「女性国際戦犯法廷」に関する書籍紹介
この3月15日に以下の記事をアップしました。
「沈黙の歴史をやぶって」 動画紹介 - 平山栄一記録簿 想哲理越憂愁
恐らく殆どの人が知らない、女性国際戦犯法廷という試みについての記事です。私もこの情報は長らく知ることがありませんでした。これまで色々な記事を書きましたが、この記事が最も読者数の少ないものとなりました。想像していた通りでした。残念ながら、日本において、第二次大戦での想像を絶する性被害事件(従軍慰安婦と通常言われますが、この名前はあまり感心しません。彼女たちは被害者であるという属性を否定するかのごとき印象を受けます)について、若い方々は殆ど正確な知識、情報を得ていず、政治家やマンガ本から恣意的なバッシングに惑わされています。
もっとも重要なのは、3月15日の動画発信もそうなのですが、書籍での理解が非常に重要な方法だと思います。ハードカバーの2点をまず記録します。
記録の状況がばらけましたが、取りあえず載せます。
全部を読むのは大変なので、私は、被害者の証言部分を主に読みました。本当は全部読みたいところですが、残念ながら時間がかかりすぎ、他の本に手が回らなくなるので、まず、証言部分に注目しました。残念ながらこれらの証言を読んでも、捏造だとか虚偽だとか言う人が多々居ます。読めば、真実であることはすぐに分かります。
もう一つ、80ページほどのペーパーバックがあります。これはすぐに読めます。お奨めです。
上記のいずれも、図書館で読むことができます。すべての図書館にあるとは言えませんが、見つからない場合は、他の図書館からの借り入れができるはずです。私はよくその制度を使います。
このペーパーバックの中の2箇所を書き起こししました。縮刷版なので、証言などの全体の把握はできませんが、イメージは掴めると思います。性被害事件の被害者は多くの方が泉下に入っています。もう何年もしない内にすべての方が亡くなります。生存者がいらっしゃる間に、できるだけ多くの方がこの出来事に対する理解を深めていただければと思います。
書き起こしは以下です。
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「法廷」はどんな目的で開かれたのですか?
「法廷」を開いたそもそもの動機は、被害女性たちの正義、裁きを求める声に応えることでした。というのも、日本軍性奴隷制である「慰安婦」制度そのものを、単なる売買春だとか公娼だと見なして、政治性暴力であり、女性に対する戦争犯罪であるという歴史的事実そのものを否定し、あるいは隠蔽してしまおうという動きが日本で強まり、教科書からも記述を削除してしまおうという事態になったからです。「慰安婦」は売春婦だという人気マンガ家のマンガ本が何十万部と売れ、「慰安婦」問題の集会では右翼団体の人たちが来て、「慰安婦は売春婦だ!」「金をまた要求するのか!」といった侮辱的な言葉を叫んでいます。「慰安婦」問題がタブーになりつつあるのです。歴史教育で戦争など現代史を充分学ぶ機会のなかった若い世代の中には、そのような見方の影響を受けている人もふえています。
加害国日本でこのような事態は、被害女性たちにとっては、とうてい耐えがたい屈辱です。それはセカンド・レイプともいえる暴力です。自らの人生を奪った性奴隷制、「慰安婦」制度が一体どういうものであるかを明らかにしてほしいという彼女たちの切実な気持は当然のことでしょう。
「法廷」には二つの目的がありました。一つは、「慰安婦」制度がどんな犯罪で、だれに責任があるかをはっきりさせて、日本政府に賠償などの法的責任をとらせるという日本の戦争責任に関わることでした。さきにふれたように、戦犯の処罰は日本ではタブーでしたし、「慰安婦」制度についても、日本の裁判所は、政府の言い分をそのまま鵜呑みにし、国際法を問い直し国際的な潮流から取り残されたような時代錯誤の解釈をとり続けています。ほとんどの判決で国家の賠償責任(民事責任)を否定していることは先に述べた通りです。ましてや、刑事責任、つまり、責任者の処罰を日本の裁判所に期待することなどはできません。実際、韓国の被害者たちが、94年に、告訴・告発状を日本の検察庁に持っていったときに、東京地検は受け取ることさえ拒否したのです。
しかし、戦後、日本は自ら戦争犯罪を裁こうとはしませんでしたが、戦争犯罪の中でも女性に対する犯罪については、どの国も裁かなかったのはすでにふれた通りです。女性たちがそれに対してノーと声をあげ、戦時性暴力不処罰をそのままにしてはならない、加害者をきちんと裁くべきだという女性運動が国際的に広がったのです。
こうした状況をふまえ、「法廷」には、もう一つの目的がありました。戦時性暴力の不処罰に終止符を打ち、そのような戦場での暴力を防ぎたいという世界の女性の人権問題に貢献することでした。グローバルな市民社会による民衆法廷ですが、女性が中心になって開いたことには、国際法を男性中心から女性の手にという意気込みがありました。
実際、今日世界各地で武力紛争が頻発して、女性たちにすさまじい暴力が加えられているので、「東京法廷」で三日間、審理が行われた翌日、「現代の紛争下の女性に対する犯罪」国際公聴会を開いて、15の紛争地域の性暴力被害女性の証言を聞きました。どの証言も集団強かんや性拷問など残酷極まりない体験ばかりでした。50年以上前の「慰安婦」制度の不処罰が現在も戦場で暴力が猛威をふるうことにつながっているともいえます。従って、過去から現在、そして未来へ向かって、ジェンダー正義を実現させることを、「法廷」はめざしたのです。
被害女性たちは「法廷」で、どんな証言をしたのですか?
東京での「法廷」には八カ国から六四名のサバイバーが参加しましたが、その中には、初めて名乗り出た東チモールの被害女性二人や、中国に連行されてそのまま残留した朝鮮人「慰安婦」などもいました。また、日本人「慰安婦」は、ほとんど名乗り出がなく、被害者本人は出廷しませんでしたが、日本検事団がその手記を紹介し、資料を示すなどして被害実態を明らかにしました。ハーグでの「法廷」には、パプア・ニューギニアの「慰安婦」被害女性の孫や、タイで被害女性を初めて発見した研究者二人も新たに参加しました。
法廷での女性たちの証言は、それがいかに多感で未成熟な少女時代に受けた被害であるのかを浮かび上がらせました。当時12歳だった北朝鮮在住の金英淑さんは「私があまり幼かったため、軍人は私の性器を刃物で切り広げて強かんした」と述べ、「慰安婦」制度の子どもに対する性暴力という側面を世界に印象づけました。
どの証言も、慰安所での生活はまさに権力と暴力による身体の奴隷化であることを明らかにするものでした。
「私たちはまるで動物のように扱われた」(東チモールのエスメラルダさん)、「私はいつも痛みで泣き叫んだ。彼らに銃剣で突かれ、いつも震えていた」(フィリピンのマキシマ・レガラさん)、「暴力から身を守ろうとすると殴られ平手打ちをされ、体はボロボロになった」(インドネシアのスハナさん)、「言うことを聞かないと赤く焼いたものを背中に押し付けられた」(韓国の文ピルギさん)などの証言はいずれも性奴隷の実態を明らかにするものでした。
「なぜ逃げることができなかったのか」という疑問に対して、「逃げようとしたけれど捕まってしまった」(金福童さん)というように、逃亡をはかった女性には凄惨な懲罰が加えられたのです。たとえ、鉄格子がなくても、言葉も通じない異国の戦場で逃げることは不可能でした。それこそがまさに自由を奪われた奴隷状態だったのです。中国山西省の万愛花さんは三回逃亡して、三回とも連れ戻されました。三度目に捕らえられた時、「軍人は私を銃床で殴り、足を蹴り、太い棒で押さえつけていすに坐らせて拷問した。そして私は裸にされ庭の木に吊され、何も分からなくなるまで殴られた」と証言して、気を失いました。
強かんの日々のなかで、妊娠、流産、死産、中絶、子宮摘出など女性のリプロダクティブ・ヘルスを損なうような苦痛の証言もありました。台湾の盧萬妹さんは慰安所で妊娠させられ、生んだ子どもは間もなく亡くなりました。インドネシアのマルディエムさんは妊娠して、無理やり中絶させられました。
このような女性たちの苦しみは戦争当時に限らず、今日まで続いているのです。
年老いた被害女性たちの勇気ある証言に感動した判事たちは謝意と激励の言葉をかけ、判決の中に証言を克明に記録しています。そして、判決は最後のパラグラフで彼女たちの勇気を讃えています。