平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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②マスク病

簡単に言えば、日本はマスク病というとても重い疫病にかかっている。もう三年目の夏が来ようとしている、いや、沖縄では既に夏。そのとんでもなく暑い状況の中で、どこでもマスクがまだ続けられている。続けられているばかりか、マスク装着はさらに徹底され、小さな子供たち、2才の幼児にまで着けられるようになっている。何故か?

 

主には、全国知事会の会長が、保育園児にもマスクを着けることが重要だとか必要だとか言ったことがきっかけだ。最初は2才児にもマスクを、という話だったが、その話の流れの中で、一人の医師が2才児にマスクなどとんでもない、という意見が出た。それで、2才児にマスクという話は引っ込めたのだが、保育園児にもマスクという言葉は残った。2才児という年齢表現をひっさげただけで、実質は全く変わっていない。保育園児には2才の子供も大勢いる。言葉遊びをして結局、幼児へのマスクを「提案」した訳だ。

 

ここで大事なことがある。この知事会会長は幼児へのマスクを強要はしていない。ただ、提案しただけ。日本の現在の法律では、マスクを義務化する、ということは出来ない。日本憲法というのがまだそういったことを許していない。なのでギリギリ私たちは守られている。最も、もはや現在の憲法は風前の灯火、この夏にある参院選と連動させられるという国民投票法を発動させ、憲法改悪が実現するだろう。緊急事態条項も入れられる。本当にとんでもない時代に入ろうとしているが、国民は脳天気なものだ。現在の憲法が変えられる内容に関して、国もメディアも絶対に説明することは無い。もう何度も書いてきたので省く。簡単に言えば、モノ言えば唇寒し、国民市民の命は羽毛より軽し、といえるほどの社会に転落する。誰も信じてないだろうが、現実はもっと恐ろしいものになる。徴兵制も簡単に決まるだろう。

 

脱線した。マスクの話に戻る。知事会会長は、保育園児にもマスクを着けよう、という話をした。義務としては言ってない。その方が良い、という提案をしているに過ぎない。今の日本で、義務化はできない。法律で義務化することは現状で不可能。小さな子供もマスクをして、感染対策に協力しよう、そうすればお年寄りがコロナにかからないための協力にもなる、などというような話はされていたような記憶がある。今回のコロナ騒動は全部ウソで成り立っているが、それは絶対国民市民に伝わらない。膨大な説明、先日紹介したフーミッヒ弁護士が主導したグランドジュリーでの発信要約を読めば、克明に読めば、そして理解すれば、誰でも確実に、コロナの騒動がすべてウソだということが分かる。皆、殺され続けているのだと分かる。だが、殆ど誰も読まない、考えない、調べない。ないない尽くしで結局、国やメディアの言うままに動いている。特に大多数は、テレビしか観ない。テレビが言っていることがすべて教科書になっている。

 

マスク着けましょう、着ける。PCR検査受けましょう、検査を受けまくる、コロナワクチンだけが解決手段、打ちましょう、もう奪い合うように打つ。ただ、ワクチン後遺症が壮絶な様子が段々と伝わり、最近は、ようやく接種に陰りが見えてきてはいるが。

 

誰も強制されていない。にもかかわらず、自ら進んで言われる通りに行動する。既に、恐怖の刷り込みが完全に行き渡っているからだ。今回の詐欺コロナパンデミック作戦は、何十年もの間、計画されシミュレーションされ、様々な段階を踏まえて実行された。とても緻密な作戦であり、莫大な資金を投入して実行された。今の所、殆ど計画通りに進んでいる。ただし、陰りは見えており、あちこちの国から疑問と抗議の声が上がってきてはいる。ただ、かなりやられてしまう可能性は非常に高い。

 

どこまで抗うことができるか、ということが今問われている。日本は、そもそも抵抗する土壌がない。お上の言うことに唯々諾々として従う。その点において、日本は最も楽天的でいられる所なのかもしれない。悩むことがないから。しかし、憲法改悪がとおってしまうであろう今年の夏からは、段々と気がついていくことだろう。ただし、もう手遅れなので、一体、今の世の中はどうなってるんだ、と思い始めてももう立ち返ることはできない。

 

せめて、三分の一でもいい、少しは問題意識を持つ人がいてくれたら、まだ何とかなるかもしれない。しかし、山勘の直観で考えてみると・・・千分の一くらいしかそういう人はいないように見える。無理かもしれない。