平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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そうだな、という言葉で始めてみよう

そうだな、という言葉で始めてみよう。まぁ日記だから。

 

そうだな、コロナのことばかり書いていると煮詰まってくる、というか気持ちがあまり明るくならない。人間社会の未来が危機に瀕している、それも多くの人々の、何も調べないことによる無知によって自ら滅びようとしている状況を見続けるにつけ、疲れてくる。人間って実は本当にレベルの低い生き物だったんだな、ということに気づいてくる。

 

金持ちが幸せじゃない、ということは薄々感じていた。今は、考えない者は幸せじゃない、ということがよく分かる。

 

いくら金持ちでも、あまり考えない者たちは今の状況下では早く死ぬことになる。何故ならワクチンという猛毒を体に入れるから。ワクチン? 言わずと知れた新型コロナウィルスワクチンという猛毒。

 

これが猛毒でないと思っている人達が世の中で相当数存在する、という現実に本当に心の底から愕然とする。

 

やっぱりコロナのことを日記でも書いてるね、やっぱり子供たちのことを助けたいから。

 

ほんの少しだけでも自分で調べてみる、自分の頭で考えてみる、自分で人と話してみる、自分で観察してみる、自分で今の社会が正常かどうかじっくりリサーチする、そういったことをどれだけの人がやっているだろうか? 多分100人に1人、いや1000人に1人もやってないのではないか? 殆どの人は新聞テレビ、自治体、政府の言いなりになってないか? 

 

5年前ほどから、本格的に新聞やテレビの危険性に気づくようになった。殆どウソしか言ってないという現実に気づくようになった。様々な体験からくることもあるが、実際は、新聞を読んだりテレビを観たりしている内に、これは一種の洗脳ツールだな、という現実に気づいたということが大きい。テレビは捨てたし、新聞なんて時々どんなウソを言ってるかチェックするだけ。

 

幸せの尺度もそうだ。私はマスクを着けない。なので、今の社会では仕事に就くことができない。今でも仕事をしないと生活ができない、という少々困った状態にあるが、全然気にしてない。世間的に言えばド貧乏という状況なのだろうが、自分ではある意味、「大金持ち」だと思っている。

 

え? ド貧乏なのに「大金持ち」? まぁ表現に歪みがあるが、大体の人は大金持ちを幸せと思うから、一般的な幸せ尺度の大金持ちという言葉で暗喩的表現をしているだけ。実際にはカネなんてあっという間に数えられる程しか持ってない。でも、全然問題にならない。何故なら、無知ではなく、危機を回避する工夫もあり、体は極めて頑健、病院になんかかからない、薬なんて1つも飲まない、多少のトラブルは全部自分で治す、むろん詐欺である検診なんてもう何十年も受けてない。だから幸せ。むしろ多くの人達を助ける活動をすることで、ある意味、人生が活性化していると言える。

 

一円にもならないのに、いやむしろ多少なりとも出費しながら(だってチラシの紙代だってインク代だって私にはイタイ出費だ)いろんな人達を助けようとしている。既に何百人かの人を助けたな。猛毒ワクチンを打とうとしてた人を思い直させたから。

 

今読み返してみたけど、何だか自慢話めいてあまり面白くない。でも書き直すのは面倒なのでやらない。