平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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巨大なウソ

これほど巨大なウソが、日本だけでなく世界中で駆け巡っているという時代は珍しいと感じている。そのウソは留まる所がなく、組織的に巧妙に世の中のあらゆる組織に混ぜ込まれ、人々はそれを日常として受け入れ、懸命に義務を果たそうとしている。

 

ところが、その巨大なウソに対して疑問を持ち、様々に調べてみた人は、その虚妄に呆れ驚き、巨大なウソから逃れようと試みる。しかし、政府という名の見かけ倒しの統治機構の殆どが、そのごく一部の目覚めた人たちを危険人物だと指定し、排斥している。時にはウソを見破り、科学的医学的根拠も提示し、証拠も明らかにする専門家は、単に冷飯食いに貶められるだけで済まず、命を奪い取られることも頻発している。

 

異常と言えばこれほど異常なことは無いが、政府だけでなく、主流メディアと呼ばれる大きな声を持つ広報機関が万全の協力体制を敷いている。だから、ほぼすべての人々は、ごく少数の覚醒者や、その情報を手にして理解した人を批判するようになっている。

 

非常によくできた詐欺だ。昨日も同様のことをつぶやいたが、いくらこの種の説明をしても、誰も耳を貸さない。自分と専門外の疫病やその治療に関しては、専門家に委ねるしかない、と思い込み、それが非常に悪質な罠だということに気づくことが無い。

 

まだ子供の方が直観力に優れているように感じる。何かしらおかしい、というサインに気づくのは、もはや「高齢者」とされる人たちの殆んどにとって無理なような気がする。

 

100年ほど前に、スペイン風邪とされた疫病パンデミックがあった。その時も、今と全く同じ経緯がある。全員マスクを着ける。そして、ワクチンを打つ。しかし、ワクチンを打った人だけが病気になり死んでいく。全く今と同じ状況だ。

 

さすがに100年生きる人は少ない。だから同じことが行われていることに気づくのは、よっぽど調べた人でないと気づかない。

 

自分の命を守るためには、この「調べる」か「調べない」かが確実な分かれ目になるように思う。賢いか賢くないかなんてことじゃない。ただ単に、冷静に慎重に、かつ想像力、洞察力をふだんから養い、しっかり物事を見据える、という作業を行う。淡々と行う。

 

そうすることで自分の家族の、友人の、大事な人たちの命も助かるということに繋がる。問題はどのようにしてその情報を多くに伝えられるかどうか・・・

 

これが最も難しい。