平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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徐々に忖度なしでノーマスクを続けるようになる

2020年の3月にマスクのウソを知ることができ、マスクを基本的に外した。同年3月から9月までは大阪で介護の仕事をしていたので、介護中だけはマスクをしないといけなかった。その過程で、湿気の多い日にマスクが顔に貼り付き、頻脈と目眩で失神しそうになったことは前に書いた。それをきっかけにマスクを出来る限り、仕事の現場でも外すようにし、結局仕事の現場が少なくなっていったということも書いた。

 

しかし、仕事の現場以外では、決してマスクを着けることはしなかった。基本的に外では外す。屋内でも外す。仕事の現場でここだけはどうしようもない、という所だけ着ける。そういう形だった。満員電車やスーパー、銀行、他店舗など、どこにおいても着けないことにしていた。当初は、あまりにも周囲がマスクを着けており、着けない方が目立つ。その目立つということに少し慣れない部分もあった。多少の緊張感と言えばいいだろうか。少し構えている、という感覚だったとも言えるかも知れない。マスクをつけている方々への忖度の気持ちも若干あったと思う。

 

銀行や役所、そして学校などで、職員にはマスクは事実上必須、と決められている所もある。病院や介護職、一般企業もそうだ。法的にも医学的にも科学的にも何の意味もない。それが分かっている人も無理矢理着けさせられている。仕事を維持するためには、やむを得ずマスク装着を受け入れる。それが日本では普通のスタンスだし、仕方無いとされる。その点においては本当に苦しい思いをされている方がけっこうな数がおられると思う。マスクが全く無意味でかえって有害ということを知りながら、マスクを着けないと仕事が出来ないという状況。虐待を伴う実質的なマスク強制である。

 

私の場合は、おそらく稀な例なのかもしれない。いわば特別違反隊、そんなのあるかよ、みたいなものかもしれない。自分自身の健康を優先するという考え方と、子供たちへのマスクを少しでも無くしたいためのノーマスク、ということがある。私一人がノーマスクでも何にもならないが、やらないよりマシ。

 

喫茶店や、物販ショップなどで、たまにマスクを着けるように結構しつこく言ってくる店もある。そういう所でも一応、マスクは着けられない旨を説明するのだが、殆ど話を聞いていない。とうとう中には、マスクを着けない方は入店できません、などの張り紙や看板があるような店も出てきた。そういう店にはさすがに最初は入店するにも少しは緊張したが、もう気にせず堂々と入るようにすると、店側もマスクを着けてほしいとの強要もだんだんしにくくなってくるようだった。

 

何もそこまで突っ張ってノーマスクを貫く必要も無いんじゃないの、という声もあるかもしれない。でも、私の気持ちとしては、一人でもノーマスクでいる人が増えないと、このマスク社会を変えることができない、というつもりもある。最も大きいのは、さっきも書いた如く、子供たちがマスクを外せる環境づくりをするためには大人がマスクを外さないといけない、という思いだ。子供たちにマスクを着けさせてはいけない。脳の発育が未発達な子供たちにとっては、マスクを着け、酸素吸収を阻害されることは、何の臨床例も必要がないほどに虐待であり犯罪だ。2年前からそう警告されているドイツ神経学者マーガレット・グリーズブリュッソン氏の発信に完全に同意する。

 

こうした「まともな」学者さんの発信が日本でまともに取り上げられることが全く無い。それも不思議と言えば不思議だったが、今ではその理由がはっきり分かっている。

 

日本政府というものの在り方が、今回のコロナ騒動ではっきり見えてきた。彼らは、国民や市民のことを考えて政治をしているのではない。自分たちのカネや利権にすべての顔が向いている。いや、この政治家は良心的だと指摘する人がたまにいる。が、ただの一人もコロナワクチン接種中止を訴える国会議員はいない。その時点で、良心的なフリをする政治家はいても、現実には本当に真剣に「政治」というものに取り組む姿勢は感じられない。学校も病院も殆どの大企業もほぼ全部がコロナワクチンに転んでいる。国や医者が打てと言うと、何も考えずに打つ。ごくまれに打てば首にする、というような会社もあるが、本当に数は少ない。

 

疑いを持っている。政府もメディアも医療界も全部マスク推進だ。マスク業界は史上最高と言って良いほどに潤ってる。これが、マスク装着不要とかやられたら一気に多くの収入を失う。マスク業界はあらゆる団体、つまり政府、メディア、医療などに賄賂を送ってるのではないか? 賄賂という言い方が悪ければ、政治献金? 広告料? 講師手数料? 平たく言えば全部賄賂だ。カネカネカネで成り立っている団体ばかりだから充分疑える。証拠は出さない。出ても全部合法だと抜かすだろう。

 

ところで基本的に日本は国家ではない。少し調べた人には常識だ。日米合同委員会や日米協定などでガチガチにアメリカの優位性が固められている。何一つ日本の側で主導できるものがない。日本の憲法すら、日米合同委員会の下に位置する。日本は国ですらない、という現実を知る人は殆どいないが、それが現実だ。それが証拠に、未だに、マスク装着を続けさせ、2才の子供にもマスクを着けさせ、生後半年の乳児にもコロナワクチンを打たせようと目論んでいる。アメリカに言われるまでもなく、日本の製薬会社にその動きを取らせている。その製薬会社社長の顔をその記事の動画で観たが、顔にカネこそ命と描いてあった。

 

日本の子供たちの健康や命、未来のことについて全く尊重しよう、大事にしよう、という感覚が無い。マスクを着けてるのは、世界で日本と中国だけ。それが分かっていても、マスクを着けろ着けろという。すっかり洗脳された国民市民もまた、競ってマスクを着け続ける。既に、外部勢力からマスク装着による社会実験の材料国とされているのではないか? とも勘ぐれる。

 

アメリカから言われるままに、ウクライナにカネを出し続けている。この問題も深刻だ。デジタル路線を進めているアメリカは、あらゆる捏造と隠蔽、CGフェイクを動員し、完全にウクライナが正義、ロシアが悪、という状況を設定している。この部分でも日本の国民市民への洗脳はすさまじい。

 

実は、コロナ騒動とロシア・ウクライナの問題を大袈裟にあおり立て続けること自体、日本の政府とされる利権団体にはある目論見がある。この夏に予定される国民投票法発布と憲法改正という名の憲法改悪だ。コロナ騒動とロシア・ウクライナの問題を巨大なスピンの両輪として利用し、何が何でも憲法改悪の目玉、「緊急事態条項」を手に入れようとしている。これさえ取れれば彼らの天下。何でもできるのだ。

 

本当に何でもできる。「緊急事態条項」について、殆どの人たちは何の情報も持っていない。いや、聞いてないから仕方無いね、では済まないのだが、政府側もメディアも一切情報を出さない。出せない。なぜなら、今回の憲法改悪案は、基本的人権は条文丸ごと抹消して無くす、絶対に禁止されていた拷問については、「絶対に」という言葉を抹消し、場合によっては拷問するよ、という形に変えられる、そして、トドメが「緊急事態条項」 政府が勝手に緊急事態宣言を発布すれば、国会は開かなくていい、議員改選も要らない、政府の出す政令がすべての決め事になる。つまり、政府はカネを取り放題。そして税金も使い放題、税金を搾り取ることは天上知らず。政府に文句のある者は令状無しで逮捕、拷問、何でもあり、となる。そんな風になるとは、政府もメディアも言えない訳だ。

 

自分で調べるということをやらない限り、この夏以後、皆殺され続けていく、ということになる。

 

実は、国連もNATOもアメリカも、もちろんSDGsという絵空事も全部詐欺だった、ということはコロナという写し絵で暴露されている。しかしこの暴露も殆どの人にとっては見えにくい。何故ならテレビ教だから。ミザルイワザルキカザルを決め込んでいるから。

 

たかがマスクということでは済まない。マスクを出来るだけ早く皆で外し、思考力洞察力を少しでも取り戻し、政府やメディア、医療界の闇に気づき、自分たちが本物の陰謀に取り込まれることを理解する必要がある。そういう立ち位置を取り戻さないと間違いなく、日本国という地域に住む国民、市民は、籠の鳥となり、いつでも首を括られる奴隷となる。今でも充分奴隷なのだが、今度は奴隷以下のケンタッキーチキンのチキン並の命となる。ご存知だろうか? ケンタッキーチキンのチキンたちの扱いを。

 

とここまで書いてふと感じたこと。こんな書き方では絶対伝わらないな、ということ。しかし、今の私ではこういう書き方しかできない。未熟そのものだ。まだまだやれることはあるはず。もう少し書く力を備えられるべく、自分を鍛えていかないといけない。大きな課題だ。