平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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②エイリアンインタビュー 読了

エイリアンインタビュー 読了した。

 

かなり日にちを費やした。あえて少しずつ読み進めたと言ってもよい。今まで全く読んだことのない筆致に溢れていた。このような書籍は全く初めてと言える。読んでいるとき、ジョージ・オーウェルの「1984年」を思い出した。本筋が始まるまでの道具立ての豊富さ、最後の最後までどうなるか分からない筋書き、およそ想像もできない展開、などなど、共通するポイントが重なっていた。読了した後も、しばし呆然とする思いが残った。

 

筆者自身が、「理性的」な人なら誰しもが、この本の内容を絶対に信じることはないだろう、と断言している。巧妙なレトリックとみる向きもあるだろうが、実際、本の内容はぶっ飛んでいる。真実なら人類の誰しもが体験したことのない体験と言う他ない。極めて克明に描かれているが、詳しく説明を加えれば加えるほど、こんなことが本当に起きるなんて、一体誰が信用するだろう、という感覚が増幅してしまう。

 

いや、ひょっとしたら多くの読者が魅了され、簡単に信者となっていく、ということも想定されるかもしれない。しかし、私の観る位置は複雑だ。どちらの立場にも立てない。一度読んだきりではまだ全然飲み込めないことばかりなので、まさしく、しばしの間、呆然としているしかない、という印象だ。

 

人間の存在とは何か? 生とは何か? 死とは何か? そもそも、人間という存在そのものが、ある意味、フェイクではないかという疑い、及び、人間は皆、無から生まれて無へ帰るという発想そのものが信用できるものか、こういった様々なテーマが盛り込まれている。それが「エイリアンインタビュー」 一筋縄でいく訳がない。

 

文章の書き方の中に、あえて混乱を含ませているのではないか、それも意図的に・・・そう思えるようなフシもある。

 

ぶっ飛んでいる内容のいくつかを並べる。宇宙の歴史は100数十億年とかいうものではない、何千兆年にも及ぶ、いや、無限という概念すら想定される、地球は監獄惑星であり、宇宙の中で監獄として使用されてきた、人間の体は主体ではない、エネルギー体とも言うべきものが存在している。不死に気づくことで新たな発見が得られる、などなど

 

いずれも驚くべき視点に満ちた本だ。よく出来たSF小説というにはあまりにもすそ野が膨大。ありとあらゆる分野、人物に物語りが繋がっていく。読む側も振り回されるが、説明する側からは、どうすれば分かり易い説明になるのだろう、というとまどいを持ちながら執筆されている、という含みを感じさせる。意図的ではなく。それもテクニックと言えば言えるが、そこら辺の所は実に何とも言えない。

 

ただ、実質的には著者(紹介では編集者となっている)とも言えるローレンスR.スペンサーが、本の末尾で、本人の他の本を見つけるための出版社のウェブサイトを紹介しているのには、少しずっこけた。同時に、中々やるなぁ、とも感じさせられた。ただ、この点のみにおいて、話そのものがすべてフェイクとは到底思えない。

 

哲学的であり、理知的であり、思索的であると感じさせられている。一度きり読んだだけではまだ全く飲み込めないので、おそらく日にちをかけてまたゆっくりと二度三度と読まなくてはいけない。そう思わされた。

 

極めて簡単かつ素朴な読後感。これ以上は今の所、何も言えない。