平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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②ソフトな対話形式

貴重な体験をさせていただいた。この所、詐欺コロナの実態を伝える街宣活動、及びビラ配りをさせていただいているが、今回はある方の発案、及び、素晴らしい音響体制の構築を準備いただき、2人での対話形式での提示をする、ということになった。今日、初めてその体験をさせていただいたのだが、大変新鮮な印象を受けた。

 

音響効果は非常に素晴らしいものだったようで、話している私には全く分からなかったのだが、遠くの方まで非常にクリアーに届いていたそうだ。私がお話した相方さんはとても知識豊かで様々なことに精通しておられ、大変勉強になった。私も私なりにお知らせすることをお話させてもらったが、私の方が多くのことを教えていただくことができ、有難かった。

 

途中、楽しいことがあった。3人の小学生が自転車で通りかかったのだが、こちらを観ているのに気づき、声をかけた。(2人ノーマスク、1人がマスク姿)

 

「こんにちはー。」マイクで声をかける。

 

「こんにちはー。」大きな声で挨拶を返してくれた。

 

「気をつけてねー。」私がさらに声を掛ける。

 

「はーい。」大きな声で答え、手を振ってくれる。

 

とても気持ちよかった。こうしたコミュニケーションがコロナ以前は普通にできていた。今は、できること自体が大変珍しい。なぜなら殆ど皆がマスク姿だから。

 

マスクは人と人とのコミュニケーションを遮断する。ただでさえそういう状況なのに、最近はそれに学校側が拍車をかけている。マスクをした状態で挨拶をするのは禁止。声を出してはいけない。給食のときも、給食当番が「いただきます」を言ってもいいが、他のクラスメートは会釈だけ。声を出して挨拶するのも禁止、会釈だけ・・・

 

いよいよ狂ってきた。学校は既に学び舎ではない。子供を精神的に殺していく現場と化している。意図的にやっているつもりは学校側はないのだろうが、一種の集団ヒステリーとして、こうした有害かつ犯罪的な策を呈している。既に、学校は、子供にとって害悪でしかない。

 

こうした状況を看過していては、本当に子供たちは殺される。実際、既に5才以上の子供たちに対してコロナワクチン接種が始まっている。狂気の沙汰ではない。少しでも子供たちを助ける方向性を見いだしたい。いろんな方法を考え、試していきたい。

 

今後、こうした対話形式のアピールはどんどん続けていきたいものだ。いろんな方々がトライし、様々に提案、情報提供をしていければ、いろんな可能性が広がるのではないか。音響の準備を完璧にしていただいているので、その場がある種、特異な空間となり、多くの人たちの注目をいただける。あれ? 一体何をしているのだろう、という感覚で観てもらえる。今後は、その中でこちら側からの問いかけ、話しかけをした方がいいかも、というアドバイスもいただいた。どんどん試していきたい。

 

もう何でもやっていきたい。とにかく子供たちを助けたい。むろん親たちも、多くの大人たちも助けたい。できる限りのことをしたい。しかし、自分が疲弊しないようにもしたい。自分をすり減らさず、回りが少しでも気づき、楽しく、力強い人生を紡ぐことができるように。

 

少しずつ前に進みたいものだ。