平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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半跏趺坐合掌 気のボール

稽古のシンプルなメニューを作った。基本的に家から歩いて公園を目指す。トイレもしっかり付いているので(二箇所)安心。公園内で歩行できるスポットもある。基本1時間ほど歩く。そして、半跏趺坐合掌を40分。半跏趺坐(はんかふざ)はネットで、「半跏趺坐 画像」と検索すれば仏さんの写真が出てくる。下半身の半跏趺坐と合わせて、両手は、合掌して掌を合わせて両手を少し挙げる。もしくは、人差し指と中指2本ずつ掌を合わせ、他の指は折り曲げる。さらにもしくは、両手で大きな輪を作って体の前面にふんわり掲げる。注意点は、両手の重みを両肩でがんばって支えようとしない。両手を一体の構造物と考え、背中上部の真ん中あたりにフックがあると想定し、そのフックに両手を含んだワッカの真ん中を、フックにふわっと引っかけるようにする。そうすればがんばって肩の辺りの筋肉を使わなくても良い。

 

とてもじゃないけれど、文の説明では殆ど全く分からないが、とりあえず記述しておく。とてもよい稽古法。何が良いかというと、この稽古で、体幹がしっかり鍛えられるから。これはやってみないと分からない。

 

さらに、合掌のポーズを解いて、両手の掌の指を丸め、両手の掌でボールを作るように掲げる。そして、両手の掌で作ったボールをこねるように、ゆっくりクルクル廻しながら練ってみる。段々と、丸めた掌と掌の間がピリピリしてあったまる。何かしら少しゲル状の物質のような感覚が生まれ、丸で気でできたボール様となってくる。少し離してみたり近づけてみたり。おそらく、気のボールをゆっくりとこねることで、肩周り、背中の微細な筋肉が張り巡らせられるように鍛えられ緻密に育っていく。微細な筋肉は体幹を保持する役割をも助けてくれる。

 

半跏趺坐合掌と気のボール稽古。中々奥が深い。

 

もうひとつ。自分個人の記録。

 

ある方に求められ、私の行っている古武術稽古について教えてほしいと言われたので、スワイショウや推手を以前1度行ったが、2回目を最近また乞われ、同様に行ってみた。主として推手を稽古。ただ両手推手はすぐには難しいので片手推手のみ。お相手は恐らく85キロほどのガッチリタイプ。私は最近体重を減らしており、恐らく72,3キロ。何か武術関連をなさっておられるよう。ただ、やはり力まかせのやり方になるので、私の押しや引きに対応できない。一回、先方の腕と私の腕を接触させたまま、体幹を前にずらして私の腕の圧を少し解放させると、大きく体勢を崩された。不思議に感じられたようで、もう一度片手推手をされたいとのことで、試技に入られた。強い力で押すという同じことが続き、思い通りにいかないようだ。力ではだめだということを分かってもらうために、今回はもう一度、私の腕(片方のみ、先方も片方のみ)を接触させたまま、少し大きく体幹をずらして私の腕を前方へ解放させると、先方の体全体がふっとんでしまい、完全に床面に上向けで転げ落ちてしまう。ここまでの形になることは予期していなかったので、驚いた。幸い何の怪我もなく、頭も打たれなかったので事なきを得た。ほとんど初めての方との稽古は慎重にしないといけない、との教訓を得た。今後、良い稽古相手となっていただき、検証を続けたいと思っている。

 

ずっと、スワイショウや禅、太極拳の型(24式とはかなり異なる)くらいしかしない、というシンプルな稽古をしている。試力(シーリー)や発力(ハツリキ)も稀に混ぜる。こうした簡単かつ反復のかなり多い稽古こそが、最も早く効果が上がり、体幹が磨かれ、早いのか遅いのか分からない、遅いように見えて意外に非常に速い、というような動きができるようになる、と考えている。最近は、四股踏みから少し遠ざかっているので、また復元してみたいとも予定している。古武術の道は果てがなく、非常に地味なものだが、奥が深い。

 

ただ、次のような稽古も非常に実践的で興味深い。仏人の友人に動画を紹介してもらった。この稽古はおそらく、実戦における容赦ない攻撃を想定したもの。さらに他の動画では、簡単に相手の攻撃をいなしてしまう、もしくは同時に反撃するという側面も見せていて、大変興味深い。こうした感覚を持っておくのも大事だと感じた。ただし、そうそう安易に実践することはできない。それこそ緊急の事態でどうしようもない状況下で使わざるを得ない技術かつ動きだと思われる。大変参考になった。こうした状況下には、死ぬまでなってほしくないものだけど。

 

HOW TO KICK THE GROIN! - YouTube