平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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お前のことが心配で心配で・・・

本日の二つ目

 

父から聞いた言葉で、一生忘れることのできない言葉と遺言があります。

 

結婚したあと、わずか2週間で勤務先の社長と大げんかし、退職してしまいました。私が退職したことを知った父が、突然私の新居にやってきたのです。驚いた私が、父を家の中に入れて父が椅子に座った途端、号泣を始めました。そして発した言葉が、

 

「お前のことが心配で心配でたまらんのじゃ。」

 

あまりにも思いがけなかった言葉に、私は無条件降伏しました。父と同じように私も号泣し、

 

「ごめん、本当にごめん。バカで本当にごめん。」

 

言葉の内容はあまり覚えてません。とにかく涙と嗚咽が止まらず、2人とも拳を握りしめながら泣き続けてましたから。

 

しばらく2人で号泣を続けた後、ようやく落ち着き、あまり言葉を交わすことなく、少しの間2人で静かな時を過ごしました。あまり会話を交わした記憶がありません。あまりにも強烈な感情表現を2人で交わした後、2人とも何故か呆然としていたようです。

 

ただ、自分の中では強烈なインパクトを持った体験として残っています。死ぬまで忘れないでしょう。そうか、父は自分のことをこんなに心配してくれてたのか、大事に思っていてくれたのか、ともかくその思いは強烈に伝わり、受け止めることができました。とても幸せな気持ちを味わうことができました。

 

その後仕事探しをしている間に、父は病を得て、わずか3ヶ月で亡くなってしまいました。仕事探しをしている最中に、父の体調が悪くなり、妹が勤務している病院に入院することになったのですが、その時にも不思議な光景を覚えてます。父は、住んでいた家から入院のために家を出るとき、家をじっと見つめていたのです。苦労に苦労を重ねて建てた家です。ちっぽけな家ですが、父の念願である庭がありました。父が自分の力で建てた家です。庭をゆっくり歩き、外に出て、家全体をじっとみつめてました。もうこの家に戻ることは無いのだろう、とでも言いたげな表情でした。何も声をかけることができませんでした。

 

入院した後、次第に病状が重くなり、意識も混濁してきた父ですが、ときどきやはり私のことが心配だったのか、色々とアドバイスをしてくれました。その中で忘れられないアドバイスがあります。

 

「お前は、一つ一つきちんとやっていったら、どんなことでも出来る、成し遂げることができる。だから、がんばれ。」

 

既に朦朧とした意識の中でそういった言葉を絞り出すのです。私は、父を安心させようと、

 

「うん、分かった。一つ一つきちんとがんばるよ。」

 

などと、父を安心させるように言葉をかけるのですが、父は厳しい表情で、首を振りながら

 

「お前は何にも分かってない。」

 

と、突き放します。何をしても中途半端で何ら達成することのできない私のために、気持ちを振り絞って励ましの言葉をかけてくれたのですが、あまりにも軽い私の受け止め方に失望してしまったのでしょう。

 

私は途方にくれてしまい、黙り込んでしまいました。今では、父の究極の遺言だと受け止めています。

 

その後、苦しい闘病を重ねた後に、あっという間に父は逝ってしまいました。父の死後、私はとことん落ち込んでしまい、なんにも出来ない状況に陥ってしまいました。でも、父が言ってくれた言葉を思い出し、ともかくも一つ一つ積み重ねてやってみよう、との試みを繰り返すことに。やがて、何とか仕事を紡ぎ、そしてともかくも生きていくことができるようになりました。

 

今では、父が言ってくれたこの言葉は、私なりの座右の銘になっています。どれほどに落ち込んでも、どれほどに失敗しても、どれほどに蔑まれても、全く落ち込むという文字は私の辞書にはありません。ナポレオンは、「私の辞書に不可能の文字はない」と言ったそうですが、私の辞書には落ち込むという言葉がない、と言ってよいでしょう。父のおかげです。

 

落ち込んでるヒマがあったら、何かしら一つでも、這い上がる取組のワンアクションを起こせばいい、そう思うことにしてます。父の遺言を生かさなければ、私の人生は成り立ちません。この言葉一つで私は自分の人生を紡いできたな、と本当に実感しています。

 

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