平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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営業という仕事は難しい? 何か大事なポイントは?

営業という仕事、これは結構難しいものです。少し、小説風に書いてみます。ちょっと面白いかもしれません。自分で言ってたら世話ないですが。

 

営業という仕事は20代では、殆どしませんでした。結構波瀾万丈の青年期を送りました。中々反骨精神ばかりが旺盛で、カネなんか興味ないぞ、なんて風を装ってました。実際には経済をしっかり立てるというのは大事なことなのでしょうけど、まぁ何とかなるだろう、くらいの感覚しか持ってませんでした。単に未熟者だったのでしょう。

 

30代前半で、自分の人生に事件が起きました。何と、「ウツ」という病(これは一応病気だされてますが、今ではそうではなく、元気を無くして病に逃げ込んだ、と解釈しています。後で少し解説します)に陥ったのです。

 

あるトラブルがあり、必死になって取り組んだ結果、すべて解決し、悔しい思いをしたコトも謝罪してもらい、一応、一段落ということになりました。それなら安心して気持ちも落ち着き、悩むことも無くなるはずなのですが、なぜかそうなりません。急激に気持ちが落ち込み始めました。自分でも大変不思議に感じたことを覚えています。

 

いわゆるプチ成功ウツ、というものであったと想像しています。ずっと継続していた心配事がようやく解決し、緊張していた神経の張りが一挙に緩み、拍子抜けしてしまった、そして、何故か不安感が生じ、真っ黒なウツ気分が漂い始めた、その雲にどっぷり心内が覆われてしまった、そういうことであったのだと思います。

 

これは経験したものでないと分かりません。自信というものがコッパミジンに砕け、不安感のみが募る。そして、人と会う気になれず、閉じこもる。のみならず身体的な能力もがた減りする。よく覚えていることがあります。親戚から引越の手伝いを頼まれたとき、(私に元気がないのでむしろ身体を動かした方が気が晴れるだろう、と思ってくれたと想像してます)気持ちを奮い立たせて手伝いに参加しました。

 

ところが、それほど力が弱い訳でもないはずなのに、簡単に持ち上げることができると思えた少し重いテーブルが丸で持ち上がりません。手の指が丸で引っかからず、テーブルの重みに負けてしまうのです。向かい側の親戚は簡単に持ち上げてくれてるのに、こっちはさっぱり・・・ これは本当に驚きました。

 

ますます気が落ち込み、自分はもう何もかもダメになってしまったんだ、何もすることができない、とさらに落ち込んでいってしまいました。そうなると、生きる気力も無くなり、とうとう死ぬことばかり考えるようになります。

 

営業の話からどんどん遠ざかってきましたね。ここから少し戻っていきますからご安心を。

 

家に閉じこもっていると、ろくでもないことばかり(死ぬことばかり)考えてしまうので、1人で外に出ました。町の中をフラフラ歩き回り、とある書店に入ります。本を読むのは昔から嫌いではなかったので、書棚にあるいろんな本を眺めてみました。苦しい毎日を過ごしていたので、どうしたら前向きになれるか、どうしたら苦しみから逃れるか、そういったテーマの本に目が向きました。

 

その時、手に取った本で心に止まったものがあります。

 

ベン・スィートランドという人の書いた「自己を生かす」という本でした。内容を細かく紹介しても長くなるので省略します。要は、こうすれば成功する、こうすれば活力を得る、こうすれば人生が持ち直す、というような手引き書でした。

 

パラパラとページをめくっていた私は、ひねくれた頭で、こんなにうまくいくはずがない、こんな本で人生が救われるなんてあり得ない、と心の中でブツブツ独り言をものしたものです。でも、何となく気になり、

 

「まぁどうせ死ぬ気にまでなってしまってる自分なんだから、ダメモトでこのおっさんの書いてる本の通り、やってみるのも1つのプランかも。どうせやるならとことんやってみるか。それで出来なかったときに、クビでも吊ればいい。」

 

そんな風なことを漠然と感じたものです。

 

おそらく今回想して感じるのは、そういう想いを抱いた時点で、私の中の「ウツ」は吹っ飛んでしまっていたのでしょう。その時点から始まる自分の気持ち、行動は前向きのものだけになっていたのでしょう。「ウツ」というのは実は病気ではなく、自分の精神の作用に元気でない部分がポカっと生まれてしまい、それに害されている状況だと思います。なので、それを吹っ飛ばせば、あっという間にウツは消滅するのです。

 

なにやら指示めいた言葉の多い本でした。自己のものさしを持て、自分自身を知れ、記憶力を良くするには?、習慣を支配するには? などの項目が示され、考えることを求められました。いわゆる自己啓発書なのですが、とりあえず、このオッサンの言う通りにしてみよう、と思い立ったのです。

 

本を読んでその気になったのだから、本に関わる仕事をしよう、そしてどうせならトコトンがんばってやってみよう。いっそのこと人の3倍くらい働いてみることにしよう。死ぬ気でやれば何とかなる、とことんやってダメならその時、クビ吊れば済む話だ・・・なんてシンプルな発想でしょう。でも一応本気でした。

 

・・・・・

 

いえ別にクビを吊りたかった訳ではありません、念のため。それくらいの気持ちでやるということです。

 

新聞の求人記事を観ました。その中で書籍の販売の仕事を見つけました。職域販売と言って、ある一定の職域を選び、その職域に合った企画の商品を飛び込み販売する、というものです。研修は約10日間、その間に商品知識を勉強し、販売トークの研修を受け、販売活動に入ります。

 

朝から晩まで勉強勉強、何もかも初めてのことばかり。どちらかと言えば外交的ではなかった私です。それが、打って変わって営業の仕事、それも飛び込み営業販売という非常に成功率の低い仕事です。家族や友人は皆反対してました。でも、なぜか私はもう跳ね飛んでいたのです。脇目も振らず、目標に向かいました。目標?

 

とりあえず、その会社でトップの成績になってやるぞ・・・なんてことを考えてました。

 

一生懸命、営業のやり方の勉強をしました。朝は4時起き、外に出て体操をした後、鏡をみます。笑顔の稽古です。パンフレットを声を出して繰り返し読みます。その後、会社ではロールプレイイングと言って、販売役、顧客役になって会話の練習をします。そして、飛び込み営業に入る時に、小さな録音機(当時は小型のテープレコーダーしかありません)を準備し、私と顧客との会話を録音し、1人で反省会をしました。

 

これだけがんばっても、1つも売れません。売れない日は続き、朝から晩までかけずり回っても全くだめでした。売れない日は1ヶ月近く続いています。何しろ1セット180,900円の商品です。簡単に売れる訳がありません。

 

その日も、さんざん歩き回って飛び込み営業をするも、全部アウトです。職域販売なので、無作為に回っている訳ではありません。看護師や保健室の先生のための企画だったので、病院、クリニック、学校保健室などを集中的に回ってました。一日何十件と回ります。移動だけでも大変です。今日もだめか、と気持ちを暗くしながら、家路につこうとしてました。

 

ふと見ると○○診療所という看板が見えました。私は気持ちを奮い立たし、この一件だけで今日は終わりにしよう、と診療所の扉を押し開きました。見ると、1人の看護師さんが座って何か書類を書いておられます。

 

私は丁寧に挨拶し、突然訪問したことを詫び、まず簡単に自己紹介しました。看護師さんは黙ってじっとされてます。少しお疲れのようです。私は、書籍の企画と内容についてざっと説明し、少しだけお時間を頂いて少し詳しくお話するお許しをお願いしました。幸い、じゃ、聞いてみるわ、とおっしゃったので、約15分間、一生懸命お話しました。

 

私が説明している間、看護師さんはじーっと黙ってます。見本の本を見ながら、パンフレットもパラパラめくっておられます。私はとりあえず、説明し終え、反応を待ちました。何も言われません。心の中で、あかん、今日もやっぱりだめやった・・・

 

しょぼくれながらも、セールスは断られた時が肝心と、挨拶しました。

 

「お忙しい所、お話を聞いていただいてどうもありがとうございました。では、これで失礼します。」

 

そう言った途端、下を向いて何か考えていたようにしていた看護師さんは頭を上げ、言われました。

 

「ちょっとアンタ、何言ってんの、これいいじゃないの、1つ貰っとくわ。」

 

「あ、そうなんですね、ありがとうございます。きっとお役に立てていただけると思います。」

 

態度は冷静に、頭の中は嬉しくて嬉しくてパニック状態、歓びの気持ちで飛び跳ねてしまいそうになるのを抑えながら、申し込み書類を書いていただきました。書類を準備する私の手は少し震えていました・・・

 

そうか、こうやって、売れる、ということがあるんだな、何とかなるのかもしれない、そういう思いに浸り、1人で自宅近くの中華屋さんに入って食事を取りました。なぜか料理内容も覚えてます。レバニラ炒めに餃子、そしてビールも注文し、これまた1人で祝杯を上げました。ビールを飲みながら、しみじみと、「これでクビ吊らずに済むかもしれない・・・」そう思いましたね。涙がにじんでいたこともよく覚えてます。

 

1つ売れると不思議なもので、ぽつんぽつんと毎日のように、売れていきます。時には2セット3セットと売れることも出てきました。相も変わらず、朝から晩までかけずり回ってました。歩いて回ると飛び込み営業件数が減るので、なけなしのカネをはたいてバイクを買いました。さらに多くの件数を回ることとなります。

 

あるとき、先輩社員から聞かれました。あまりにも成績が飛び抜けてきていたからでしょう。不思議そうに、

 

「どうして○○さんは、こんなに頑張れるんですか?」

 

私は答えを濁しました。何故なら、「売れなかったらクビ吊るつもりだったんですよ。」なんてとても言えませんでしたから。やがて1年近く経過したときには、この企画商品の売り上げで、全国で3位の成績を上げることになりました。トップとはいきませんでしたが、ついこの間まで人間やめよ、と思ってたのが、とりあえず営業成績をあげて、表彰までしてもらえるようになるとは夢にも思えませんでした。人間そう捨てたもんじゃない、そう感じましたね。

 

その後は、営業の商品を不動産に変え、不動産仲介の仕事に就き、自営の道に進みました。商品環境はすっかり変わりましたが、営業のスタイルは全く変わりません。

 

とにかく真面目に、正直に、お客さんの立場に立って・・・

 

不動産の営業では商品がとても大きいので、相手が家族か親戚、友人だと思って仕事をしたものです。この人はこの家を買ってはいけないな、と思うと、買おうとされてるお客さんに説明し、今買うべきじゃない、と説得します。(無理なローンを組もうとされてる場合があります、親子ローンでいっぱいいっぱい組んで買う訳です、でも1人が病気にでもなれば全部パーです。何とか見送ってもらいました。)後で感謝されました。商品の欠陥に気づいたときは、勤めている会社のものでも、これは買うな、と教えました。売る場合でも同様です。今売るべきじゃない、或いは売るにしても解決する問題から先にするべきだ、と思ったときは、売るのを保留してもらったりもしました。

 

当然儲かりません。でも、儲からなくても信頼は得られます。信頼さえ獲得できれば、営業は成功だと自分では思っています。

 

儲かる話は私には出来ません。喜んでもらえる営業の話は少し出来ます。

 

これから先も、久しぶりに営業の仕事のことも考えてみたいと思ってます。でも、今は一般的にマスクマスクですからね。これを何とかする方法も考えないといけないなぁ、と感じてます。

 

と、ここらでこの稿をオシマイにしようと思ってたところ、突然電話が・・・なんと、この書籍販売の会社のかつての社友からの電話が!! この友人とは何故かウマが合い、何度か一緒に飲んだこともあります。確か私の自宅近くでドライブもしたことがあります。海に行き、とても楽しいヒトトキを楽しみました。晩はバカ飲みして久しぶりにカンペキなブラックアウトでしたね。懐かしい・・・エリック・クラプトンの濃い話もしましたね。そうだ、この話も今度書いておかないと。

 

テレパシーってあるんだね、ということで、とりあえず、今回のお話はこれで終わります。

 

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