平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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自虐史観とは

私が、第二次大戦時の日本の加害事例に関連する記録、というカテゴリーを新しく作ったのは、あまりにも多くの日本の方々において戦争に関する反省が極めて希薄だと改めて感じ、きちんとした加害事例と分析を記録しておきたい、と思ったためだ。

 

自虐史観という言葉がある。かつて自民党を中心とした勢力が、日本の近代歴史において行った東アジアへの侵略、加害行為について、それを否定し、自分で自らを虐待するような歴史認識を持つべきでない、として作った造語だ。その造語が未だに闊歩している。この言葉を聞く度に、あぁまたか、またまた歴史改竄に与する者たちが跋扈する時代が蘇るのか、と暗然たる気持ちになる。

 

日本は決して東アジアを侵略などしていない、加害行為などもない、むしろ東アジアに進出した日本軍人は原住民によって歓迎された・・・そういった夢物語を正気で紡ぐ人たちがまだまだいるのだ。南京大虐殺、もしくは従軍慰安婦(今は性奴隷制度というのが正しい呼称)という史実に関しても、丸で無かったことにするかのように歴史を改竄し続けるグループがいる。いくら被害者の生の証言を提示しても振り向きもしない。

 

不思議なことに、コロナの詐欺については、正確にきちんと見抜き、市民への様々な提案やまともな活動を提示することができても、この「自虐史観」については、執拗に否定し続ける人がいる。

 

水木しげるや吉見義明の証言や分析、説明を聞けば、普通は性奴隷制度の悲惨さ、全く否定できない人間の尊厳の蹂躙が行われたことがすぐに理解できる。だが、「自虐史観」として否定する人たちは、そういった理解を示すことができない。そのボタンの掛け違えは、丸で詐欺コロナの詐欺性をいくら説明されても全く理解できない人たちの頑なさに何故か似ている。本当に不思議でならない。

 

日本の「自虐史観」について、私などではなく、どなたか、明確に説明できる人に頼みたい。どのような根拠で、どのような事象を元に、そして、被害を受けた方の証言をどのように解釈するのか? 

 

南京大虐殺にしても性奴隷制度においても、被害者の殆どの方々は亡くなっている。昨今、この「自虐史観」という言葉の闊歩が再現されつつあるのは、歴史の証言者がほぼ全て亡くなられてしまわれたことによるのではないか? 死者に口無しを、地で行くのが「自虐史観」という迷妄だと言える。

 

しかし、日本の国のために、日本の国民のために、日本の市民のために、この「自虐史観」というのは悪魔の申し子となる。何故なら世界からの理解と尊敬を得ることが全くできないからだ。歴史を改竄する者は、歴史に復讐されるだろう。日本は第二次大戦によって、ペコペコにたたきつぶされた。精密に正しい歴史を刻み、正すべきを正し、反省すべきを反省し、賠償すべきを賠償しなければならない。そうあって初めて、人間としての進歩が育まれる。

 

今の日本、残念ながら人間としての進歩が着実に見える、とは到底言えない。マスクヒステリーの状況を見てもそれはよく分かる。外せばいいのに殆ど誰も外さない。全く何も考えていない。国というまがい物の指揮者が振る棒の通りに操られる。丸で脳みそが機能しない状況に貶められている。テレビの毒にそまり、為政者を簡単に信じ、詐欺話を普通に疑いもなく受け入れる。

 

「自虐史観」というまがい物に騙されてはならない。今毒されている者も、できる限り一刻も早くその詐欺話から脱却しなければならない。だからこそ、溢れるばかりの史実と証言と分析を記録に残しておきたい。そのためにこの新しいカテゴリーを作った。