平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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マスク外せないという可能性・・・

名前のノボリがよく見えなかったのですが、保育園あるいは幼稚園の大がかりな催しのようでした。50人100人のレベルではなく、200人、300人くらいの人が集まっていました。いや、親子合わせての合計だともう少し多くの人だったかもしれません。すぐ近くに市民サロンとして解放されている場所があるので、そこに座り、しばらく様子を観ていました。

 

真っ先に気づいたのは当然、マスクです。親子で来ている人の内、親は男性も女性も全員マスクです。子供たちはゼロ才児1、2,3才児くらいはノーマスク。4,5才児くらいはマスク姿でした。

 

この光景を見て感じたことがあります。マスク外せないという可能性が圧倒的に高いんじゃないか、ということです。大型会場のてだこホールの大ホール、及び小ホールの入り口部分に皆並んでいます。屋外ですからマスク要らないということのはずですが、たくさんの人が集まっているということで親は全てマスク装着? なのでしょうか。密だから? それにしても親は全員がマスク・・・

 

ゼロ才児1,2,3才児がマスクを着けない、というのはまだしもよかったのですが、マスクが感染対策になるという発想だと、これだけ沢山の人がいて、小さい子供たちだけがマスクを着けないというのは、感染対策の発想と合致しません。小さい子供たちも感染源になるという想定をしているはずだと思います。すると大がかりな方手落ちになってしまっている、ということになります。

 

それとも、小さい子供たちにマスクを着けさせるのは可哀想という発想? いやそれは無いでしょう。すると、小さな子供たちにマスクを着けさせるのは、酸素遮断で脳への影響があるという認識のため? いや、もしそれが理解できているなら、ゼロ〜3才児だけでなく、4,5才児も当たり前にマスク装着を避けないといけません。子供たちへのマスクで脳に障がいが起きるということについては、厚労省も新聞もテレビも決して言いません。

 

一体この扱いの差というのはどういう意味なのでしょうか? いや、子供たちへの脳への悪影響の心配のみならず、大人たちにとっても3年以上マスクを着け続けていることで、明らかな健康被害が起きています。あまりに長く着けてきたので、息苦しさや頭痛などだけでなく、思考力、想像力、分析力などなどの脳の力が確実に落ちてきています。

 

何も考えず、言われるがまま、マスクを着けているのだとしたら(その可能性もまた圧倒的に高いのですが)やはり、マスクを多くの人が今後外していく、というのは相当難しい、いや殆ど無理なのではないか、と思えてしまいます。

 

本当に何故、自分で考え、自分で危機感を持ち、自分の意志でマスクを外すということが出来ないのか、残念ながら私には全く分かりません。

 

実はこの日、ホールでの催しに出くわす前に、美術館近くで稽古をしていました。その間に、早朝とは言え、けっこう人が通りがかります。といっても、一人か二人、3,4人くらいの人が、たまに通るだけです。コロナ禍があると思い込んでいる、いや思い込ませているどちらの人たちも、基本的に、屋外で殆ど人もいない、という状況ならマスク装着は要らない、ということになるはずです。それが、何故かガラガラの公園で殆どの人がマスクを着けています。外している人もいますが、外す人の割合としては2,3割です。一人でウォーキングをしている人を数人見ましたが、ウォーキングをしている人は全員マスクを着けていました。殆ど黒マスクとか柄マスクとか、(結構上等なんでしょうね)そういうのを着けてました。そんな光景を見る度に、ため息が出ます。

 

屋外での講演以外の全般的なノーマスク率、沖縄では多分97%? 98%? 大きな施設、スーパー、図書館、市役所、飲食店(出入りのときだけ・・・飲食時は外しますね・・・これ本当に不思議)、などなどでは、ほぼ大体間違いなく100%。本当にこれもまたため息が出ます。

 

このままだと、5月8日に2類から5類になって、マスク緩和通達(なんで通達待つのかそれも丸で分かりません、元々任意なのに)となっても、全く皆が外すようには思えません。それどころか、連休前までにまた感染者数をでっち上げて、このままでは5類に落とすことすらできない、とかいう方向へ持っていく可能性もあります。その恐れもまだまだ消えません。日本だけがコロナ禍を続けていくことになる確率も相当高いと感じています。

 

国民市民自らが自滅していく方向を選んでいるとしか思えません。どうすればこの流れをひっくり返せるか、まだ妙案はありません。