平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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②長い雑文

長い雑文を書いてみようと思う。詐欺コロナのことについても書くが、その他、詐欺コロナ関連外のことも書きたい。父や母のことなども問わず語りのように書いてみようと思う。

 

街宣活動で難しいのは、どうやって分かり易く多くの人に伝えられるか、ということだ。今回の詐欺コロナパンデミックは非常に巧妙に作られていて、しかもあまりにも大がかりなためかえって洗脳が容易に進んでしまっている。日本では、義務化もされていないのにほぼ全員がマスクを着け、PCR検査には行列が出来、コロナワクチンは競い合うようにして打つ。接種数は既に1億回に達しようとしている。普通に考えたら、一体何が入っているか分からないものを、そう簡単に体の中に入れようとは思わないものだが、皆、何も考えず打ちまくっている。異常な状況。

 

洗脳がこれほどに行き渡っている国としては、日本が世界でも随一なのではないだろうか。海外では想像を絶するデモが頻発している。デモでは誰もマスクを着けていない。もう皆覚醒している。このまま事態を看過していると、根こそぎ、人生を生活を奪われてしまうということを理解している。命がけのデモが頻発するという状況も未だかつて無かった。日本は丸でお花畑であり、むしろマスクを「未だに」着けない人たちが異端視され、トンデモ人間扱いとなっている。私は2020年の3月頃に洗脳から解け、マスク装着を止めた。本当にせいせいした。以来、全く着けない。半年ほど出稼ぎしたとき(色んな事情でそうなってしまったのだが)、仕事の内は仕方無くマスクを着けていたが、息苦しくてたまらない。湿気の高い日にマスクが顔に貼り付き、頻脈と目眩で失神しそうになった。以来、基本的に仕事場でもマスクをほぼ着けなくなった。介護の仕事なので、仕事に入れるケースがどんどん無くなっていった。出稼ぎが終わり、沖縄に帰ってからは、マスク装着を完全に止め、マスクを着けずに出来る仕事場を探しているが、面接にすら一度も行けない。自分で仕事作りをするしか無いだろう。

 

経済的には非常に厳しいが全く心配していない。どうにでも出来ると勝手に決めている。これからいろんな工夫をして生活設計をしていくことになる。

 

そうだ、街宣活動のことを書きかけてたっけ。話を戻そう。というか、今回の文は雑文でスタートしているからカオスで大丈夫だな。

 

昨日も街宣を行い、マイクで話をしたが、中々難しい。いくら伝えても、基本的に皆洗脳されているので、丸で聞く気がない。むしろノーマスク姿の私、及び仲間の人たちのことを、何かしら怪しい人たちのような眼で見ている。ビラ配りもしたが、受取率は低い。そりゃそうだろう。道を行き交う人は皆マスク姿。マスクを着けない人は数えるほどしかいない。商店街のど真ん中でやっているのだが、外を歩くのにも当然マスクを着けている。本当にありえない。通りかかった人が立ち止まったので、話してみた。マスクを着けない方がいいですよ、予防には全くならないし返って体を害します、といういつもの当たり前の声かけをしていた。だが、どうも応対が微妙にぎこちない、よくよく見ると、久しぶりに出会った知人だった。マスクをしているので全く分からない。仕事上、どうしてもマスクをしないといけない、接客業なので、と言われ、普段は殆どつけないとも言われた。ただ、国際通りではやっぱり皆がしてるのでマスクを着けているようだ。この辺を突破したいところなのだが・・・しかし、マスクを着けられると、本当に知っている人でも分からなくなる。いい加減止めないと、コミュニケーション障害が爆発的に増えるだろう。いやもう十分増えているはずだ。

 

亡くなった父や母ならどうしただろうか? 多分、リサーチしまくるタチの私の知識で理解してくれそうな気もする。特に父は、日本という国を全く信用していない。在日韓国人一世として塗炭の苦しみを体験してるから、日本政府が言ってることは徹底的に信じないタチだった。だから、あっさりとウソに気づいたかもしれない。母は何にも考えてないようでいて、意外に直観がするどく、物事の有り体を見抜いていたから、母もまた真実に気づくような気がする。考えてみれば父も母も、ある意味、けっこう変わった人間だったのかもしれない。変わった人間二人の間に生まれた私が変わった人間でない訳ないね。だからあっちこっちで浮き上がってしまうのだろう。別段困ることもないが。第一、今の世の中狂ってる。

 

そう言えば、母は何十年ぶりかで北朝鮮に住んでいる親族と会いに行ってきた。親族が騙されて北朝鮮に移住し、音信途絶になってたので、墓参りに乗じて会ってきた訳だ。そのとき、色んな所を回り、小さな子供が部品作りの工場で仕事を手伝っている姿を見て、とても泣けたと言っていた。状況を見て、これは何かしらオカシイ、結果的に子供たちへの虐待になっている、と気づいたのだろう。私は北朝鮮の詳しい情勢は分からないし、正確に物事を判断できる情報もないのでいい加減なことは言えない。ただ、日本と同じく、大した政治は行われていないとは感じている。特に子供たちを守る取組はまだまだ不十分なものだろう。母はそのダメな部分をとっさに感じ取ってしまい、悲しい気持ちに揺さぶられたのだと思う。そういう意味では洞察力の深いすごい人だったと感じている。この話は母のことについて書いた別の文でも触れているが、今回は少し違った視点で書いてみた。

 

そうだ、詐欺コロナのことでマスクのこととコロナワクチンのことで特筆しておかなければならないことがあった。

 

最近、日本政府の関係者(もう名前も省庁も見てない、見る値打ち全く無いから、全部詐欺師であり殺戮側グループだから。)が保育園の園児にマスクを着けろ、5才以上の子供にコロナ毒物注入をしろと言っている。これは明白な殺害未遂行為であり、実際に多くの子供が殺されることになっていく可能性が限りなく高い。こういう者たちは、それこそフーミッヒ弁護士からリストアップしてもらい、訴追の対象とする必要がある。何とかしてこの実情をフーミッヒ弁護士グループに知らせ、実現してほしいものだ。何とか工夫を考えてみる。やってやれないことではないだろう。

 

この件では、多くの親たちが苦悩している。殆どの親たちは洗脳されていて、無知のまま自分の子供に対して殺人未遂を実行するだろうが、政府や自治体は確信犯だと思われる。何故なら、新型コロナ対応毒物注入が始まる前2ヶ月ちょっと前に、自分たちだけは注入を除外できるように接種法を改正しているという事実があるから。毒物であることを知っている事の証左だ。この事実もむろん通告する。フーミッヒ弁護士グループはどう評価するか見物。それに、国会議員たちがこの毒物接種をしたしたというが、針が引っ込んだり、キャップ付きのままで打ってるふりをしたりとかいう画像や動画も溢れている。証拠映像として採用される可能性も無論あるのじゃないか?

 

そして、小さな子供たちの親の中で、マスクもワクチンも危険だということを知っている親も相当数おられる。その方たちは大変苦悩しているはずだ。家族親族の中でも分断があり、まともにリスクヘッジすることができない。この部分は、是非、一人で悩まないで、例えば広島県呉市の谷本誠一議員に相談してサポートしてもらうとかするべきだろう。日本中の人たちからの相談を受け入れる準備がある、と聞いている。広島県呉市の市議会を調べて問い合わせたらすぐに連絡先とかは分かるはずだ。

 

子供たちの命と未来を助けるためには、親は命がけで取り組まねばならない。私も子供が小さいとき、いろんなことがあった。学校に乗り込み、思い切り抗議したこともある。対応が丸でだめだったので、とことんありとあらゆる方法を使って正しい方向性へと誘導した。私のケースは子供への学校内での虐待だった。考えられない被害を受けていたことが分かったということが発端だった。思い出すのもつらいのでこれはもう書かない。

 

どうも少し長くなってしまったようだ。どうしよう。まだまだ書いてみる? まぁもう少し書いてみよう。

 

街宣活動でのマイク街宣について、もう少し考えてみよう。何をどう伝えたらいいか、本当に難しい。相手は殆ど皆洗脳されてしまってる。マスクを着けて歩くのが当たり前だと信じている。PCR検査も受けなくてはならない、と思い込んでる。ワクチンに至っては、喜んで進んで受ける。しかし、さすがに洗脳にもほころびが見えてきた。

 

保育園児にまでマスクを着けろとか、5才の子にもワクチン(毒物)を打てだのということが出てきて、もう正気の沙汰ではなくなってきた。日本政府も自治体もメディアも異常者集団となってきた。繰り返し言うが、確信犯としての殺人未遂、殺人行為を目論んでいるとしか見えない。さすがにこれはオカシイんじゃないかって感じる人が出てきた。今まで私に対して、「お前もう大概にした方がええで。そんなに政府の悪口とかメディアに怒るとか、やらんでもええんとちゃう?」とか言ってた友人も、保育園児にマスク、5才の子供にワクチンとなって「こらぁする必要ないやろな。」と言い出した。そうだ。あの動画、フーミッヒ弁護士の動画送らないといけないな。

 

もう洗脳されている人には、こちらから洗脳仕返すくらいの勢いで、繰り返し繰り返し同じことを続けて言わないといけないのではないだろうか? あまりややこしい話をしても、同じ所に先方もいる訳じゃないから話が続かない。皆が集まってくれてる中で話すならまだしも、国際通り商店街などでは、人はどんどん通り過ぎていく。まともに聞いていない。5分かけて話す内容どころか、1分も続けて聞かない方が多いはずだ。戦法を少し変えた方がよいようだ。

 

ヨシフ・ブロツキの本を引っ張り出している。「私人」という題名の本。この本も既に何回も読んだ。久しぶりに頭の掃除をしようと思いついた訳だ。ペラッペラの本なのに、やけに高い。ページ数、62ページ、解説や訳注を除いた筆者の本文はわずか33ページ。なのにハードカバー。何でやねん。確か800円くらいしたかな。これはちょっと大事にしとこと思って、100均で買ったカバーを付けたから価格は見えん。ま、いいか。久しぶりに読み出してみて、色々思い出してる。それと、これはノーベル賞受賞のときの講演というのを思い出し、少しひっかかる気持ちになった。ノーベル賞がナンボのもんじゃい、というひっかかり。まぁこれもどうでもいいことかもしれないが。ただ、もっともらしい感覚や、それに矛盾する「いや、それは違うだろう」というような反感などが入れ交じる文章には、何か惹かれるものを感じる。人間の生き方行き方なんて、誰にも分からないし、納得もできない。納得できる方法はむりやりこじつけでも自分が安心できる心の地平を獲得することだろう。私はそういった地平を手に入れただろうか? まだまだだなぁ、と感じている。