平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

人生の様々な側面を表示します メール keitaisan@icloud.com 

民族意識? 愛国心? そんなものは・・・

多くの方にとって、あまり面白くない話ですが、あえて書きます。現実を知ることは非常に大事ですから。それに、現実を知り、自己認識改善をするのもまたとても重要ですから。

 

残念ながら、今の日本、以前にも増して在日外国人差別が多くなってきているように感じます。ネットでもやたらに在日韓国人朝鮮人、もしくは在日ベトナム人他のアジア人への差別も増えています。ブラジル人にも風当たりが強いようです。何故なんでしょうか? さらにまた、帰化人が政治家になれる、総理大臣にだってなれる、これはおかしいとか···何がおかしいのでしょう? 帰化した人は議員にも総理大臣にもなれる、当たり前でしょう。ただし、その問題以前に日本の政治は潰れてますが。

 

と、ここまで書くと、今の日本で、かなりのバッシングが来るようです。ただし、内地においてだけですが。私が今、居住する沖縄では、そういった在日外国人への攻撃は皆無です。これは私自身が15,6年、いや17,8年くらい前から感じ続けてきたことでした。観光で沖縄に行ってからとても好きになり、度々行くようになりました。幸い、石垣島に住む友人もいたり、宮古島に住む友人もいたりで交流することができました。結局、12年ほど前に移住しました。最初は宮古島、それから沖縄本島···

 

観光で来るのと、移住して住むのとでは、微妙に沖縄の人からの当たりが変わってきます。いわゆるナイチャー差別っぽい感覚を感じてしまうことがあります。ナイチャーとは内地の人、内地人のことですね。沖縄の人たちの中には、内地に住む人に対して、人によっては相当の反感を持つ人がいます。特に年配の人の中には多いです。何故? むろん沖縄の人たちも在日韓国人の私と同様、内地の人たちから差別を受け続けてきた歴史があるからです。この話をしだすとこれまた長くなるので、今回は省きます。

 

一体何のためにこんなことを私は書いているのでしょうか? 実は、全く別の目的があります。一体、国って何なんだろう? 国籍って何? 愛国心って何? 民族意識って何? ということについて、ほんの少し真剣に考えていただきたいんですね。さらに、メディアって何? ということも。

 

ちょっとまた別の方向へ話を飛躍させます。私は小学生くらいから様々に、在日韓国人が味わう、いわゆる様々な差別を味わってきました。それなりにいやな思い、出来事、被差別事象、他、別途書かないと全然伝わらない、ありえない被害なども体験しました。多少の紙面では到底書ききれません。

 

20代後半のときに、どうしても一度日本から外に出て、自分の生きていた場所のことについて離れて考えてみたいと思い、1年ほど海外で過ごしました。お金を作るのは大変でしたが、引越トラックのアルバイトで何とか工面し、ロンドンでしばらく生活しました。そのときに暮らした生活のなかで、何となく見えてきたことがありました。

 

しばらく日本から離れたかったのは、自分という人間が一体どういう存在でどういう立ち位置なのか? 日本人ではない、韓国人とも言えない、日本に住んでるのに韓国人? 韓国に行ったことないのに韓国籍? 韓国語もしゃべれないのに韓国人? 日本でたまたま生まれただけなのに、税金は日本人と同じように取られるのに選挙権無い? 一体オレって何人なん? 意味わからんぞ。オレ自身のアイデンディティって一体何なんだ? というゴチャゴチャな思いを整理したかったのですね。一体私は何人? 日本人でもなければ韓国人でもない、一体どこに誇りを持てって言うのか? というような何もかもグチャグチャな自己意識を整理してスッキリしたかったということがあります。そして、民族意識とか愛国心って一体何なんだ、ということも考えてみたかった、ということもあります。

 

ロンドンに一時移住してすぐに、ある武術道場に入会しました。海外での武術稽古体験をしたかったのと、地元のイギリス人との交流もしたかった、ということがあります。とても素晴らしい体験でした。稽古を重ねる内に、仲良くなった道場生徒がいます。私とほぼ同じ体格でほぼ同年齢、何故か私の面倒をよく見てくれます。私の英語が丸で下手なのを気の毒に思ったのでしょう、実に分かり易く話してくれ、分からない点については根気よく説明してくれてました。やがて、仲良くなり、自宅に招待してくれることになりました。ご家族は本人及び奥さんとの二人暮らし、奥さんは中国人でした。あ、そうか、奥さんが中国人だから、同じアジア系の韓国人である私に対しても、何にも違和感が無いということだったんだな、と一方的に思ったものですが、後で、いや、本当に優しい思いやりのある人だったんだということが分かりました。

 

稽古道場ではできない話もかなり出来ます。思い切って、私なりのアイデンティティーについてのモヤモヤを話してみました。ごく簡単にその時の会話を再現してみます。

 

私「私が韓国人ってことは言ったよね?」

 

トム「あぁ、最初に教えてもらったよ。知ってるよ。」

 

私「日本で生まれて日本で育ったんだけど、韓国人ってことになってるんだよ。」

 

トム「え? 日本で生まれたの? じゃあ日本人じゃないか。」

 

私「いや、日本で生まれても、親が韓国人ならその子どもは、ずっと韓国人なんだ。」

 

私「それに、税金は日本人と同様に払わないといけないけど、選挙権は無いよ。」

 

トム「全然理解できない。信じられないよ。」

 

私の英語力が低いので、あまり多岐に亘って説明できなかったのが残念ですが、トムの国籍認識では、日本で生まれた外国人の国籍認識が全く理解できないようでした。イギリスは一応血統主義となってますが、イギリスで生まれた外国人は、比較的容易に市民権、在住権を取ることができたのではないでしょうか。国籍取得の要件も日本のように厳しくはありません。また、アメリカは出生地主義で、アメリカの飛行機で生まれてもアメリカ国籍になります。日本はものすごく厳しいですね。書類は100枚くらい要ると聞いたことがあります。

 

もうひとつ、私はロンドンで驚くべきことを体験しました。突然の胸痛に襲われ、我慢していたものの、心配になり、仕方無く大嫌いな病院に行きました。パスポートと、少し多めのお金を持って診て貰いに行った訳です。レントゲン検査と問診をしてくれた後、結果分かったことは、高校の頃に一度なった「特発性気胸」でした。細身で背の高い(イギリスでは私は全然背が高くありません)人がよくなります。結局、大したことは無い、安静にしていたらいい、ということでした。取りあえず安心したのですが、おそるおそる聞いてみました。

 

「いくら位、費用を払えばいいのですか?」

 

このときに聞いた答で仰天しました。

 

「無料です。保険が適用されます。」···

 

念のため説明しますが、私は観光ビザで入国してます。観光ビザで入国し、外国人のための英語学校に入った後は、確か別のスタンスに変わったかもしれませんが、あまりよく覚えていません。とにかくイギリスの国籍をむろん持っている訳はなく、市民権も在住権もありません。なのに、医療にかかって無料? 本当に驚きました。

 

もちろん、イギリスでいいことづくめという訳ではありません。黒人差別の問題は深刻だなぁ、と考えさせられる見聞も体験してます。トムとはしょっちゅうパブでビールを一緒に飲みましたが、何故か黒人の道場生は絶対に私がトムと一緒に行くビヤホールに来ません。私は黒人ではない、ということでギリギリ、トムと一緒にビヤホールに入れたということなのか、今以て実はわかりません。ただし、黒人は一人もいませんでした。今はどうか知りません。

 

もうひとつ、印象に残った出来事があります。ロンドンから日本に戻る前に、一ヶ月ほど、ヨーロッパの何カ国を一人で旅行したことがあります。ユースホステルと鉄道を使ったバックパック旅行。その時に、貴重な体験をしました。

 

ユースホステルで沢山の外国人と交流を持つことができたのですが、アメリカ人、フランス人、ギリシャ人、イタリア人などなどとカタコトの英語で話しているとき、不思議な注意をされました。何人もの人から、

 

「旅行してるときに気をつけることがある。モロッコ人にだけは気をつけろ。みんなドロボウだから。」

 

耳を疑いましたが、あまりにアチコチで言われるので、何だか怖くなったものです。ところが、全くの偶然で、二人連れのモロッコ人と知り合いになりました。見た所、何か人が良さそうで、とてもじゃないけどドロボーなんかに見えません。私は基本的に直観で行動する性格だったので、簡単に意気投合し、取りあえず、二泊ほど一緒に旅行することになりました。でも、あまりに繰り返された「モロッコ人には気をつけろ」の言葉が頭にこびりついてたので、腹巻きベルトのような貴重品入れを確認しつつ同道したものです。

 

用心に用心を重ね三人連れでの旅を続けました。詳しい内容はもう何十年も前の話なのであまり記憶にありませんが、ヨーロッパ旅行の中で、最もすばらしい出会いとなりました。二人のモロッコ人は、性格も気質もとても穏やか、そして思いやりがあって優しくて、謙虚で押しつけがましくなくて···とにかくとても素晴らしい人たちだったのです。別れる時にも、実にあっさりと、「気をつけて。あとの旅を楽しんで。」と言ってくれ、素晴らしい笑顔で挨拶してくれました。写真を撮らなかったのが本当に残念でした。スマホなんてありませんでしたしね。ドロボウかもしれないと疑って本当に恥ずかしい思いでした。

 

そのときに思いました。○○人だからどうだとか、××人だからどうだとか何の意味も無い。いいヤツは何人でもいいヤツだし、だめなヤツもまた何人でもだめな者はダメなヤツ。人間なんて何人だからどうとか全く意味が無い、という真理です。これは本当に強烈な体験でした。実はこのような体験を最もしたかったんだなオレは···そのように感じましたね。

 

日本に帰ってきたときは、実にスッキリした思いでした。自分が何人であろうと、何の意味もない。自分は自分。人間としての自分を自分で尊重する、それだけでいい。日本人であろうと韓国人であろうと在日韓国人であろうと何の意味もない。基本的にただの地球人、広い宇宙でたまたま発生した人類という生き物の一個体に過ぎない、そういう認識を普通に受け止めることができるようになったのです。気持ちが大変ラクになりました。

 

この体験は貴重でした。結局、私は、国籍は韓国にしても、韓国人としての民族意識も愛国心も持てず、むろん、日本人ではなく、何人でもないということを認識できた訳です。おかげさまで、何かしら国籍に拘束されることなく、言わば自由人として人生を把握するという習慣を身につけることができました。これは本当にラッキーだったと思っています。

 

むろん、日本人は日本人として民族意識を持つ、愛国心を持つ、韓国は韓国で同様な感覚を持つ、という人もいるでしょう。ただ、少し私は考える所があります。今の日本、大丈夫でしょうか? 韓国も大丈夫? アメリカは? イギリスは? 中国は? どこもかしこも問題だらけ。大体目にするのは、いわゆる政府、政権というのがやたらデカイ面をする、という所です。特権階級も普通に存在します。そして、様々な欠陥を数知れずどこの国も持つことになります。

 

人間というのは、国家という単位で集合体を束ねるというのは、かなり無理があるのではないだろうか? ということを時々考えます。むしろ大昔の都市国家的な小規模な集合体の方がうまくいくのでは? グレートリセットは問題外というのは当然ですが。

 

民族意識? 愛国心? そんなものはドブにでも捨ててしまえ、とは私が昔から言っていた言葉なのですが、意外にこの言葉を吐くとスッキリします。民族意識、愛国心など、何の意味もありませんから。人によってはやたら強調する場合がありますが、結局これらの感覚は、特権階級を守るための方便に過ぎず、犠牲になるのは一般民衆だけ、ということなのではないでしょうか? 第二次大戦時、特攻隊が作られ、若者が死んでいきました。沖縄では、鉄血勤皇隊とかいうものを作られ、13,14、15才の中学生が爆弾を持って米軍戦車に特攻させられました。すべて、天皇の名の下に···日本民族、ニッポン愛国····殺された人たちは、決して幸福ではなかったはずです。

 

日本の現在について考えます。未だにコロナワクチンを世界一接種推奨、続けてます。マイナンバーカードという実に意味不明、目的不明の作戦も続けられてます。何のメリットもなく、ただただ情報漏洩、基本的人権の破壊、損害リスクがあるばかりのものが、あれよあれよと言う間にはびこっています。ポイントで釣ってありえないほどの利益を特権階級にもたらす物です。マイナポータル利用規約を読んでもらえれば簡単にその悪魔性が分かるのですが、今の日本の一般市民国民、誰もきちんと調べようとしません。

 

メディアは政府のグルなので、決して市民国民の味方にはなりません。これは自明なのですが、どなたも理解しません。どのように伝えればよいのか、私も方法が分かりません。今のままだと、結果的に、日本は民主主義など夢の話、共産主義社会を目指すような形になっていくのではないか、と考えたりします。非常に危うい状況だと思います。

 

このカテゴリー記事、また書きます。