平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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大坂なおみが怒る気持ちは理解できる

たまたま、大坂なおみがメディアと対立している、という記事を目にしました。少し調べてみましたが、彼女が怒る気持ちは理解できます。人種差別が起因しています。

 

世界中に人種差別が存在します。悪しき習慣なのですが、人類が絶滅するまで無くならないと想像してます。人間とは元来愚かなもの、何かしら優越意識を持ちたいという妄念を持つ人間は後を絶ちません。

 

私自身も、大変下らない外国人差別、人種差別を経験しました。10才頃からですから筋金入りとは言えませんが。

 

10才頃、小学校の社会の授業で「帰化人」という項目がありました。朝鮮の陶工が九州北部地方に渡来し、住み着いて陶磁器技術を伝え、日本に帰化した「帰化人」となったというような内容だったと記憶しています。何しろ遠い昔のこと、当時の教科書を調べるヒマもないので正確ではありません。ただ、淡々と歴史事実を伝えられたという印象はよく残っています。

 

授業を聞き、小さい自分の中で納得することがありました。自分の家には何故か自分の知らない言葉を話す親戚が時々やってきます。それが不思議でなりませんでした。生まれてからずっと、父母は日本語を話す姿しか見たことがありません。それが、この知らない言葉を話す親戚が来たときだけ、父はこの親戚の言葉を同じように話します。それが不思議でした。

 

社会の授業を聞き、「帰化人」というものの内実を知った思いでした。由来は違いますが、父もこの授業に出てくる渡来人と同じように、朝鮮から何らかの事情でやってきて「帰化」して帰化人になったのだ、と理解したのです。

 

帰化という制度は今も存在します。日本でも、法務省に帰化を申請することによって審査が始まり、認められた場合に初めて「帰化人」となることができます。

 

私は、間違ったとらえ方にせよ、父は朝鮮からやってきた「帰化人」だったのだと知ったように感じました。(後にむろん、父は帰化人ではなく、韓国籍という外国籍を持ったまま日本に住む、在日外国人であることを知ることになります)

 

私は自分の正確な出自を知った思いで得意になり、友人に伝えました。この授業の後、

 

「今の授業で朝鮮からの陶工がやってきて帰化人になったって、先生が言ってたけど、どうもボクの父親は帰化人みたいや。きっと帰化人なんや。」

 

と得意げに言ったものです。どうだスゴイだろう、みたいな単純な思いでした。別にそれがスゴイ訳でも何でも無く、まぁ、回りの日本で生まれた普通の日本人である友人よりは、ちょっと違ってる、それを何となくかっこいい、と受け止めた訳です。子供なりの根拠ない自慢感覚でした。

 

ところが、おもいがけないことが起きました。ある一人の児童が大きな声で囃し立て始めたのです。

 

「お前のトウチャンキカジンや〜、チョウセンチョウセンちょと違う〜、」

 

正確な言葉は忘れましたが、大体こんな感じで囃し立てたのです。つられて3,4人が同じように囃し立てます。5,6人のクラスメートがそんな風にバカにするような様相で私をあしざまに言うのです。

 

子供ゴコロにも、これは普通のことじゃないと感じ、自分なりに抗議したり、追いかけたりしてみましたが、彼らは逃げながらもずっと囃し立てる言葉を繰り返します。それも内容を色々変えながら・・・

 

「チョウセンチョウセン、ちょと違う〜。あいつの家もちょと違う〜、○○××な〜に言ってるかわけわから〜ん。」「くっさいくっさいニンニクくっさ〜い」

 

生まれてからこの方、こんな囃し立てられ方をされたことがありません。全く初めての体験でした。囃し立てを始めた最初の一人は、ガキ大将タイプのクラスメート、それにつられて他の児童が付和雷同、という流れでした。

 

今思い出しても、妙な体験だったなぁ、と思います。一体誰が10才前後の児童たちにこういった感覚を植え付けたのか、未だに分かりません。ひょっとしたらその頃の児童たちの親の世代で同様の感覚があった、それと、あの子はチョウセンと言って、ろくでもない所から来てる親の子だよ、みたいな誹りを親がしていた・・・

 

この件に関しては自分ではそれほど調べてないので不明です。ただ、後に、様々な差別事案を見聞きし、かつ自分でも溢れるように色々な事例を体験することとなります。今も尚それは続いています。多くの在日日本人は知ることがありません。なぜなら本当の歴史を教えられてないから。なぜなら日本に人種差別はないと考える人が多いから。

 

大坂なおみの場合は、黒人差別が元になっています。ある黒人男性が差別の故に白人警官から身体を押さえつけられ、呼吸ができず死亡したという事件がありました。その件に関して、彼女は厳しく抗議したことが知られています。以来、メディアから様々に攻撃、批判を受けてきたようです。本業のテニスでの記者会見において、丸で見当違いな質問が執拗に飛んでいたようです。

 

ばかばかしくてやってられなかったでしょう。彼女の発信はねじ曲げられ、意図的に彼女自体が無用に攻撃的だとされ、間違っているというようにすり替えられていく、そういうことが多々あったと思います。

 

当分苦しむことになると思いますが、それで決して腐ることなく、正々堂々と立ち向かい、時にはスルーし、時には沈黙し、無視しながら、全く異なるスタンスから堂々と人生を紡いでいく、という姿勢を確保してほしいものです。

 

私が受けた差別事例については、おいおい紹介していきたいと思います。どうだ、こんなにひどいんだぞ、などというスタンスでは無論無く、社会学的に、そして人の道としてありうべからざることだとの紹介を試み、かつ、その克服と差別者の反省にも繋がるものとしていきたいと考えてます。かなり難しい作業だと思いますが。

 

人間が人間である、ということは、かなり大変なことなのでしょう。ノンベンダラリと何の障害もなく、平凡な人生を送るのも幸いかもしれませんが、私の場合、そのような平凡な人生は望むことすら出来ませんでした。でも、様々な差別を体験することは、自分の中に、自分を鍛える槌としての機能が備わることともなります。その槌でもって、私の人生は少なからず助けられました。感謝してます。

 

大坂なおみも、自分の出自に対して、感謝こそすれ、恨みを持つ必要は全くありません。差別を自分を磨くツールとして利用し、人間として成長し強くなればいい。心からエールを送ります。

 

補足:大坂なおみに是非伝えたいものだ。世界中のスポーツ選手が新型コロナウィルスワクチン接種を始めてるが、新型コロナウィルスワクチンという猛毒を絶対打ってはいけないと。でも伝える手段が無いんだな、これが。誰かツイッターでも何でもいいから伝えてくれないだろうか?

 

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