平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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リラックス

最近、コロナの問題について、数多くの記事を書いているが、こればかりでは煮詰まってくる。深刻な問題が多すぎ、すべてについて考えたり、方法論で悩んだりしていると、ニッチモサッチモ君になってくる。別段、眉間にシワがいくことはないが、それに近いくらいマインドがつらくなってくる。特に心配なのは子供たちへのワクチン接種とマスク装着だ。ありえない程の虐待であり犯罪であるにも関わらず、多くの人たちがいとも簡単にこの一線を超えている。

 

しかし、いくら私1人が声を張り上げても、私1人の力量では殆ど何も変わらない。自らの体と気持ちがやられてしまうばかり。もう少しリラックスして取り組むという姿勢が大事だと思うようになった。

 

今朝、知人と話す中で、同じことを話した。この知人はコロナのウソにすっかり気づいている。しかし、あまりにも世の中のウソが浸透し過ぎているために、近未来がどうなるかが見えない。その感覚を共有することができた。

 

しかめっ面で悩み続けるよりも、もう少し自分なりの歓びと楽しみをみつけよう。自分が喜べること、楽しめることを再発見し、さらにできるだけ笑えるようにしてみよう。そういったことを話した。知人も全く同感だと言われた。

 

そう言えば思い出す。一時期ウツで悩んだことがあったが、そのときにも、何にも面白くないのに、ただただつらいだけなのに、苦しいだけなのに、むりやり笑顔を作り、1人笑ったものだ。たかが人間、地球という惑星の人という生物種(出来損ないだ)の一個体として生きてるに過ぎない私、何をそんなに悩むことがあるか、笑い飛ばしてしまえ、という訳だ。

 

その時と同じことをやってみよう。あまりに真剣になりすぎて、テンション上げて人に迫ると、相手の方が引いてしまうだろう。どこかに余裕をもって、淡々と話す。そして楽しいこともやってみる、自分がやりたいことも無論やってみる。そういった流れを呼び戻そう、そう考えるようにしてみよう。

 

これは小さなことのようにみえて大事な気づき。今日から試みてみよう。人に会うのにも、厳しい表情で接するより、リラックスした笑顔で接触する、ということが大事だな。