平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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「1984年」

*日記のカテゴリーでは、ですます体は不自然に感じる、ブログに出す文だから純粋に日記とも言えないが、書くときのマインドも大事だ。日記はやはり、である体の方がいいだろう。今回から、日記カテゴリーに入れる文は、である体による筆記としよう。

 

新型コロナウィルス騒動が始まったとき、私自身もあっさり洗脳された。これはスペイン風邪に匹敵する、いやそれをも凌駕する史上かつてないほどのパンデミックだと、すっかり信じ込んでしまった。手洗い、消毒はむろんのこと、マスクなどその時から二重に着ける始末、今思い出しても情けない。テレビは5年前に捨てたのだが、ワイドショーで繰り返される新型コロナウィルス危機の動画は、ネットでも見ることができる。そういった動画を見るにつけ、すっかりコロナ脳に仕立て上げられた。

 

先に少し書いたかもしれないが、何度でも自分に指摘しておきたい。もっと事実を精査することが肝心だ、たかがテレビの情報に惑わされてどうする。まぁ、人間だもの、失敗もするさ。自分には甘いな、私も。

 

この新型コロナウィルス騒動が始まったとき、何故か書店に、ジョージ・オーウェルの「1984年」がずらりと並んでいた。作家名、署名は知っていたし、何かしらディストピアをテーマとした一種の未来小説っぽいものだというようなイメージは持っていた。

 

確か、昨年の2月頃から気になり始めていた。買ってしまってつん読になってもつまらないし、とりあえず図書館で借りて読んでみようと思い立ち、読み始めてみた。50ページほど我慢して読んだが、舞台設定の説明の煩雑さに音を上げてしまい、放り出した。

 

すっかりコロナ脳に洗脳されていた私だが、昨年の3月半ば近くになり、周囲が殆ど全員マスク姿になるのを見て、目が覚めた。何かがおかしい・・・

 

第六感としか言うしかないかな、ともかくこれはどうも不自然だ、あまりに出来すぎている、ここまで多くの人間が同じ行動をするなんておかしくないか? 単純な疑問がわき上がった。で、マスクについて徹底的にまず調べることにした。すると、ピンと来たのが、マスクは奴隷の象徴とも言える、また奴隷仕立てのツールとも言える、という情報だ。その他、今となっては当たり前だが、感染症対策には全くならないことも、マスクの常時装着は人間の健康にとってひどく有害だ、ということも分かってきた。適当に体を弱め、人と人との分断を図り、結束を固め抗議を上げる、ということもしにくくなる、奴隷仕立てと通じるそのためのマスクだということも。

 

多くの人を奴隷状態に送り込むための仕掛けが、壮大に行われている可能性に気づいたのだ。

 

マスクの内実について分かった後は、泥縄式に判明してきた、PCR検査の詐欺、ワクチンの立ち位置、トランスヒューマニズム、ナノジェル、5G、AIのセッティング。ジョージアガイドストーンで暗示される内容、などなどが怒濤のように脳髄の隅々にまで行き渡るようになった。ネットの世界は玉石混淆だが、うまく使えばかなり多くの正確な知識、情報が手に入る。今はDeepL翻訳というすごい無料翻訳ソフトがある。なので、世界中の科学論文や発信を手に入れることができる。奇特な方が日本語字幕をつけてくれた外国からの真実の発信も見ることができる。(いずれ本当に英語を直で理解し使い回しができるようにしないといけないな、ホンマニ)

 

そういう過程で、「1984年」が改めて気にかかるようになってきた。図書館で借りたのが失敗だな、とりあえず文庫本も出てるから買ってみよう。買えば終わりまで読むだろう。軽い気持ちで買って読み始めた。

 

けちくさい考えだが、カネを出して買えば放り出す確率は減るだろうという算段だった。だが、それが幸いした。

 

50ページほどで脱落したから、せめて60ページ辺りまでは放り出さないようにしよう、と心に決めたのだ。所が・・・

 

60ページ辺りくらいになると、何故か俄然面白くなってきたのだ。物語の展開があまりにも目まぐるしく、暗示するところのテーマも重々しく、あまりにも想像がついてしまうにも関わらず、ラストの残酷さ(反意としての比喩で言ってる)に至るまで、心内をグリグリねじ回されるような迫力が持続したのだ。本当に圧倒された。こんな面白い小説は生まれて初めてだった。生まれて初めて、というのはやっぱり衝撃的。その後、続けて2度読んだ。合計3回繰り返して読んだ。

 

読む度に圧倒される。人間の本質としての二重思考についてもひどく考えさせられた。突飛なようだが、その後詳しく知ることになる、忌野清志郎のスタイルにも近似を感得することとなる。忌野清志郎の「人間のクズ」と「偽善者」の歌は圧巻である。同時に、ジョージ・オーウェルの「1984年」は絶大なる圧倒であり、酷薄なまでの現実であった。

 

今現在、多くの人達が殺されようとしている現実は、既に「1984年」で予見されていたのだ。舞台設定に小異はあれど、社会の成り立ちは、現代2012年で顕れている有り様と恐ろしいほどに酷似している。

 

二重思考は社会の至る所に既に存在していた。その様子をつぶさに見て、これは本当に容易ならないぞ、徹底的にやられるぞ、そう思ってしまったものだ。あまり詳しく説明する必要はないだろう。個々人が自分で読み、考えることが重要だ。多くの人がこれを読む必要がある。詐欺パンデミックを終息させるのにも、幾ばくかは役立つだろう。

 

もうそろそろもう一度読んでみようと思っている。