平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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久しぶりに子供の夢をみた

久しぶりに子供の夢をみた。とてもとても鮮明な夢だった。

 

子供は小学校4年? 5年くらいかな? もう今は随分大きいんだけど。

 

いっしょに旅をしていた。

 

旅と言っても別に泊まりがけで行くんじゃない。二人で散歩していた。

 

ゆったり歩いていた。こんなに楽しいのは久しぶりだ。

 

あちこち歩いてる。でも何だか足下がしっかりしない。

 

ぼこぼこ揺れるんだね。分厚い木片を太綱でつなぎ合わせたような所があちこちにある。

 

歩いていても何だか不安定だ。二人で慎重に歩く。

 

たまにしっかりした道になる時もある。

 

ずっと歩いていくと、いきなり富士山が出てきた。随分大きい。

 

新幹線で東京へ行き帰りしたときに車窓から見たことはある。それより遙かに大きい。

 

子供に知らせる。子供も驚いていた。そうだ写真を撮ろう。

 

そう思いついて、ふともう一度見ると、富士山が見えなくなっていた。

 

歩いている内に、近くの建物に隠れてしまったらしい。

 

後戻りしてもう一度見つけよう。

 

後戻りするが、中々見つからない。一体どこまで通り過ぎてしまったんだ?

 

やっと見つけた。何だかえらく小さくなってる。おかしいな。でもいいや。

 

子供に知らせようとして見ると、あれ? 子供がいない。

 

ずっと一緒に歩いてたのに。何で?

 

何だか急に不安になってきた。おかしいな。

 

あちこち探し回る。中々見つからない。

 

やっと見つかった。帽子を被ってた。何だかさっきより成長している。

 

可愛い可愛い姿から中学生くらいになっていた。2年生後半かな?

 

あぁ良かった。生きててくれた。何だか落ち着いた顔してる。

 

ほっとして一緒にまた歩き出した。富士山の写真を撮ることはもう忘れてしまった。

 

まぁいいや、とにかくもう少し一緒に歩こう。

 

ここで夢は終わってる。

 

とてもとても鮮明な夢だった。他にもいろんな光景があったように記憶している。

 

全部楽しい体験だった。一度、子供が見えなくなったときはとても不安だったけど。

 

見つかって一緒にまた二人で歩き出したときは、本当に嬉しかった。

 

 

 

 

 

そうだ。思い出したことがある。

 

子供から質問を受けたことがあった。丁度最初ゆうべの夢に出てきたときの姿くらいのとき。

 

小学校4年か5年のときだった。

 

「お父さん、ちょっと分からないことがあるんだけど。何で人間って生まれてきたん? どうせいつか死ぬのに何で生まれてきたん?」

 

すごく難しい質問だ。どう答えたのか殆ど覚えていない。

 

何だか適当なことを言ったような記憶がある。

 

寅さんの映画のセリフだったかな。

 

「ほらー、人間ってめちゃくちゃ多いんだよね。どんどん増えて増えてしまいに地面がどんどん狭くなって・・・もう全然どうにもならなくなっちゃって。アレー、地面から落っこちるーーって。海にポチャンって。んで、おっちんじまうんだよね、ウン。」

 

適当にそんなこと言ってごまかしたような記憶はある。子供は、

 

「ふーん」と言ったきり、納得したような納得できないような・・・

 

納得できる訳ないよね、こんなんじゃ。

 

実はお父さんにも、そのときは全然分かってなかったんだから。

 

 

 

 

でもね、ここからが大事な話なんだよ。ついこないだ気づいた。

 

人間ってね、死んで終わりじゃないんだ。

 

もう全然終わらない。それがなぜか突然分かってしまったんだよ。

 

ホント前触れも何もなかった。丸っきし突然にピンときたんだ。

 

そうか、人間って死なないんだ。ずーっといるんだ。

 

肉体は仮の姿で、エネルギー体がずっと続いてる。

 

死んだってことになったとき、記憶が消えてるんだね、いや消されてる? どっちでもいい。

 

だから一応、無から生まれて無に返るっていうことにされてる。

 

でも、それはウソなんだよね。

 

ずーっと前から、実は何千兆年も前から。いや、無限年前からかも知れない。エネルギー体ってずっとあるんだよね。

 

宇宙の始まりって138億年くらい前からって、今の人間の科学ではなってるけど。

 

これウソなんだよね。人間の科学なんてタカが知れてるんだよ。

 

始まりも無ければ終わりもない。

 

なぜかそれがめちゃくちゃピンと来たんだ。

 

だから人間って死なない。

 

 

 

 

見た目で死んだように見えてもそれは肉体が機能停止したってことでしかない。

 

エネルギー体はすぐに浮遊して、あちこち行くんだ。

 

輪廻転生って言葉あるよね。ある意味それ当たってる。

 

因果応報とか天罰覿面とかって言葉もある。

 

それもある程度当たってる。

 

もちろん本当のことは誰も証明できない。できてない。

 

でも考えてみて。人間の知識とか知恵とかなんてそんなに大したものなの?

 

一体誰がこのことについて詳しく説明できるの?

 

たぶん、いやおそらく絶対、ぜーったい誰にも説明できないんじゃない?

 

それでいいよ。今生の世界では、どうせ死ぬまでのそこまでしか分からないってことになってる。

 

でも、全然どうってことないんだよ。

 

私の子供が今生きてるかどうか分からない。でもかまわない。

 

生きてるかもしれないし、死んでるかもしれない。

 

私も今は生きてるけど、必ず死ぬということになる。

 

今日かもしれないし明日かもしれない。10年後20年後かもしれない。

 

どうでもいいんだ。

 

どうせ、私にしても子供にしても、当たり前だけど、今から確実に100年以内には二人とも肉体は消えてる。

 

仲間なんだよね。同じ運命体なんだよね。

 

今の肉体を二人とも無くしてしまっても、それぞれエネルギー体は残るんだ。

 

 

 

 

 

永遠に残り続ける。いずれ二人で・・・

 

よー、久しぶりじゃないか。元気にしてるかー。

 

やぁ、お父さん久しぶり。元気そうだね。

 

うん元気だよ。今はまぁこんなとこで生きてるよ。

 

よかったね。ボクも違うとこで生きてるよ。

 

お互いまた生きてようね。たまには話そうね。

 

そうだな、楽しみにしてるよ。

 

なんて、ぶつくさしゃべってるかもしれない。

 

そう思うと何だか楽しくなってきた。

 

夢から覚めた後、何だかグシュンってなってたけど。

 

大切なことを思い出して気持ちが蘇った。

 

今生の世界では、子供が生きてるかどうか分からない。

 

なにしろ何故か子供はえらくひねくれちまって・・・

 

私と会おうとしないもんな。口も聞かない。

 

連絡も取れないし、生きてるかどうかも分からない。

 

アホコロナに騙されてワクチン打たれて死にかけてるかも。

 

いやもう死んだかも。

 

でもさっきみたいに、ちゃんと大事なこと思い出して。

 

死んでも終わらないってこと分かってれば、全然哀しいことない。

 

私も死ぬ。でも、死んで終わらないから、子供のエネルギー体と再会することだってあるよ。

 

もう

 

大丈夫だな。

 

私の子ども。

 

 

 

また会おうね。