平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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バリアもしくは制空権のイメージ

空手の稽古をしていた時に、空手の実力の自分としての最高時は27、8才の頃だったように思います。20才頃から空手の稽古を始めましたから7,8年の修行をした頃と言えます。ちょうど、ロンドンの空手道場で稽古していた頃でした。

 

組手稽古もけっこう有り、いろんな方と組手稽古をしました。小柄な方もいましたが、大抵は私より遙かに大きな方が大勢いました。印象を受けたのは、私より少し大柄だけどそれほど変わりのない体格の方です。ベテランの方でした。年齢は私より可成り上。動きはあまり大きくないのですが、なぜか中に入ることができません。勉強になりました。

 

もう一人、印象に残った人がいます。身長2メートル、体重100キロの大型選手です。この方との組手では、力で完全に圧倒されました。回し蹴りをまともに受けると吹っ飛んでしまうような状況。中に入るも何も、何をどうしてよいやらさっぱり分かりませんでした。悔しいですが、本当にどうにもなりませんでした。ちなみに、普段はナイスガイの青年、確か年齢は私より大分下で、21才くらいだったと記憶してます。ビッグベンの警官で、わざわざ私を案内してくれたものです。キョロキョロ辺りを見回し、こっそり、会議室か何かの表示ペーパーを外し、記念にしろと言って私にくれたりしたものです。この道場ではいろんな稽古生にとてもお世話になり、感謝してます。懐かしい思い出が多々あります。

 

空手は35才くらいで稽古を止めました。20代の時の内容の稽古を続けている内に、心肺機能にとって宜しくないという感覚が出たためです。サンドバッグを猛烈に突き蹴りする稽古をしている内に、脈が飛びます。そして、そうした激しい稽古をした後、妙に疲労がたまる感覚が2,3日後に出ます。おそらく活性酸素の蓄積が続いたのだと思います。これでは、体の健康が損なわれる、そう気づきました。

 

ブランクの後、中国拳法の稽古に切りかえました。地味な稽古を積み重ねることになりました。一部激しい稽古もありますが、極力、心肺機能を痛めない形の稽古となります。今では個人での修行が主となっています。ごくまれに対人稽古のお相手を見つけ、稽古することもありますが、主には一人稽古が殆どとなります。

 

その中で、大いに気づくことがありました。地味に体を磨き続ける一人稽古は、自分の周囲のバリア空間が広がる、ということです。バリア空間で伝わりにくければ制空権と言った方がいいでしょうか、簡単に言えば、誰かと立ち会いの形になったときに、相手が入ってこれないというエリアを確保する、という感覚です。もしくは、そのエリアに入ってこられた時は、いつでもこちらが対処し圧倒できる、というイメージ空間です。

 

これは自分で感じるもので、相手にとっては分かりにくいものかもしれません。ただ、最近は何となく通じるものだということも分かってくるようになりました。目の力というのも本当にあるのだ、ということも理解できます。

 

組手でドンパチすることに今では殆ど興味がありません。相手を害したり自分が痛んだりするのはもう真っ平です。そんなことを続けていたら自分の武術稽古すらできなくなります。ということは、自分のバリアも小さくなってしまうということです。

 

ドラゴンボールという漫画がありますが、これ、実はとても参考になります。バリア感覚のイメージで、球体バリアのような空間が出来、そこには誰も入れないという表現を見ますが、とてもよく納得できます。この作者、ときどきクンフーの動きを詳細に再現するアニメーションを作ります。手の位置を変えないままスタンスを微妙に動かす、という表現などもとても面白い。相手の実力を量るとか、予見的なことが分かるとか・・・面白いです。

 

ところで、ロンドンのビッグベンのお巡りさん、身長2メートル、体重100キロの巨漢ですが、さて、もし今の私がその彼と立ち会いしたらどうなるでしょう? 既にウン十年経過してます。今の私のイメージでは、そう遜色なく、立ち会えるのではないか? との想定があります。むろん、バリア感覚、制空権確保の感覚によるものです。やってみなければ分からない? その通りですが、こういう感覚を自覚し、想定し、磨き続ける・・・そういった一人稽古はとても楽しいものです。2人稽古、自由推手などで検証もできます。

 

人間の身体の動き、身体能力とは計り知れない奥深さとナゾがあります。そのナゾに挑戦し続けていくのは、本当に楽しい作業です。