沖縄県庁と(最後の)やりとり
少し月日を置いたが、沖縄県庁に昨日行ってきた。
以前、PCR検査課の課長とやりとりしたが、結局不毛だった。この課長は、課長になる前から何回か話をしてきた。ちょうど、キャリー・マディがコロナワクチンの中にある「寄生虫」が話題になっている時だった。この「寄生虫」はリカルド・デルガドから、その後、寄生虫ではなく、自己増殖するナノチップのようなものだと指摘されるようになっている。ともあれ、この方は、課長になってから、私と面談するのを避けるようになった。ようやく会え、少しだけ話をしたが、もう二度と会いたくない意志を表明されていた。私からももう電話はしない、とお話してある。まともに対応される気がないようで、私から問いかける質問には全く答えられない。
*キャリー・マディとリカルド・デルガドの情報についてご関心のある方は、当ブログの右欄にある検索コーナーで検索してほしい。多くの関連情報が出てくる。内容を観る過程で様々な情報を取得できると思う。
今回は、別の課の課長に働きかけた。出た職員にアポイントメントが取れるかどうか聞いてもらったが、(二人の課員に)忙しくて予定が取れない、とのことで断られた。県民の意見を聞く気はないらしい。というより、私がかける質問が答えられないものだとの情報を、既に持っているのだと思う。
ごく普通のことを聞いているのだが、答えられない。マスクは感染予防対策にならない、新型コロナウィルスの存在証明が無い、コロナワクチンに猛毒物質である酸化グラフェンが入っている等々の質問だが、日本政府はもちろん、こういう質問に応えられない。だから、沖縄県庁もそれを踏襲して答えない、ということだ。
今回出てきた課員は初めて会う人たちだった。一階のロビーから電話をかけ(コロナ対策本部は確か4階だった)、どなたか課員の方に一階ロビーの対面交流コーナーに降りてきてくれるよう依頼した。かなり待ったが、二人降りてきてこられた。私がマスクを着けていないことは電話でお知らせしてある。二人の内、お一人は、ずっと自分のマスクを手に持ち、顔に押し付けておられた。ノーマスクの私からの感染(?)を恐れているのだと思う。
二人とも若い男性。聞いてみるとやはり、昨年異動で来たばかりだという。殆どの課員は、ほぼ1年毎、まれに2年で異動というところか? 課長になる者はもう少し長くいるのかもしれない。いずれにせよ、クルクル入れ替わる。日本の行政はそういう所があるとよく聞く。
今回は、思い切って、一昨日書いたばかりの記事、「コロナパンデミックのざっくりとした整理」の内容を基に伝えることにした。本来こういう刺激的な内容ではちゃんと伝わりにくいものだが、私もいいかげん行政相手の話にくたびれてきた。思い切って、殆ど陰謀論だと言われてしまいそうなことばかり伝えることにした。陰謀論ととられるのは間違いで、本当はすべて真実であり現実なのだが。諸兄諸氏も、この一昨日の記事をじっくりしっかり読んでもらえれば良いと思う。そう言えば、接種法一部改正の話も入れたはず。これは日本政府主導の法律改正なので、コロナワクチン接種の問題に大きく関連づけられる。大変卑怯で姑息な法律変更だ。これだけでも万死に値する。国民は殺すが、自分たちだけは助かりたい、ということなのだから。
15分という約束だったが、だいぶ詰めて話したつもりが、結局30分近くかかってしまった。先方も内容のあまりの突拍子も無い様子に唖然としたようだ。さらに、何を質問しても答えられない状況は変わらず、先方から質問することはなく、一方的に私の話を聞くしかない、という状況であった。仕方が無い。仕事が忙しすぎるので自分で調べるということができない、そして上から言われたことをそのまま伝えるだけだという状況では、何にも分からずただただオートメーションリピートで、言われたことを再起動するだけ、となる。
ひとつ、自分で思いついた比喩を使わせてもらった。沖縄県では先の戦争でひどいことがあった。鉄血勤皇隊というのが企画され、13才14才15才の中学生まで徴用された。そして、両手で爆弾を抱えさせられ、米軍の戦車に特攻攻撃を強要され、殺された。この時、沖縄は日本政府と日本軍に楯突くことができなかった訳だ。今のコロナの問題についても、日本政府というのは外部勢力にのっとられており、沖縄県は日本政府にのっとられてる。のっとりの連鎖の中に沖縄県も巻きこまれており、結局反抗することができていない。せめて、革命を起こすつもりで抵抗するべきなのだが、それができていない。でないと沖縄県民を守ることはできないのだが・・・と。
この話には二人とも、少し聞き入ってくれた。さらに、私は沖縄をとても尊敬し、感謝している。在日韓国人として生まれ育ち、内地でひどい目に遭った。しかし沖縄では一切在日外国人差別を体験することなく、さらに言えば、誰とも同等に同じ目線で渡り合える気風がある。とてもありがたく助かっている。私にとってはとてもありがたく、感謝している、と。
最後には、私はとにかく子どもたちの命と未来を助けたい、そのための活動をしている。お二人のような若い方々は、これから子供たちを守らなければならない立ち位置にある。是非、真剣に守るための行動、活動について考えてもらいたい、とお伝えした。いくばくかの思いは伝わったのではないかと勝手に思っている。
ただ、どこまで覚えてもらえるかどうか、その部分においては自信が無い。以前も同様のことが、ある市役所でもあったのだが、当初、理解がありそうだと思った若い職員は、二度目に会って話したときには、全く元に戻ってしまっていた。非常に残念だった。だから、今回もどうなるのかは分からない。多分難しいのではないか。私の主張を認めたら仕事にならず、クビが危なくなるだろうから。
もう、行政を相手にドンパチやっても無理なんだなと感じる。個人的には完全な理解をしていただいている方も何人かおられるが、残念ながら、正式に抗議の声を上げることは無理な話。すぐに退職しなければならなくなる。生活の基盤を無くしてまで主張を貫くのは非常に難しい。
私はもう現役ではない。自らすすんでノーマスクの道も選んだ。実際、苦しくて着けてられない、失神しそうになった事故も体験している、ということもあり、マスクを着けない選択をした。大人がマスクを外さない限り、子どもたちはマスクを外せないので、率先して一人でもマスクを外そうと思い立ったことがある。そのための犠牲は大きく、仕事に一切就けない、アルバイトすらできない、という状況になった。未だにその状況は続いている。たかがペラペラの紙一枚着けると着けないで、天国と地獄に別れる訳だ。何とも悩ましい話だ。
さっきも書いたように、もう行政を相手に何とかしてみよう、というやり口は諦めようと思う。ただ、知り合いは作りたい。良心的な人はむろんおられる。ご本人も苦しんでいる。少しは私からサポートもしてみたい。個人的なやりとりで先方も救われる部分があるだろう。私も知己を得られると助かる。勉強になる部分もあるはずだ。今後の動きを自分に任せ、何らかの果実を得られるように動いてみたい。