平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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日本人とちゃうの? 他雑録

ふと思い出したことがある。私はNHKの視聴料というのを払ったことがない。親が払っていたかどうか不明だが、親が払っていたという話も聞いたことがない。初めて一人暮らしをしたときはテレビを持たなかったのでやっぱり払ってない。テレビが自宅にあるようになってからは、NHKの報道内容、報道姿勢、何より朝一番に君が代が流れ、日の丸の旗が閃くシーンが流れるのを観てNHKが大嫌いになった。未だに日の丸と君が代には拒絶反応がある。(ちなみにテレビは6年ほど前に捨てた)

 

日の丸はかつてのアジア侵略でも使われた旗としての旭日旗と同類に見える。この旗の下で無数の人たちが殺された。むろん強制徴兵で派遣された日本の兵隊も無数に殺された。無作為にアジアの人たちを虐殺するという発狂状態にされ、無辜の殺戮も行った。その象徴としての旗に対して違和感を持たない方が不思議だ。別段、私が在日韓国人だからこういった感触を持つのだということではない。普通に考えて、人殺しが為され続けたときに使われた旗印を、そのまま使用し続けるなんていかがなものか、と感じるのが自然じゃないのか?

 

君が代など最悪。これが国歌になっているということが理解できない。元来、国家とは何か? この問題は非常に根深い要素があるので簡単につまびらかにできないが、国家とはごく一部の利権層が幅をきかせ、正当化できるシステムのことを言う。支配層が利権とカネを独占し、かつ市民から横領し、民主主義などというまやかしで市民を統制支配しつづけるシステムだ。皆騙されている。税金? これは別名みかじめ料というものだろう。或いはショバ代。税金は民主主義とされるシステムの中での最も過酷な搾取ツールである。分かる人には分かる。分からない人には何を説明しても分からない。第一、地球始まって以来、人類において、民主主義など一度も社会で機能したことはない。

 

私は、在日韓国人として生まれ、日本国籍を有さず、税金は同様に搾取されながら選挙権を与えられないという不平等状況で生活してきた。なので、国家というものが平然と横暴を極めるという状況を体感できる立場に立つことができた。だからこそ、日本の旗、日本の国家としての成り立ち、やり方に対して意見を持つことができた。在日日本人は、そうした考察をする機会を持つことがない。強いて言えば、日本人として生まれて良かったとか、日本は世界一素晴らしい国だとかの自画自賛くらいが聞かれる程度。馬鹿げている。自己矛盾に気づいてない。

 

国などに何の意味があるのか? 全く何の意味もない。若い頃、自分なりにアイデンティティーというものの希薄さに気づき、一人前に悩んだことがある。自分は日本人ではない、しかし韓国人というのでもない。韓国人というのなら韓国語を話してるはずだが全く知らない。在日韓国人というのは韓国人なのか日本人なのか判然としない。一体自分はナニ人なんだ・・・という訳だ。

今から考えると、実にバカなことを考えたものだと赤面してしまうが、当時は真剣だった。

 

学校を出て就いた仕事を一年で辞め、引越屋トラックの運転手で金を作り、一年ほど日本の外に出ることにして出てみた。ロンドンで10ヶ月ほど過ごし、日本への戻り際、一ヶ月ほどかけてヨーロッパ各国をバックパック旅行した。この体験で、自分のアイデンティティーの確認という目論見は簡単に果たすことができた。ナニ人というのには全く意味がない。ナニ国人というのも意味がない。人間は人間に過ぎない。人間というのはイイ奴もいればワルイ奴もいる。ただそれだけだ。ナニ人だからイイ、ナニ人だからワルイということはあり得ない。絶対にあり得ない、ということだ。自分のアイデンティティーとは自分は人間だ、ということだ。

 

再びNHKの話に戻す。これは完全な翼賛組織だということ。政府の代弁者となっている。こんな簡単なことが多くの人の知識となっていないことに愕然とする。NHKの視聴料? ありえない。勝手に電波を送っておいて勝手に料金を取りに来ること自体が詐欺。大体、日本の国(世界の殆どの国も)の政府は詐欺で成り立っている。ウソしか言わない。だからメディアもウソしか言わない。政府とかメディアとかがまともに市民を守ったことがあるか? 一度もない。ほんのつい前のこと、第二次大戦で何があったか思い出してみてほしい。非国民という言葉も調べてみてほしい。拷問、虐殺が普通にあったことを思い出して見てほしい。

 

私は一度もNHKの視聴料を払ったことがないので、契約が存在しないらしい。だから支払わない限り無契約かつ請求不能ということだ。1回でも支払った人は請求され続けるのだと。だが、方法は絶対にあるはず。何とか工夫して支払いを拒絶する方がよい。テレビを捨てたら支払う義務も無くなるのではないか? いや十分調べて対処することを勧める。

 

閑話休題

 

小林多喜二という作家がいた。たったの30才で拷問死した。「蟹工船」という人間として当たり前のことが描かれた「普通の」小説を書いたという咎で3時間の拷問を受け、殺された。虐殺した者はその後出世し、天皇から勲章ももらい、大臣とかにもなっている。それが日本のシステム。未だに処罰されない。犯罪者は処罰される、という道理が国家には無いということの証左だ。少し調べてみれば分かる。そうだな・・・消される前に記録として残しておこう。少しネット検索してみよう。小林多喜二自身の小説の抜き書きがあった。小説毎消されることはないだろうから、とりあえず記録しておこう。

 

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・・・裸にされると、いきなりものもいはないで、後から竹刀でたたきつけられた。力一杯になぐりつけるので、竹刀がビュ、ビュッとうなって、その度に先がしのり返った。彼はウン、ウンと、身体の外面に力を出して、それに堪えた。それが三十分も続いた時、彼は床の上へ、火にかざしたするめのようにひねくりかえっていた。最後の一撃(?)がウムと身体にこたえた。彼は毒を食った犬のように手と足を硬直さして、空へのばした。ブルブルっと、けいれんした。そして、次に彼は気を失っていた。 ・・・(中略)・・・水をかけると、息をふきかえした。・・(中略)・・・「この野郎!」一人が渡の後から腕をまわしてよこして、首をしめにかかった。「この野郎一人で、小樽がうるさくて仕方がねエんだ。」
 それで渡はもう一度気を失った。
 渡は警察に来るたびに、こういうものを「お巡りさん」といって、町では人たちの、「安寧」と「幸福」と「正義」を守って下さる偉い人のように思われていることを考えて、何時でも苦笑した。・・・(中略)・・・渡は、だが、今度のにはこたえた。それは畳屋の使う太い針を身体に刺す。一刺しされるたびに、彼は強烈な電気に触れたように、自分の身体が句読点ぐらいにギュンと瞬間縮まる、と思った。彼は吊されている身体をくねらし、くねらし、口をギュッとくいしばり、大声で叫んだ。
「殺せ、殺せ──え、殺せ── !!
それは竹刀、平手、鉄棒、細引でなぐられるよりひどく堪えた。・・・(中略)・・・針の一刺しごとに、渡の身体は跳ね上った。
「えッ、何んだって神経なんてありやがるんだ。」
渡は歯を食いしばったまま、ガクリと自分の頭が前へ折れたことを、意識の何処かで意識したと思った。・・・(小林多喜二『一九二八・三・十五』より)

 

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(ここから再び管理人)

 

このような拷問が戦前、戦中において、普通に行われていた訳だ。この件については関連することを後ほど、もう少し書いてみる。

 

今、改めて小林多喜二の「蟹工船」を読んでいる。いずれ、上記の小説も読むつもりだ。国家というものはこういうことを平気でする。国家は、人間をこうした非人間に変える力がある組織だ。軍隊でも同様のことが起きた。家庭では良き父だったものが、戦場では人非人に変貌する。いやさせられる。

 

日本で生まれたから日本人? 一度疑ってみることも必要なのではないか? 日本人って何だろう。沖縄に住む人たちは、特に私と同年代以上の人たちは日本人を、いわゆる内地人を嫌っている。何故か? 沖縄人は日本人だとは思われていないからだ。私と同世代の人ばかりでなく、40代、30代の人でも多くのありえない体験を語ってくれる。沖縄の人は何を食べてるのか? とか普通に聞かれると。日本語はしゃべれるのか? とか、いちいち何かしら上から目線という風がどんどん吹き付けてきた、と聞く。同じようなことは在日韓国人でも体験している。

 

そうだ、私は沖縄に住みながら、ある一つのテクニックを手に入れることができた。一目私を観た沖縄人は、私のことをすぐにナイチャーと知る。(ナイチャーというのは内地人の沖縄式表現、要は沖縄人じゃない、ナイチの人間だという蔑称的イメージとしての言葉)こちらに住み始めてようやく知った、沖縄の人たちのナイチャー嫌い。観光で来ていた内は、皆優しかった。住むようになってからガラっと変わった。どちらかというと冷たくされる。中にはすぐになじんで仲良くなる人もいるが、下手な人はなじめない。私は下手な方だった。

 

あるとき、不思議なことがあった。空手道場で稽古させてもらってたとき、私より少し上の先輩が何故か冷たい。あまり口もきかない。挨拶もあまりしない。あるとき、稽古でのイベントの流れで飲み会となった。たまたま店の座席で真向かいに座っておられた。思い切って言ってみた。

 

「あのー、私のこと日本人だと思ってはりますよね。」

「うん? そうだろ?」

「いえ、私、日本国籍じゃありません。」

「え? 平山さんやろ。日本人とちゃうの?」

「違います。韓国人です。」

「え? え?」

「親が韓国人で、日本にやってきました。私は日本で生まれました。よくいう在日韓国人です。」

「え? そしたら日本人じゃなくて、韓国人?」

「ええ、まぁ一応そういうことになります。」

一瞬の間があった。

「平山さんは日本人やない・・・韓国人?」

「はいそうです。」

そう答えた途端、いきなり右手を出してこられ、私の右手を握りしめながら言ってくれた。

「なかよーしよーやー」

 

これは本当に驚いた。内地で同様のことを言ってこんな言葉を聞いたことはない。生まれて初めての体験だ。これを機に、知り合った人にはできるだけ早く、自分が日本国籍を持つ日本人ではなく、韓国籍であること。親が韓国人なので、日本で生まれた私は在日韓国人という立場だということを伝えることにしている。つい最近も、ある人にそれを伝えたところ、「私は韓国の人、大好きですよ。」と言われたものだ。

 

こうした私の体験について、日本の方もよく考えてみてほしいと思う。もちろん、在日日本人でも十分にこの感覚を理解し、沖縄の人や韓国の人を差別することなく、普通に対等に付き合ってくれる人はいる。だが、一方で、不要な蔑みを未だに持っている人も多数いるのだ。この点は非常に残念だ。

 

先ほどの拷問の件に戻る。実は、日本の今の憲法では、拷問に関する件を厳しく戒めている。ところが、憲法改正の目論見があり、その改正案では戒めが緩んでいる。比較してみてほしい。

 

現行憲法:公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

改正案:公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。

 

「絶対に」という言葉を削除している。これは、場合によっては拷問する、例外として拷問もありうる、という意味合いに緩められている、ということだ。

 

「絶対に」という文言は、小林多喜二に対して行われたようなすさまじい拷問に対する厳しい反省の下に入れられていたはずだ。その反省が揺らいでいる。「公務員」というのは警察官、軍、もしくは小林多喜二を殺害した特高と呼ばれる者たちのことを指す。

 

こうした変更の他に、基本的人権の項目の抹消や、緊急事態条項の新設など、完全な市民弾圧を意図した改正案になっている。むろん改正案は自民党のものしか通らない。現在、詐欺コロナパンデミックで大騒動が繰り広げられている。全く無意味で有害なだけの感染対策をムリクリ発出し続け、全国民をパニックに陥れ振り回している最中に、これらを逆に大きなスピンとして利用し、こっそり憲法改悪の作戦を進めている。メディアは全く触れない。政府はむろん正確な変更内容を伝えない。おそらく、こういうコロナ禍のような非常態勢の折は、すばやい対応が必要とされる、緊急事態条項は必須だ、とかの文言を徹底的に刷り込んでいかれる。

 

緊急事態条項が入ってしまうと日本の社会は真綿でクビを絞められていくことになる。一気に弾圧は始まらない。少しずつ少しずつ窮屈になり、気がつけば、礼状無き逮捕、拷問が日常茶飯事となる未来が間近になってきている。

 

手遅れにならない内に、覚醒する必要がある。子供たちを守るために、大人は今までの生涯でこれほど頑張ったことはない、と言えるほどに声を上げ続けなくてはならない。さて・・・

 

追記(同年3月4日)

 

沖縄の人たちがナイチャーに対してあまり優しくないというのは理由がある。学校を卒業後、内地に就職先を求めたり、あるいは出稼ぎ(沖縄では仕事を見つけるのが難しく、賃金も安いので出稼ぎする人も多い)することが多い。その内地での仕事生活の中で、随分いやな思いを味わうことがあるのだ。多くの沖縄人、(いや琉球人と言った方がいい、琉球人に統一しよう)はその時に本格的な差別の洗礼を受けるのだ。当然そういった体験は他の琉球人にも伝わる。また、戦争時、日本軍からとんでもない目に遭っている。米軍に追い立てられ、壕(自然に出来た洞穴であちこちに避難壕があった。沖縄に来られた人は是非、その壕の戦跡を訪ねてほしい)に琉球人が避難すると、日本軍の兵士に追い出されたり、あるいは米軍に物音を聞かれるとまずいと泣き声を上げる幼児を殺したりしている。想像を絶する出来事が無数にあった。

 

私は、沖縄に来てから、各地の戦跡、博物館、ひめゆりの塔記念館、図書館などに行き、様々な証言(ひめゆりの塔の生存者の方から直に話も聞いた、もう殆どの方が既に亡くなられている)も聞いた。また文章として証言集も読んだ。すべて、それまで全く聞いたことのない話だった。うかつにも、内地の学校では一切そうした話はシャットダウンされていたという現実を知らなかったのだ。日本の政府というのはこういった隠蔽も普通に行う。

 

こうした史実故、むろん琉球人が内地人を快く思わない、いや思えないのは至極当然ではないか? むしろウェルカム内地人と簡単になることを期待する方が傲慢なのではないか? それでも素晴らしい人がおられる。憂愁を越え、怨嗟を越え、同様に同じ人間として繋がり合おうという感覚を大事にしておられる方も多数おられる。本当に尊敬する。

 

私は琉球人と出会い、本当に癒された思いを体験した。在日外国人を一切差別しない、という人たちがここにいる、と知り、本当に驚愕し、嬉しく思った。ところが、内地での在日外国人差別は実は全く無くなっていない。それどころか、制度的にまだまだいびつな物が残っている。出入国在留管理庁(入管庁)という行政部署だ。

 

オーバーステイ(在留許可期限を越えて滞在)などの理由で、この部署は在留資格の無い非正規滞在の人たちを、この入管庁の裁量、権限で日本各地の9箇所にある収容施設に収容する。収容は人身の自由を完全に奪う。本来なら裁判所の令状が必要なはずだが、入管庁の手続上では何故か不要とされている。警察官、検察官、裁判官、刑務官の役割を、入管庁の単なる行政職員がやっているという超法規状況となっている。あまりにも大きい裁量権を入管庁職員に与えられている訳だ。意図的なものだと思われる。在日外国人の人権を全く認めていない。

 

40年近く前の話だが、私の知っている人で、入管庁の収容施設に何年も入れられていた方を知っている。詳しいいきさつまで分からないが、在留資格の不十分さが故、中々その施設から出ることが出来なかった。何度も陳情し、いろんな方が訪れ、交渉し、やっと在留資格の整理が調い、収容施設を出ることが出来た。その過程の話を聞き、本当に理不尽なことが行われているということを知った。在日外国人に対するあまりに厳しすぎる「目」を感じた。実はすさまじい人権侵害が多発しており、かつ、意味不明な暴行で収容者が死亡するということも起きている。世間の目が全く届かないので、職員の横暴は歯止めがないのだ。在日外国人は日本で人権保障されているとは到底言えない。

 

収容施設での在日外国人の苦難は特別ひどいものだが、琉球人も一般の在日外国人も同様の思いを味わっている。在日韓国人の私も同様だ。私は何人というのは全く意味がない、ということをこの記事で書いたが、沖縄では、積極的に沖縄の人たちに私が在日韓国人であることを伝えることにしている。琉球人と早く仲良くなりたいが故のことだ。

 

ただし、私には日本人韓国人というのは本来何の意味もないことも知っている。当たり前だが、私には日本人としての誇りなどあろうはずもない。同時に私は全く韓国人としての誇りなども持っていない。日本人韓国人ということでそれぞれが誇りを持つということ自体が、ナンセンスそのものだということを理解している。この部分を共有できる人はまだまだ少ないようだが、本来人間は、その属性でもって誇りを作り上げたりする必要がない。人間の中身が問題だろう。人間の内実を磨き上げ、鍛え上げ、本質的な寛容と優しさを持ててこそ、そういう人間としての自分に誇りを持てることになる。その流れで自分に誇りを持てるようになりたいものだ。まだまだ未熟の徒に過ぎない私は、自分に誇りを持てる位置にはない。いろんな意味でもっと修行が必要だな。