平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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義を見て為さざるは勇無きなり

義を見て為さざるは勇無きなり

 

有名な孔子の一文。紀元前500年ほど前に活躍されていた人だ。今が2021年、足すことの500年。約2500年以上も前にこうしたことが言われてた訳だが、実践できる人は思いの外、少ないということだろう。この言葉を知っている人は多い。気にもとめないのだろう。今の世の中、カネだから。

 

この言葉の意味はとても分かり易い。義とは正義、やらなければならないこと、やるべきこと、やるのが当たり前のこと、それを知っていてやらないのは勇気がない、ということだ。そういう意味。

 

今の時代に最も分かり易い「義」は、ウソコロナ騒動における嘘と詐欺を人に伝え、救う努力をする、ということだと思う。

 

しかし背景として、コロナがすべて嘘、詐欺である、ということが殆どの人に流布していない、という状況がある。私が今ブログで書いているようなことは、殆どの人からつまはじきされる。アイツはおかしな奴だと思ってたが、とうとう本当に頭がおかしくなったんだな、などとバカにされる。

 

ファイザー社元副社長マイケル·イードンも言っている。同僚からも友人からも避けられてしまった、と。私も同じ。多くの友人を失ったし、仕事にも就けなくなった。前の仕事は居住地を移動する必要が発生したことで失職したが、マスクを着けないと決めたことで全く仕事に就けなくなった。

 

これはとても分かり易い事例だ。今のコロナ禍でマスクを着けない? 何なんだ、お前は。マナーもエチケットも理解していないのか。自分以外の人たちの安全と健康を考えないのか。自分勝手も甚だしい。人間として大人として落第だ。何? 仕事をしたい? 寝言はおととい来て言え。そんな感覚なのだろう。

 

マスクを着けると本当は誰でもに健康被害が起きる、私の場合は特にその傾向が強く、介護仕事現場で待機中、マスクを着けていて頻脈と目眩で失神しそうになった。以来、最低限のマスク装着の他はマスクを着けないようになった。ふだん身体を動かすことが多く(古武術稽古がある)酸素吸収を人より多く身体が求める。なのでマスクは着けない。満員電車でも店でもどこでも着けない。仕事の現場のみで着ける。だが、前職を退職し、移動して後は、もう着けないと決めた。マスクの嘘、有害性を完全に理解したのと、1人でもノーマスクを続けることに意味がある、と考えたからだ。

 

特に子供たちへの害が大きい。いま、ウソコロナ騒動2年目の夏、全国で熱中症が起きている。当たり前だ。このクソ暑い日本の夏に、朝から晩までマスク、体育や音楽の時間にもマスク・・・常軌を逸している。死亡事故や救急搬送が起きたときには、教師は強制はしていないとか言って責任を免れようとする。しかし、これは政府と学校現場合体の上で行われている犯罪である。未必の故意による殺人罪と言ってもよい。いや、ひょっとしたら明らかに殺意を持った故意の殺人罪とも言えるかも知れない。なぜなら、誰がどう考えてもマスクを着けてプールに入らせたり、走らせたり、音楽授業で歌わせたりしたら、体調が極度に悪化するのはわかりきったこと。そしてその状況が日本中で起きている。学校現場もそれを知っているし、国も知っている。なのに子供にまだマスクを着けさせ続けている・・・

 

この状況を何とか改善したい。学校現場や国に期待するのは無駄だ。何もしない。と言っても、1人でできることは限られている。

 

連携できる専門家、及び、相当数の同じ意志を持った人間の集合が必要だろう。弁護士は必須なのだが、カネもいるし、弁護士自身のウソコロナに対する勉強と理解が必要となる。アメリカやイギリス、ドイツなどでは覚醒した弁護士がたくさんいるのに、日本ではそういう者がいるという話を未だ聞かない。

 

まずは探してみよう。私はカネはないが、情熱だけはある。

 

ともあれ、

 

義を見て為さざるは勇無きなり。当分、座右の銘にしておこう。

 

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