平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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人間

人間ってあんまり大した生き物じゃないなぁ、ってことを漠然と感じ続けてきたが、もう年齢を重ねる毎に、漠然とどころか確信になってきている。一体どこの国でまともなことがやられてるか、丸で分からない。元来、国って何なんだろう?

 

民族という分類もあった。で、民族同士でいがみ合い殺し合い差別し合う。不毛なことが世界中で行われている。

 

コオロギみたいなものだな。コオロギは何故か共食いの習性がある。コオロギが集団で移動することがあり、車でその一部が轢かれると残ったコオロギが死体を食べるとか。そもそも共食いが普通とか。

 

人間ってコオロギと同じだな。人間も虫も実はあんまり変わらないのかもしれない。

 

この100年くらいの歴史を見ても、いろんな民族同士の差別があった。ドイツでも日本でもセルビアでもイギリスでもアメリカでも中国でもどこでもあった。虐殺も普通に多発してた。例えば、ユダヤ人はゲルマン民族から、朝鮮人は日本人から殺されてた。双方ともほんの7,80年前の話だ。

 

人間だからって偉そうにできる発想は微塵も持たない方がいいんだろうな。むしろ、想像を絶するほどに愚かな生き物だということを自覚して、とことん謙虚になった方がいい。

 

間違っても政府の人間だからエライんだろう、とか、官僚というのは勉強してるからエライんだろうとか、学者というのもとってもいろんなことを知ってるからエライんだろうとか、決して思わない方が良い。ニセモノだらけ詐欺だらけ。それでもエライって思ってしまう人はたくさんいる。

 

人間の怖さをあまり自覚できていない人が多すぎる。霊長類なんて言葉を思い出した。人間を含めたサルの仲間だ。う〜ん、まぁ、人間とサルをひっくくって、他の動物を区別してるのかもしれないが、ということは、人間とサルはほぼ同類ってことか。

 

そう受け止めてみると、人間って本当に大したことの無い生き物だってことが余計に身に染みてくる。

 

それでも自分で何とかして、人間として少しはマシな、少しは生きてて良かったと思えるようなことをしでかしたいものだ。そのためには、やっぱり謙虚になることが大事なんだろうな。

 

しかし今の日本社会、カネがものを言い過ぎる。そこの所がやっぱりかなり難しい所なのかもしれない。だから日本では詐欺やドロボウが政治というキワモノで多発するんだろう。

 

最近当たり前のことに気づいた。もっと本を読まないといけない。中でも歴史書なんかももっと読まないといけない。そして自分でよく考えないといけない。いろんな分野において、自分が何とかがんばって専門家にならないといけない。でないといろんなことが見えてこない。

 

多少見えたところでたかが知れているが、何にも知らないよりははるかにマシだろう。マシな人生を自分で作るしかないということだな。納得しておこう。