平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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②排外主義

検察庁を訪ねたことがある。

 

私人逮捕というのをしたことがあるのだ。刑事訴訟法213号で定められている。「現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる。」

 

確か15年ほど前のことだった。自転車である大きなスーパーマーケットの前を通りかかったときに、「助けて−」という悲鳴が聞こえた。ふと見ると、女性が仰向けに倒れ、その上に乗っかかって女性の首元を抑えながら、女性の顔を、一人の男性が何度も殴りつけている所が見えた。幸い自転車だったので、大急ぎで現場まで走り寄り、その男性を引き離して取り押さえ、押さえ込みながら、近くにいる人に警察への通報を頼んだ。やがて到着した警官に男性を引き渡し、その男性は逮捕執行された。このときの私の行動は、私人逮捕ということになるらしい。犯行の現場では、現行犯の場合、私人でも逮捕できる。警官の逮捕が間に合わず、緊急性の高い場合は私人による逮捕によるしかない、という考え方からそうなるらしい。別に法律で定めなくても自然にそうなるものと思われるが。

 

いずれにせよ、私は私人逮捕により、警察に協力することとなった。警察署に呼ばれて行き、木人模型のようなもので、私が現行犯人を逮捕した時の様子の説明をしたり、被害者と加害者の様子を説明したり、私が現行犯人を取り押さえたやり方の説明をしたりしたものだ。一通りの説明が終わった後、何故か検察庁へ行ってほしいと頼まれた。? 何故私が行かないといけないのか? 向こうが来ればいいじゃないか、と思ってそういうと、いや申し訳ないがお手間をかけるが、行ってほしいと。そうしないと犯人を立件できないので、と済まなさそうに、拝むように私に担当警官が私に頼み込んだ。

 

全く気が進まなかったが、担当警官があまりに低姿勢で頼み込むので、仕方無く引き受けて、教えてもらった検察庁を訪ねることになった。

 

むろん、内地での経験なので、書面に記す名前は韓国名、申榮逸だ。検察官も最初からそれは認識している。ここで、実に不愉快な思いを味わうことになる。検察官の部屋に行くと、検察官ともう一人、書記係のような人が一人いた。その二人を前に、いわゆる供述を行う。検察官が事件の流れを質問し、私の対応を事細かに私から聞き出すということになる。その時点で何かしらおかしな違和感を感じた。丸で取り調べなのだ。私に対する聞き取り調査のような風情でその取り調べが続いていく。その過程において、随分不愉快な印象を受けた、極めつけの言葉があった。

 

現行犯人を取り押さえた時の様子を説明したときに、最初に男性を女性から引き離し、殴ったり蹴ったりもできないので(逆に暴力になってしまい、怪我をさせてもよくないと判断)、男性の両肩を押さえ、私の両手で男性をはじき飛ばした。むろん強烈にはじき飛ばした訳ではなく、適当に転倒してくれることを想定して押し、倒れ込んだ所を押さえ込んだ訳だ。その時の様子を詳しく説明するように求められ、説明したときのことだ。

 

「私が両手で男性を突き放したとき、その男性はうずくまるように地面に倒れ込みました。」そう説明すると、検察官は、

 

「・・・それはおかしいですね。両手で突き放したのに、後ろ向きに倒れずにうずくまるように倒れこんだのですか? 普通なら後ろ向きに倒れるのじゃないですか? おかしいですね。」

 

その時点で、私は猛烈に不愉快になった。これは一体何だ? 私が丸で共犯のような質問じゃないか。これは説明を求めてるんじゃなくて、共犯の疑いを持った取り調べなのか?

 

あまりに腹が立ったので、実演を試みて納得させようと思いついた。

 

書記官の人に協力を求めた。私の前に立ってもらい、検察官に向かって言う。

「いいですか、この人の様子をよく見ておいてくださいよ。」

そう言いながら、書記官の両肩を軽く突き飛ばす。突き飛ばされた書記官は後ろ向きに倒れず、床にうずくまるように倒れ込んだ。ひょっとしたら、私の言葉と検察官の言葉を聞き比べ、私に同情していた可能性もある。あまりにも検察官の態度、言葉が横暴で無礼だったから。

 

私は言った。

「見ましたか? こうやって肩を突き飛ばしても、相手は自分の頭を守るためにうずくまって倒れ込むんですよ・・・分かったか?」

 

分かったか? という言葉を大きめの声で言った。私は怒っていたからだ。当たり前だ。

 

検察官は、もうしどろもどろになってしまい、言葉を続けられなくなってしまった。人を愚弄するにも程があるというもの、この検察官は完全な上から目線で私に対していたので、話の始まりからずっと不愉快だった。手続が終わり、説明をしたということで署名捺印というのをしたが、これもどうも納得がいかない。どうしても取り調べという感覚しか浮かばない。

 

一つ不安になったことがあり、聞いてみた。今、書面に私の住所氏名を書いたが、この書面をまさか犯人が見ることがあるというようなことはないか? 聞いてみると、落ち着きを取り戻した検察官はこう言ってのけたものだ。

 

「まぁ、弁護士さんの中には犯人に書類を見せる人もいるでしょうなぁ。」

 

この言葉を聞き、よっぽどその書面を破り捨ててやろうかと思ったが、どんな難癖を付けられるか分からない、それに立件の協力を頼み込んでいた担当警官のこともあるので、破り捨てることは断念した。

 

後で思い出し、やっぱり破り捨ててやれば良かった、と後悔したものだ。

 

ところで、内地では私は韓国名を使っている。(48才までは日本名を使っていた。後で説明する)在日外国人差別が存在する内地ではあえて韓国名を使う。なぜなら、通名の 平山を使うと、私を日本人だと思い込み、私の前で在日韓国人差別の発言をする人がけっこういるからだ。何回もその体験をしている。特に不動産仲介の仕事をしていたとき、言われることがあった。物件を探してもらうときに言われる訳だ。

 

「今、あなたに不動産の物件を探してもらってるけど、まちがっても、キンとかゲンとかガンとかボクとか川向こうの人らが近くにいるような所だけはよけてくださいよ、平山さんを信じてるからこそお願いしますよ。」というようなことを言われる。私は一応仕事なので、仕方無く、

 

「大丈夫ですよ。気をつけて探しますよ。」と答える。

 

ただし、48才のときにそれがすっかりいやになり、顧客のすべてに対して、私が在日韓国人であることを説明する文書を作り、韓国名を署名して配布したものだ。このときは本当にすっきりした。(説明した後には様々なドラマ模様があったが、いい経験だった。)それから独立し、韓国名で仕事をするようになった。以来、内地ではずっと韓国名 申榮逸で通している。沖縄では在日外国人に対する差別が無いので、通りのいい日本名  平山栄一を使うというようになった。

 

この私人逮捕の一件について、友人に説明したことがある。非常に驚いていた。一通りの説明を聞いた後、彼はボソっと言ったものだ。

 

「う~ん、そらアカンな。やっぱり差別ってあるんやな。」

 

彼自身は、いわゆる外国人差別、特によく聞かれる在日韓国人在日朝鮮人差別というのがあるということについてあまり情報を持っていなかった。私のこの話を聞いて初めて、在日外国人差別というのが存在する、という事例に遭遇したという訳だ。

 

私自身、この在日韓国人という、社会における立ち位置については、その環境で過ごせてとても良かったと思っている。人生を送りながら、差別の体験を受ける、ということは、私と同様の、いやそれ以上の不愉快な、かつひどい扱いを受けている人たちと思いの共有、交換をすることができる、それは結局、自分という人間の錬磨、陶冶に繋がる、そう受け止めているからだ。私がもし、当たり前の日本人として日本で生まれ育った場合、そこまでの考え、知識を獲得することが出来なかっただろう。なので、この立ち位置には、とても感謝している。

 

同時に、用心もしている。関東大震災では多くの朝鮮人が虐殺された。朝鮮人大虐殺として史実になっているが、最近ではその史実を歪められ、そういった史実は無いという主張をする者まで顕れてきている。歴史修正主義の嵐が日本では、この数年来、さざ波から強風に塗り変わった。日本の社会は完全な差別社会であり、様々な人種差別、門地差別がある。少し知る者には常識だが、多くの人が日本は差別が無いと思っている。それは大きな勘違いだ。

 

今の日本、排外主義が進んでいる。油断していると、あっという間に排外主義が浸透し、差別を受けている者は、人生を紡ぐにも危険を覚悟する情勢に気をつけなければいけなくなるかもしれない。そのリスクを回避するためにも、様々に勉強し、リスクヘッジを研究し、なおかつ信頼できる仲間作りをしなければならない。真剣にそう思っている。

 

(訂正付記)

時系列で記憶に誤りがあった。私が不動産の仕事で独立したのは39才のとき、名前を日本名の 平山栄一から申榮逸に変えてその説明書面を作り配布したのは、おそらく42才か43才のときだった。いずれも随分前のことなので、昨日、文を作成したときにうっかり間違えてしまった。人間の記憶って本当にいい加減なものだ。自分の記録だが、間違いがあってはいけないので、訂正して付記しておきます。