平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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この木、倒せるんじゃないか?

もう12,3年前くらいのことだったと記憶しています。その頃、よく太い木を両手でひたすら叩くという稽古をしていました。回数を決め、千回とか二千回とかやっていました。

 

全く根拠なく、叩き続けている内に、両手掌打を続ければ何かしら強くなれるかもしれない。そう思ってました。その頃やっていた全体稽古でも、両手同士での打ち合いというのがありましたから、相手を木に変えただけです。

 

木と言っても様々です。直径2,3センチでも木。直径1メートルでも木です。私が選んでいた木は大体、直径30センチくらいだったと記憶してます。計ってませんから記憶からの想像ですが。もうちょっと太かったような細かったような・・・それほど詳しくは覚えてません。ともかく絶対こんな木、倒せる訳がない、というレベルであることは確かです。

 

あるとき五千回と決めて木を打ったことがあります。雪が舞ってましたから多分1月、いや2月ぐらいだったでしょう。この時はひたすら5千回達成を目指して打ちました。多少手加減をし、5千回のノルマを果たせるように、それが主眼でした。とりあえず達成出来たときはうれしかったですね。身体もポカポカでした。

 

またそれからしばらくして、(少し暖かかったから春時かな?)別の公園で木を叩いてました。この時は多分、二千回か三千回くらいを目標にしていたように思います。強めに叩いてました。少し変化が発生しました。この木が動く訳ないだろうと思っていたのが、打つ方向へ前後に動きだしたのです。

 

そして、その動きが段々と大きくなってきました。2,3センチ幅だったのが、4,5センチ幅に、それがやがて何と10センチ幅、いやそれ以上になってきました。木の直径を入れると、50センチ以上になります。なにしろ横から見てる訳ではありませんから、実際の振れ幅は分かりません。

 

もう木全体がバッサバサ音を立て、木全体が思い切りニギヤカシになってきています。

 

その木が立っている奥に、野球グラウンドがあります。そこで小学生たちがユニフォームを着て練習をしていました。その小学生たちが全員バラバラと1人残らず、野球グラウンドを囲う鉄網のフェンスに張り付きました。少し遠目でそれが見えます。子供たちが言います。

 

「おい見ろ見ろ、あのオッチャン、ものすごいで。あの木ー倒れそうやんけ。」

「ほんまやエグイな。」

 

なんて言ってます。

 

その様子を見たコーチらしき男性が後ろから声をかけてきました。

 

「おいこら、皆何してんねん。こっちにもどっ・・て・・・・・こん・・・・・・か・・・・・いな。」

 

声をかける途中で私が起こしている異常事態に気づいたようでした。声をかけ終わった後、無言で私を見ています。

 

私はもう夢中になって、ひょっとしたらこの木を倒せるかもしれん、と感じ、野球チーム一同ご観戦の中で、さらに両手掌打を打ち込んでいました。・・・が・・・

 

ふと我に返り、これはひょっとしたら倒せたとしても途中で太い幹が折れ、折れ口が逆に自分に突き刺さってきて大怪我をするかもしれん、いや、大怪我をしないまでも、もし折れてしまったり、倒れてしまったりしたら、公園の器物損壊罪とかで罰金を払わないといけなくなるかもしれん・・・そういうことに気づきました。

 

さっと、身を後ろに引き、後は、木のバッサバサの動きが自然に止まるのを待ちました。かなり長い間揺れまくってました。私は呆然としてそれを眺めるばかり。

 

いや〜、本当に気づいて良かったと思います。ひょっとしたら折れ口が私の腹に突き刺さって本当に大怪我をしたかもしれません。大怪我の上に器物損壊罪・・・シャレになりません。

 

ところでこの話には付録があります。大きなお土産をもらうことになったのです。手の甲の付け根、手首当たりが、ぼっこり両方とも盛り上がってます。太い血管が盛り上がるようなそんな感じです。血管ではなく筋っぽい。かなり強い痛みで動かすことができません。勝手に想像してみました。こりゃー、あまりに強い打撃を続けすぎたため、急性の腱鞘炎が起きたんやろな、きっと。ウン

 

理由が分かったものの、全然楽しくありません。その後、7,8年に亘って可成りの痛みが持続することとなりました。やがて治ったのでメデタシメデタシですが。

 

何事もやり過ぎは良くありませんね。

 

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