距離を取る感覚になっていたように記憶しています。

 

根っこは優しい人で、他の人の苦しみに対しては深い同情を持つ人でした。

 

生まれは私と同じです。日本で生まれ日本で育ちました。在日韓国人二世です。私もそうですが、父が在日韓国人一世ですから、私は二世半くらいになるのでしょう。正直言って今の私にはどうでもいいことです。

 

国籍や民族は全く意味がありません。ついでに思い出したので少し書きます。母のことはまたあとで触れます。

 

若い頃、それなりに私の国籍に絡むことで、下らないいじめや差別的待遇を体験しました。殆どの日本人はそれらを知りません。表向き知っているようでも、内実までは分かりません。詳細を説明するのは意味が無いので省きます。

 

学校を出て就職した後も、自分の中で、何かしらしっくり来ない感覚が続きました。一体自分は何人なんだ? 何に誇りを持って生きたらいいんだ? そういった青臭い気持ちになってしまって困ったものです。

 

それで、一度日本の外に出て生活してみようと思い立ちました。勤め始めた会社を辞め、トラックの運転手をしながら金を貯め、ロンドンに行きました。10ヶ月ちょっと暮らし、日本に帰る前に一ヶ月ほどかけてヨーロッパをバックパッカーとして旅行しました。

 

この日々は大変貴重な体験となりました。日本で生活していたときは、殆ど日本人との付き合いしかありませんでした。ところが、ロンドンでの生活、旅行中での体験では、それこそありとあらゆる民族、国籍の人達と会うことになります。それぞれに姿形も違えば、習慣や民族性なども本当に様々です。

 

ところが、とても興味深い感覚が生まれてきました。見た目は違う、習慣や言葉や感じ方、考え方なんかも、本当に目まぐるしいほどに様々。でも、どれほど民族の差、国籍の差があっても、良い奴は良い奴、アカン奴はアカン奴なのです。誠実な人は誠実。嘘つきは嘘つきでした。

 

ものすごく当たり前なのですが、多くの人達と交流するまでこの当たり前のことを飲み込めないでいた訳です。人と交流するのに、民族や国籍の壁など全く意味がない。その人の内実を見て交流するしか正しい方法はない、そういった単純な現実に出会ったのです。

 

それからは吹っ切れました。相手が何人であろうと全く関係ありません。人を人として受け止め、その人の中身とじっくり付き合う。好きな人は好き、嫌いな人は嫌い。信用できる人を信用し、信用できない人には気をつける。こういった当たり前のことが分かったのです。

 

以来、在日韓国人って何? 一体何の意味があるの? 何にも意味がない。韓国人としてプライドを持つ、なんてことも意味ないし、在日韓国人としての誇りを持つ、なんてこともありえない。何人ということ自体が全く意味がない。人間が人間として、中身を充実させ、誰に対しても実の深い思いを持ち、尊重しながら付き合えば良い。そういったことが分かるようになりました。

 

大変楽になりましたね。

 

私が、このブログで 平山栄一という日本名を付けているのは、その方が通りがいいからに過ぎません。これならひらやまえいいち、と簡単に読んでもらえます。随分以前、本名の申榮逸をブログ名に付けていたことがありましたが、誰もこの名前を読むことができません。しんよんいるとは誰も読めません。なので、 平山栄一の日本名を使っています。内地では申榮逸を使いますが。あまりに外国人差別的な発言を受ける事が多いので、始めから名前で韓国籍だということを伝えるためです。

 

沖縄はとても興味深い所です。沖縄では外国人差別を体験することがありません。元々チャンプルー文化であり、外国人も沢山暮らしています。本来こういった在り方が普通です。日本はあまりに日本人が多過ぎ、外国とのふれ合いが少なすぎます。それで、やたら愛国心を募らせたり、無意味な誇りを持ったりする機会も多いようです。全く意味ありません。

 

民族意識や愛国心などドブに捨ててしまえ、というのが私のモットーです。無意味かつ無益ですから。

 

人間は民族や国籍という属性にしばられる必要は全くありませんし、それを以て誇りを持つとか頼りにするとかいうこともあり得ません。日本人とは、ただ日本の国に日本国籍を持って生まれた、ただそれだけのこと。私は日本で生まれたが、たまたま親が韓国籍であり、日本の法律が国籍について血縁主義を取っているので、在日韓国人となった、というだけ。アメリカのように生地主義を取っていたら、私は日本で生まれているので親が韓国籍でも日本人になっていた訳です。血縁主義と生地主義の違いで国籍が分かれるだけです。全く意味がありません。

 

私自身は、韓国人としての誇りも無ければ、日本人としての自覚も無論ありません。単なる人間でしかありません。国や民族に誇りを持つというバカな感覚はチリ一つありません。私自身はただの人間として、自分という個性、人格を如何に磨くことが出来るかが問われている個体に過ぎない、そう考えています。

 

母の話から随分それました。母が他の人達のために優しい気持ちを持っていたという点について、一つ大きな想い出があります。母は、一度だけ日本の外に出たことがあります。北朝鮮に移住した親戚があり、会うために墓参団に加わり、北朝鮮を訪れました。実の姉妹とそれこそ何十年ぶりかで涙の再会をしました。ここでは書けないような体験もしました。

 

その中で、いろんな施設を回り、子供たちの活動にも触れることがあったそうです。いろんな職業訓練のようなこともあったとか。その中で、小さな小さな子供たちが、懸命に懸命にがんばっている姿を見て、涙が止まらなかったと。とてもとても小さな子供たちが、本当にせいいっぱい努力して、成果を上げようと努力していたそうです。それがあまりに痛々しく、可哀想で可哀想でたまらなかったと。何度も思い出して涙を流していました。

 

母は根っこはとても優しい人でした。ただ、やたらめっぽう強い所もあり、父を困らせる部分も多々ありました。そのやりとりを見るのはかなりつらかった記憶があります。気性の激しい人でした。でも、やっぱり優しい人でしたね。

 

あまり多く書けません。また改めます。母についてこれほど書いたことは初めてです。また思い出しながら書き記していきたいと思います。殆ど母のこと以外の話を書いてしまいましたから・・・