平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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初めての裁判傍聴

考えてみると、裁判の傍聴というのに参加したのは、生まれて初めてでした。その貴重な傍聴参加をしたのですが、あまりのあっけなさに愕然としました。裁判長他裁判官と、原告と被告、そしてその前に傍聴席があるんですね。

 

さぞかし、いろんな言葉、話のやりとりがあるのではと思いきや、裁判長が勝手に話の流れを決め、突然、文書を原告に渡し、そしてもう、すぐに終結の方に持っていこうとする・・・何の論議も話もありません。驚きました。

 

原告の話を聞く中で、あれ? こんなことじゃ何にも見えない、事件に関する何の検証もできない、要はお話にならない、ってことだけが見えてきます。

 

第六感で感じたこと、この裁判、始めから裁判長が結論を決めている、もう全く何の検証もする気持ちがない、双方の言い分を聞いて、とかいう発想も微塵もない、ということなんだな、と。

 

原告が訴えた相手側は行政現場の者たちでした。要は公務員。そして裁判所の裁判長や裁判官も公務員。何となく感じました。お互い公務員同士でなれ合いをやっているということなのかも?

 

当然、原告側の主張なんて全く聞く耳がありません。原告側の主張に関する検証もしません。質問もしません。裁判長の頭の中では、とにかく早くこの裁判を終わらせたい、という考えばかりのようでした。

 

何だかね。司法も行政も丸でグルなんだなぁ、と思いました。言い方としては好ましくありませんが、司法もヤクザ、行政もヤクザ、差し詰め、日本政府というのはヤクザの大親分、というような役回りなのかもしれません。

 

今回の被告の行政体、コロナワクチン接種をとことん推奨してきた者たちの集まりです。いまだにコロナワクチン接種推進の立場にいます。私の感覚からすれば、単純に犯罪者の集団というイメージしか持てません。言い過ぎ? いや、ニュルンベルグ裁判とされる司法では、普通にそういった対象になってしまう、とも聞いています。

 

コロナワクチン接種の毒性を知っていて、それでも多くの人たちに接種を薦め、大金を稼ぎ続けてきた医師たちも、有罪となり断罪される、という話も聞いています。第二次大戦後のホロコースト、ジェノサイドを断罪するためのニュルンベルグ裁判にちなみ、コロナワクチンの問題に関連する加害者を、ジェノサイドを罰する裁判として、ニュルンベルグ裁判として断罪されるものだ、ということですが、私はまだその詳細は知りません。

 

いや本来、そうあるべきだとは思いますが、現実はまだ分かりません。情報は幾重にも錯綜していて、実際にどのような状態なのかは分かりません。

 

今回私が傍聴した審判では、コロナワクチン接種がテーマとはなっていませんが、その背景としては関連する部分があります。不思議なことに、コロナワクチン接種による多くの人たちの死亡が、まだ断罪されてはいません。製薬会社の不正、かかわる国々での不正、医療界の不正、などなど、数多くの不正が為されているにも関わらず、まだ全く断罪されてはいません。

 

単純に思うのですが、今の世の中、まず一義的に金のある所が大きな顔をしています。分かり易く言えば、大金持ちの製薬会社、そして高給取りの公務員、さらに製薬会社絡みの医師なども、皆大きな顔をしています。皆お金持ちですね。そこにさらに司法の連中もいます。司法と呼ばれながら、一体どれほどに正義と公平を保っているでしょうか? 丸でそういう印象はありません。やはり自らの保身、そして金の絡みもあるように感じます。

 

あくまでも私の憶測ですが、現在の日本にまともな司法は存在しないと感じています。

 

いやもうやめましょう。こういうことを書いていると段々と落ち込みます。こんなデタラメな者たちが世間を牛耳っているという状況に、本当に情けなくなります。

 

日本の社会の堕落はひどいものですが、結局、カネ、それも詐欺と虚偽、さらに不正と横暴、そういった有象無象のデタラメさで自ら没落していってます。共倒れにはなりたくない、そのためには意見をする、抗議をする、そしてめげない。

 

多少つらい気持ちもありますが、子どもたちの顔を見ていると四の五の言ってられません。