平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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右手の爪をやっと伸ばすことができるように・・・

右手の爪をやっと伸ばすことができるようになりました。爪を伸ばす? 何故?

 

ギターの練習を再開するためです。確か小学校5年くらいから、2年か3年ほど、クラシックギター教室に通いました。友達がギター教室に通い始め、何だかうらやましくなって、金魚のフンのように私も追随することになった、という経緯です。教室で習ったのは2,3年、後は自分で稽古を続けました。ただ、基本を最初に学んだおかげで、一応正統的な奏法を身につけることができたようです。

 

ただ、私の場合、本業の他に介護の仕事も携わるようになりました。介護の仕事では爪を伸ばすことは厳禁です。それでもたまに少し伸ばしてギターを弾いたりしてましたが、やっぱりダメだなという状況が発生したりして、基本的にギターの弦をつま弾くことが出来ない日々が続きました。

 

ところが、昨今の詐欺コロナで(もうコロナ騒動とかコロナ禍とか書くのもおかしいので・・・はっきり詐欺ですね)介護の仕事ができなくなりました。昨年の3月の時点で、コロナのウソ、詐欺に気づいたのですが、それでも介護の仕事をしている以上、マスクを着けないといけません。それでとりあえずやむを得ない時はマスクを着けてたのですが、健康上の問題が出てきました。

 

昨年の梅雨のハシリの時期に、ある介護現場でマスクを着けていたとき、高い湿気のためにマスクが顔にピッタリ張り付いてしまいました。何か息苦しいな、と感じ始めたその直後、息苦しいというレベルではなく、はっきり、これはすごく苦しいという感覚になりました。ふと気がつくと、脈がすごく速くなってました。一分120回以上になってます。さらに速さのピッチも増していく様子。じっと座ってるだけなのに・・・ おまけに目眩までしてきます。利用者さんに気づかれないように、マスクの端を持って隙間を空けたりもしましたが、息苦しさの緩和は多少あっても、改善はされません。ものすごく長く感じたケース時間が終わって外に出たとき、本当に生き返ったような気になりました。あのまま我慢し続けてたら倒れていたかもしれない、そういうレベルの苦しさでした。

 

結局その現場は離れることになり、他にも離れざるを得ない現場が増えることになりました。当然、収入は減ります。

 

仕事場の移動があり、別の介護の現場に着くことになりました。業態は違います。でも今度はできる限り何とか指示される通り、がんばってみようと思い、言われる通りやってみました。ところが、現実には以前の仕事場よりも遙かに厳しくマスク装着が求められます。仕事時間の開始から最後まで。さらにアルコール消毒の徹底・・・ マスク装着とアルコール消毒で本当にフラフラになってしまいました。その結果・・・介護の仕事一切を諦めることにしました。

 

以来、マスクをしない、という決断をすることとなります。そこで、ハローワークにも行きましたが、マスクをしないで済む仕事を探したものの、本当に全くありません。中にはあるのかもしれません。出会わないだけなのかも。でもハローワークの担当者さえ、マスクをしないで済む職場はまずありませんね、とあっさり宣告する始末。

 

私がマスクをしないのは、自分の健康のためだけでなく、子供たちの命と未来を守りたいという意図のため、ということもあります。一人でも多くの人に気づいてもらい、マスクを外すきっかけが増えるようになって欲しい、との思いです。非常に難しい状況ではありますが、アナログでマスクを外している人がいる、ということに気づいてもらう訳です。自分1人の生活日常における顔面の様相を、2019年にタイムワープさせるってことですね。思えばそんなに大したことじゃない・・・いやまぁ、少々タイヘンかも・・・

 

ギターの話をするつもりが、マスクの話でとんだ方向にいってしまいました。閑話休題

 

楽器の稽古というのは不思議なもので、かなり長く練習を続けた期間があると、多少のブランクがあってもスキルはそれほど落ちないようです。私の場合、下手すると10年以上、ほとんどギターを弾かない状況が続きました。それ以前にも仕事が忙しすぎて弾かない時期がありましたが。今回の介護仕事期間中は、まず全く弾きたくても弾けないという状況でした。

 

でも、今後は、介護の仕事をしない、いや出来ない訳ですから、右手の爪は自由に伸ばすことができます。ある意味、ギターの練習には全く事欠かない、ということになります。これは大変嬉しいことでした。

 

今では充分過ぎるくらい右手の爪は生えそろい、それぞれの指の形状に応じた爪ヤスリでの修正も完了してます。後は稽古あるのみ、ですね。

 

知人のフルート演奏家のお話では、とにかく基本の稽古を徹底する、それしか楽器演奏の上達法はない、とのことでした。古武術の稽古に似てます。なので、音階練習の徹底、そしてアルペジオ、アルアイレ奏法の練習、そのための練習曲の徹底、さらにトレモロ奏法の練習・・・

 

やることは限りなくあります。以前は弾けてた曲が今では弾けなくなってる、そういう曲を引っ張り出して、弾けるようになる、という作業も必要です。簡単な曲から始めて、少しずつ難曲にも挑んでいく、ということになります。

 

昨今の人生行路において、ギターどころじゃない、という状況があるのは重々承知していますが、人生において何らかの色がないのはあまりにも寂しい。ギターを自分の人生の一つの色として、今後も稽古を続けていきたいと思っています。

 

弾けるようになりたい曲の一つに、「アルハンブラ宮殿の想い出」があります。とても有名な、トレモロ奏法のみで成り立っている曲です。トレモロ奏法におけるミスタッチをどこまで減らせるか、ということが大きな課題です。一つのミスタッチもなく、この曲を、曲想の色合いも濃く完全に演奏できるようになる、それが大きな目標です。セゴビアやイエペスをもしのげる位の演奏ができるようになりたい! 本気でそう思ってます。まぁ思うのは自由ですから。

 

思い出しました。高校生の頃、ギター同好会に所属していました。2年生から2年弱、入会してました。その頃、文化祭の発表会があり、友達と3人で合奏をしました。私はメロディーパートを受け持ったのですが、その時の音色が、これまでのギター演奏で最も良かったように思います。2万円の安ギターだったのですが、なぜか、本当にきれいな音が出ていたように思ってます。本番前の練習の時に横で聞いていた友人(同好会の人ではなく見物の人)が、お前、何でそんなきれいな音出せんねん、と本当に感心したように言ってくれてましたから。このときは素直に嬉しかったですね。自分で自分のひねり出した音に酔ってたのですが、それを友人にも認めてもらえて、あぁ、やっぱり人にも心地よく聞こえてるんだなぁ、と感じ入ったものです。残念ながら、今ではあの音は出せません。

 

そのときの音をもう一度・・・自分のささやかな願いです。