平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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②月光仮面

明日は、ある意味人助けをしないといけない。まぁ月光仮面だな。スーパーマンかな。いや、スパイダーマンくらいか。やっぱり私的には月光仮面ではまりがいいね。

 

冗談みたいだけど、本気でそういう感じ。私はよくこういった場面に遭遇する。トモダチに言わせるとそういう運命だそうだ。シャンゴ? シャンゴン? 名前何回聞いても覚えられないけど、守護霊がそういう名前だと。色々と人を助けていく道筋になるのだと。絶対へこまないと。めげないと。むしろファイトが出るとかね。

 

でも、若い内は随分打たれ弱かった。ウツにも3回なった。本当に大変だった。ただ、ウツの真っ最中で、死にたい死にたいモードでも、心のどこかで、何とかなる、こんなの大したことない、人間死ぬ気でやったら何でも出来る、第一、人間なんて所詮チッポケなもん、何をイジイジ悩んでんねん、とかいった感覚があった。その頃(30代だけど)、まだ人間は無から生まれて無に帰るって信じてた。今は違う。

 

人間はただたんに一時の借り物。生まれるずーっと前から生命は続いている。続いてきた。ただ前世で亡くなったとされた時に、記憶を消されただけ。だから生まれて初めて人間やってるという錯覚で人生始まってる。死んでから後も、人間やってたときの生命は、何らかの形で持続していく。こんな簡単なことが本当にずっと分からなかった。

 

つい先日、気がついた。これホント。って言ってもきっと誰も信じないだろうな。

 

最近、本当にたまたまエイリアンインタビューという本に出会った。ブログでも読後感を書いたけど、本当に不思議な本。その記事では、本当かどうかどちらにも自分は立てない、とごまかしたが、本当はどちらかというと、あっさり蹴っ飛ばすという感覚はない。人間なんて、誰しもどういう存在なのか誰も知らない、分からない。当然だ。生まれた前のことなんか絶対分からないし、死んだ後のことも誰にも分からない。

 

たまに、幽体離脱とか臨死体験とか、あるいは、霊が見えるとか聞こえるとか、そういう人がいるが、私は臨死体験を除いて全部体験している。それ小さい時から普通のこと。今では普通に霊という存在はあると思っているし、人間の一生なんてミジンコほどに短すぎて絶対ウソだと分かっている。

 

死ぬなんて全くコワイことでも何でもない。これは、ホント、何故かエイリアンインタビューに出会う少し前に、突然想念として、私の頭の中にやってきた。偶然って面白いもんだね。

 

私はとりあえず、今は規格外の生き方をしようと思っている。と言って、見た目は普通でいい。ただ発想とか行動とか発言とか志向する方向とか、空前絶後でありたい。いい意味で。多くの人が幸せになる道、特に子供たちの命と未来を助けたい。いくら人間世界はほんの一瞬、仮初めの生だとしても、どうせなら幸せで暖かい人生を送ってもらいたい。だからできるだけのサポートとアドバイスと邪悪から逃れ出る手伝いもしたい。

 

だから今の詐欺コロナの陰謀を暴き、人々の洗脳をぶっこわし、感染対策という拷問施策をもガタガタにコッパミジンに吹っ飛ばしたい。そのための活動をしている。残念ながら、日本では全くその方向に流れていない。むしろ、マスクなどは社会的通念となっているとするバカモノまでもが出現している。今日もある文書でその文言を見た。情けないを通り越して涙ぐましいほどのぶら下がりぶりだ。何にぶら下がる? 無知と殺人政府へのぶら下がり、とりあえず立ち位置を最大公約数にはめ込みたいわけだ。軽蔑しかない。

 

軽蔑もするが、本当に哀れだとも感じる。コロナの洗脳にどっぷり浸かっているというマインドも、こういった主張をする者の中に同在するからだ。またワクチンの洗脳からは免れても、マスクの洗脳は社会通念だとすることの愚かさに気づいていない。マスクは人を緩やかに殺していくツールであり、人々を遮断するメンタルアクリル板だということにも気づいてない。

 

それはさておき、明日、本当に徹底的に人助けとなることを実行する。どの程度実効性が上がるかは分からない。しかしやらないよりやる方がまし。感謝されるかされないか、好まれるか疎まれるか、それは不明。ただ、対処法のマチガイに気づいてもらえるかどうか、だけなので意外に簡単かもしれない。まぁやってみることだな。人生、行動あるのみ。ナニ、意気に感ずる人もいるだろうて。