平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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電話をかける

ツイッターって何? 

 

ツイッターって何となく機械的なイメージがあります。フェイクも入ってるだろうと。AIも当然使われていて、生身の人間以外が創作してるとか。ChatGPT(チャットGPT)というものも最近はやり始めてます。内容のあらましだけ覗き見しましたが、全く興味が起きません。人間の頭をバカにするための作戦か? などと思えるばかり。人間が自分の脳みそを使わないで、AIにどんどんコンテンツを並べさせ、それを見て、どうだうまく作れただろう、なんて思うなんて・・・バカですね。人間をバカにしている。人間を劣化させるために、AIが思いつき、人間世界に殴り込みをかけている、ということなんじゃないか、とSF的発想で批判するのが正解じゃないですか?

 

私の思い違いなら嬉しいのですが。それより、本を読む、解釈する、考える、そういった作業の方が、まだマシな感じがします。それに負けず劣らず大事なのは電話をかける、ということじゃないか、とも感じています。

 

電話をかけるということそのものが減ってませんか? むしろ、電話をかけるよりメールを、いや、メールはもう古びてしまってる、ツイッターで、いや今は、インスタグラムだ、フェイスブックだ・・・本当にそうでしょうか。電話というアナログは結構考えないといけないし、即座のやりとりしないといけないし、相手の考えを読まないといけないし、さらに楽しく話した方がいいし。いや、大事な電話の中では、抗議することも怒りをぶつけることも、意見を交わし討論することもあります。そして、そういった難儀なことを回避する人は沢山います。

 

傷つけられることを畏れている、そういう感覚が多くなってきている、そう感じています。それって少し哀しい話ですね。傷つけられることを畏れていては何もできません。勇気をもって前に出ていき、傷つき疲れることがあっても、それに耐えつつ自分をも磨く、時には戦線逃避があっても、前線撤退はやらない方がいい、と思います。やむを得ないときは一旦退避する、そしていずれまた復帰する、それは有りだと思います。

 

人間のやることを何もかも機械化していくのは、退歩への誘い。人間の劣化に繋がります。ツイッターを私も一応使っていますが、殆ど意見発信してません。ごくまれに出すこともありますが、すぐに飽きてしまいます。繋がっていきません。自分の今書いているブログを紹介するだけになってます。その方がツイッターにはまらなくて楽です。ツイッターはやっぱりあまり信用できない。AIの絡みを軽く考えてはいけない、と思います。ロボットでもツイッターは書けるんじゃないか、なんて思えてしまいます。

 

インスタグラムは私には分かりません。踏み込む気も無い。やっぱりアナログで、文で、そのコンテンツで呈示するというのが大変なようで楽です。シンプルな写真はまだいいですね。写真、そうだな、いろんな自然の写真もいいかも。人間の写真もいいかも。動物も。

 

いろんな媒体を使いこなすよりも、できるだけ少ない媒体で中身の濃い発信をできるようになりたいですね。

 

当面は、本をもっと読み、考え、そして文をしっかり書く。そういった作業を重視していこうと思います。