平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

人生の様々な側面を表示します メール keitaisan@icloud.com 

吉田清治氏

2015年の記事。偶然見つけた。性奴隷制度に関する問題。いわゆる従軍慰安婦と呼ばれた性被害者に関わる問題。吉田清治氏にインタビューした今田真人氏、ジャーナリストの西野留美子氏のやりとりが記されている。非常に興味深い記事だった。吉田清治氏は、自分の証言が完全な虚偽とされ、徹底的にバッシングを受け、名誉回復ゼロのまま亡くなっている。「週刊金曜日」の記事一部もある。

 

これもまた全くの偶然だが、私はこの吉田清治氏に声をかけられたことがある。警官から不当な暴力を受け、危うく殺されそうになった体験があり、数週間後、抗議集会の中で、徹底的にその不当性を訴えた。その発言の中で、当時紙製であった外国人登録証を集会の壇上で破り捨てた。口頭での抗議活動に対して、機動隊は圧倒的な暴力をふるい、私に対しては、一歩間違えば死んでいたかもしれない暴行を加えた。戦闘靴で私の頭を蹴り、失神昏倒した私の顔面を日拳の「踏み抜き面」のような形で痛撃を加えた。側頭部を8針縫い、その後、長い間起き上がることもつらい日々がしばらく続いた。殺人未遂とも言える暴行だが、補償も何もない。訴追も出来なかった。その抗議集会で話をさせてもらった後、声をかけてこられたのが吉田清治氏だった。言葉の内容は忘れたが、私を慰労し、よいことをした、というような発言だったように記憶している。ありがとうございます、の一言くらい返したような記憶もある。

 

ずっと引っかかっていた。吉田清治氏の発信についての検証、理解を全くやってなかった私は、いずれきちんと調べさせていただこうと思っていた。つい最近になって、亡父の言葉も思い出し、様々に自分なりにいろんな通説を調べ、掘り下げ、理解を深めてみようと思い立った。そこで調べ始めることにし、まず林えいだい氏の「筑豊・軍艦島」を読み、次に、同氏の「強制連行・強制労働 筑豊朝鮮人抗夫の記録」を読み始めている。図書館で借りた吉田清治氏の著書も読み始めた。「朝鮮人慰安婦と日本人」だ。吉田清治氏に関しては、あまりにもひどいバッシングが続いていた。政府、メディア、官僚、法人などが総攻撃していた。御用学者はむろん。全く信用していなかったが、私自身が調べなくては話にならない。そう思い続けながら長い年月が過ぎてしまった。今になって始めている。既に、多くの貴重な情報を得た。

 

実は、今紹介した書籍もまた、ひどいバッシングに曝されている。ネットではこれらの著書を否定する活動が頻繁に行われている。だが、それを簡単に信用するような軽挙に自分が陥る心配はしていない。自分なりに慎重に調べ、真実を掴む。あまりに大がかりな誹謗中傷がある場合、実は大きな裏がある、という傾向は良く知っている。その裏にも踏み込んでみたい。2015年の記事を記録に残す。前振りが長くなりすぎた。以下だ。

 

=======================

 

20150718

 

  「吉田証言」は本当に「虚偽」なのか!?(18日の日記)

テーマ:ニュース(97574)

カテゴリ:歴史認識

 かつて吉田清治氏にインタビューした経験を持つジャーナリストの今田真人氏は、同じくジャーナリストの西野留美子氏と対談し、去年の夏に朝日新聞が吉田証言を扱った記事を取り消した問題について、朝日の対応を厳しく批判している;

 

 

「慰安婦」狩りをめぐる故・吉田清治氏の証言記事「取り消し」によって、日本軍「慰安婦」の強制性そのものが否定されたかのような言説がまかり通っている。その吉田氏にインタビューした元『赤旗』記者・今田真人さんと、「慰安婦」をめぐる多くの著書がある西野瑠美子さんが「歴史的事実に蓋をするな」と異論を放つ。

 

 

西野 昨年8月5日付で、『朝日新聞』はこれまでの吉田清治氏の証言関連記事を「虚偽」として取り消しましたが、私は、『朝日』の示した検証だけで「虚偽」と言い切ることができるのか疑問に思ってきました。そんな時に今田さんの本を読み、大変興味をもちました。

 

今田 『しんぶん赤旗』も同年9月27日付で、計3本の関連記事を「信憑性(しんぴようせい)がない」として取り消しています。まず、『朝日』が吉田証言を「虚偽」だとした理由がとてもおかしい。最大の理由が、2014年に『朝日』の検証チームが韓国の済州島に行き、老人ホームを訪問するなどして1週間かけて約40人のお年寄りに話を開いたが、吉田証言を裏付ける話は得られなかったというものです。しかし、この約40人は、当時本当に済州島に住んでいたのか、どこでどんな仕事をしていたのか。そんな肝心の身元調査さえない。「70代後半~90代」のお年寄りというだけ。

 

 歴史的証言は、当事者しか知りえない事実があるかもしれないという、ジャーナリスト・研究者に不可欠な科学的分析的な態度もない。謙虚さもない。こういう強引な論理がまかりとおるなら、いいかげんな調査であればあるほど裏付け話は得られないから、あらゆる歴史的証言が、『朝日』によって虚偽と断定されてしまう。

 

 ところで、『朝日』の木村伊量(ただかず)社長(当時)と安倍晋三首相とは、判明しているだけで計3回(2012年暮れ=安倍氏の首相就任直前=、13年2月7日、同年7月22日)にわたり夜の会食をしています。元政治部長を務め、「極右」と自称する木村さんと首相との間で、何らかの合意あるいは取引がなされたと勘ぐるのは私だけではありません。

 

西野 『朝日』は「虚偽」と判断した根拠を8点挙げていますが、97年3月31日付の特集で「済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」としていたのを「虚偽」とするに至った説得力ある根拠はいずれにも見当たりません。とりわけ済州島で目撃証言が得られなかったことが大きな根拠のようですが、「慰安婦」問題のように「性」をめぐる問題の聞き取りはそう簡単なことではない。

 

今田 と言いますと?

 

西野 この数年を見ても、韓国内の「慰安婦」被害者に対するジェンダー偏向は依然として厳しいものがあります。たとえば2008年に、「慰安婦」博物館(現「戦争と女性の人権博物館」)の建設予定地をめぐって、ソウル市が西大門独立公園内に建設許可を出したのですが、それに対して韓国の光復会など独立運動関連団体33団体が連名で、ソウル市長宛に建設許可の撤回を求めました。

 その理由は、

 

(1)独立公園内に建設を許可したのは没歴史的な行為で、数多くの独立運動家と独立運動を汚す「殉国先烈に対する名誉毀損」である、

(2)日本人に対し、先祖の悪行に対する反省を促すどころか、むしろ嘲笑を提供する結果を招く、

(3)未来の主役である青少年に正しい歴史認識よりも、「我が民族は積極的な反日闘争より日帝によって受難のみ受けた民族」だという歪曲された歴史認識を植え付け、歴史的真実に対する混同を与える、

(4)西大門刑務所は抗日抵抗の産屋であり民族の魂の聖地であるため、土地の性格上見合っていない(2008年11月3日付声明)- などです。

 

 このように、「慰安婦」問題についてはまだまだ被害国のなかにも偏見が根強いわけで、現地に行って不作法に「強制連行の証拠」集めをしようという姿勢では誰も心を開かないでしょう。今田さんは済州島の調査についてはどう考えられますか?

 

済州島事件後の調査

 

今田 吉田さんは1993年10月18日と25日に私がインタビューしたとき、

「戦後の済州島事件というのは、北のスパイとして済州島民がたくさん虐殺された」

「済州島では生きていけないので、みんな戦後逃げだした。現在、島にいるのは本土からいったものだ。

 だから村の古老といっても、その部落にずっと住んでいたわけではない。だから当時のことを実証できるものはいないのだ」

と話しました。

 

「済州島事件」とは「済州島四・三蜂起事件」と呼ばれ、1948年から57年まで10年近くにわたり多くの島民が虐殺された事件です。生き残った人は日本に逃れ、多くが大阪に住み着いたと吉田さんは言います。大阪の在日朝鮮人の4分の1が済州島出身者だとも言います。『朝日』の記者が取材した済州島のお年寄りは、弾圧に手を貸した側かもしれず、そうだとすれば、済州島の現在の住民からの裏付けは困難です。

 

西野 『朝日』も秦郁彦(はたいくひこ)さんも済州島調査は1990年代ですね。

 

今田 そうです。秦さんは92年3月に済州島に行き、地元の新聞『済州新聞』の記事(89年8月14日付)を入手、その中で、「慰安婦狩りの話を、裏付け証言する人はほとんどいない。島民たちは『でたらめだ』と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山里の住民のチョン・オク・タン(85歳の女性)は『250余りの家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった』と語った」などと書かれているのを発見。それを『産経新聞』(92年4月30日付)や『正論』(同年6月号)などに発表しました。これは、いわゆる「孫引き」というもので、まともな研究者の調査とは思えない。興味深いのは、吉田さんが93年10月の『赤旗』インタビュー(今田さんの著書に収録)で、すでに次のように、秦さんを批判していることです。

 

「(吉田さんが80年代半ばに済州島に謝罪旅行に行き、韓国のテレビ・新聞などが徹底的に吉田さんの素性と証言を調査したと説明したあと)それをいっさい無視して産経新聞やら、あの教授たちが大騒ぎをしているんです。

 済州島新聞の記者がいったとか、80なんぼの老婆が証言したとか、そんな、わずかな人数の部落で、10人も15人も娘連れだしたら、大騒ぎになる、と。しかし、あの当時、大騒ぎできる状況の済州島の状況でないことを、そのばあさん知りもしないで。昭和18年、19年ごろの済州島の実態は、知らずに。済州島の新聞記者といっても、戦後生まれの新聞記者がなにがわかりますか。一人の新聞記者が語ったのが、いかにも真実だというが、その裏をとっていない。

 ばあさんの裏もとっていない。

 地元民の証言、地元民の裏もとっていない。その信憑性も追求していない」

 

 私は、この吉田さんのインタビューの発言は、実に説得力があると思っています。

 

西野 しかし、『朝日』や『赤旗』はその秦さんの言説をもとに吉田証言の記事を取り消しています。

 

今田 秦さんの言説は、孫引きの上、済州島事件などの歴史的な背景さえ無視した調査によるものです。虚偽とするには無理がある。

 

西野さんが、雑誌『Journalism』15年3月号(朝日新聞社発行)で、『朝日』の済州島調査を批判して書いておられるように、「見ようとしないものには見えてこない。聞こうとしなければ、沈黙からは何も聞こえてこない。しかし、『沈黙』の中に真実が隠されていることもある」のです。この言葉は、本当のジャーナリストの心がけるべき姿勢として、とても私の印象に残りました。古巣(『しんぶん赤旗』)のことはあまり言いたくありませんが、『赤旗』の検証記事は、『朝日』がやったような済州島の現地調査さえやった形跡がない。

 

(後半は省略)

 

 

2015年6月26日 「週刊金曜日」20ページ「『吉田証言』は本当に『虚偽』なのか!?」から一部を引用

 

 吉田証言に異論を唱えたのは秦郁彦博士であったが、彼が「吉田証言」の裏を取りに済州島に出かけたのは90年代であって、その時彼がインタビューした人々は吉田清治が慰安婦狩をした当時に済州島に住んでいたかどうかの確認はとれていない。しかも1948年から10年近く、済州島事件があって戦前の住民は皆殺しにされて、生き残った人々も全員島から逃げ出したのであれば、90年代になってから調査にでかけても確かな証言などとれるわけが無い。したがって、「吉田証言」は真実である可能性が大きく、「吉田証言」を虚構であると決め付けた朝日新聞は、実は歴史をねつ造した可能性がある。「朝日」が何故そんなことをするかと言えば、それは発行部数の減少に歯止めをかける手段としてライト・ウィングの読者層を取り込む必要があるからで、右翼体質の経営者の考えそうな話である。安倍首相と3回も酒食をともにして、ヒントをもらったのかも知れない。