平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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ウソは付くな

私のブログを読んでくれている人はむろんおられる。とても沢山おられる、とは言いがたいけれど、それでもそこそこの数がおられる。あまりその数の過多に頓着するつもりは全然なくて、いつも好き放題に書いている。元来、人様に対して忖度するという習慣の殆ど無い私なのでそういう傾向になるのだろう。それでいいと思っている。

 

特に、「コロナ禍」とかになっているとされる昨今、この名称を使うのもおかしい、これは巨大な詐欺に過ぎないと再々書いたり言ったりしてる私は、一般的には疎まれる。それほど多くもないが、普通に知人友人はいる。が、その多くから段々と辟易されるようになってる。おせっかいな所もある私なので、わざわざ連絡を入れて、今のコロナ騒動のウソについて伝えたり、コロナワクチン打ってはいけないよと言ったり、さらには議員さんに連絡入れて、これ全部ウソなんですよ、と言いながら説明を試みたりしたりもする。結局、あっちこっちから段々とこりゃ面倒なやっちゃ、と観られるようにもなる。

 

割合親しくしてたつもりの超有名、一応最高峰とかにされてる大学の(と言えば分かるかも)元大学教授という友だち(だった人)とも大議論をさせてもらい、あっさり友だちから逃亡されてしまったりもしてる。PCR検査のウソについて散々まくしたてたら、あっさり逃亡されてしまい、以来、電話にもメールにも応じない。友だち認定から外されたようだ。おそらく彼の仕事環境において迷惑だったのだろう。しかし、未だにPCR検査関連でメシ食っているというのはかっこわるいと思わないのかな、という情けない感は取れない。その関連の仕事をその人はしているから、そこを突かれるとやっぱり困るのだろう。コロナワクチンを打つのかと聞くと、彼はインフルエンザワクチンも受けたことがないと言ってた。さらに、ならどうするのかと聞くと、いやそれは政治的な問題になるからドーノコーノとか言ってた・・・イミワカランン、ワケワカラン。アホちゃうか!

 

あ、そうだ、私のブログを読んでくれている人の話から始めたのだった。忘れていた。珍しく、私のブログ、時々読んでますよ、と言ってくれている方から、「もっと自分のことを書くのもいいと思いますよ。」と助言された。自分では時々書いているつもりなのだけど、そういうのが少ないという受け止めをされているのだと思う。どうも私は、自分のことを一生懸命前面に出してアレコレ話をする、というのは苦手な部分があるようだ。それほどエライ人間でも人に対してアレコレ偉そうなことを言えるような人間でもない。第一、自分のことを語ることで何か嬉しい気持ちになれる、なんていうことも無い。むしろ、何かしらアンタこんなこと書いててアホか、と自分で自分のことを叱りつけたくなるような感覚が起きてしまう。そういう気性なので、そういう文はあんまり書けないと思う。

 

ただ、自分の体験談や人生を続ける中で感じたこと、こりゃーどうなんやと呆れたことなんかは時々書いてる。それくらいでいいんじゃないかなと思ってる。自分としてはむしろそんなことを書きすぎてるような気もしてるし。

 

でも、せっかくそう言ってもらってるので、この機会に何か1つ書いてみよう。自分で自分のことを観て感じるのは、なんて不器用なんだろう、ってことだ。アマノジャクそのものだと言っても良い。人から言われたことの反対を言わないと気が済まない。10人いて9人がこうだ、ということを言ったとしたら、その内の最後の一人である私は必ず、いやそれは違う、と言う。10人が100人でも1000人でも同じ。一億人の人間がコロナワクチンは絶対打つべしだなどと言っても、いやそれは違う、完全に間違ってると言う。自分の中ではこれは当たり前だ。

 

だから、平気でちょっと変わったTシャツも作ってもらったりする。中々いいんだよね、このTシャツ。何しろ今の所世界に1つのTシャツだから。(もうすぐ約2名が買うそうだ、ヤッタゼ!)シャツの前面に、「マスク、ワクチン、PCR、全部ウソ」って大きな字で書いてある。あ、ウソというのは嘘という漢字で記されており、その下にFAKEという英語も入ってる。中学生に漢字と英語の勉強までさせてやれるぞ。作ってくれたデザイナーがスゴイ。やっぱりデザイナーの腕1つでバッチリ感マンタンになったりするんだね。ただし、これ観たら一目瞭然、大抵の人からは、このシャツ着てるヤツはアッタマオカシイ、と思われる。ごくごく一部の人は、これイケテル、その通り、私も理解できる、と言われる。(これホント)だからイケテル。それに何しろ原価にしてもらったから助かった! 少しだけボランティア太極拳指導してるからデザイン料はそれでたっぷりもらいました、なんて粋なことを言ってくれたし!

 

何なら10枚くらい作って毎日このTシャツだけ着て歩こうかな、と思ったりもするが、それだけ買うお金は無い。なので今の所、週に1回だけ。少し寂しいけど。

 

それにしても、今のコロナ騒動、日本ではまだまだ終わらない。まだマスク着けてる。本当にどうにかならないかな。5才から上の子供たちへのコロナワクチン接種も続いてる。本当にこれだけはやりきれない気持ちでいっぱいになる。それどころか、生後半年以上の乳児にまで、もうすぐ治験を始めるのだと。しかも日本の明治が持つ子会社の製薬会社が・・・明治製菓のチョコレート買ってたけど、もう買えない。本当に壊れてる。

 

政府もメディアも大企業も全部壊れてる。このワクチン大推進の連中たちは、間違いなく分かってやってる。断言しておこう、政府もメディアも大企業も殆どの人間はこのコロナワクチン打ってない。むろん医者たちも打ってない。いや私は打ってるよ、という者もいるだろうが、平気で嘘を付いている。中には本物のバカがいて本当に打ってる者もいるかもしれないが、圧倒的多数が打ってない。アメリカでもそうだ。CDCの職員の殆どがコロナワクチンを打ってない、という情報も既に出ている。類する報道は世界中で観られるだろう。そういうことなんだよ。

 

今の人類、卑怯者たちで溢れてるんだな。

 

何だかあんまり面白い文にもならなかった。しょうがない。ジェノサイドの話題が絡む文で面白くなる訳がない。いや、何とか面白くできないか? あ、そうだ。人間死んで終わりじゃない。ミヒャエル・エンデもルドルフ・シュタイナーも言ってる。別に彼らのマネをしてる訳じゃなく、その前から気づいていることだが、本当に人間死んで終わりじゃない、って自分の根っこの感覚で分かるようになった。彼らの情報を知る少し前に何故か気づいてしまった。だから、これから「コロナワクチン禍」で亡くなる人たち子供たちも決してそれで終わる訳ではない。必ず転生という形が顕れる。そう言えば、エンデの書いた「モモ」の中で、ベッポという爺さんとモモとの間で、面白い話があった。ベッポがモモに言っていた。

 

「昔、ベッポとモモは二人で石をはめこんだんだ、別の時代に。ナリは違うけど確かに二人で石をはめ込んだんだよ。そういう時代があったんだよ。」

 

そういうことを言っていたと。つまり、誰しも人間は死ぬ、という時期を体験するが、それは終わりじゃなくて、転生のきっかけでしかない。姿かたちは変わるが、必ず転生し、また巡り会うこともある、ということだ。そこに、私はどうしても過去生の関わりを繋げてしまう。今現在生きている生も過去生となる。さらに前の過去生、前の前の過去生、たくさんあるだろうが、まずは今現在生きている生、これがいずれ過去生の1つとなる。この今現在の過去生となる人生そのものをどれだけ素晴らしいものにするか、素晴らしいものにするということは、多くの人の助けとなるようなことが出来てるか、謙虚に日々を紡げてるか、人に迷惑をかけてないか、人を侮辱してないか、人の幸せを祈れてるか、人の幸せに貢献できてるか、というようなことが問われてくると思ってしまう。

 

アカン、こういうのをだらだら書いてはイカン。自分もまだまだそれほど大したことも分かってない。もっとじっくりきちんと考えて、自分が今からどのように生きていけばいいか、本気で考え本気で動かないといけない。少なくとも、ウソは付くな。ウソを付くようでは良い過去生は作れない、それだけは理解できてる・・・かな? 良いウソはたまに付いてるけど、悪いウソは付いてないな、ウン。