平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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本の話 国の話

(7月いっぱい位まで、ほぼ「独り言」のみ)

 

チェ・ゲバラの「モーターサイクルダイアリーズ」「ゲバラ日記」も、林えいだいの「筑豊・軍艦島」「強制連行・強制労働 筑豊朝鮮人坑夫の記録」も、吉田清治の「朝鮮人慰安婦と日本人」「私の戦争犯罪」もすべて絶版となっており、出版社、書店においても、入手することがほぼ出来ない。かろうじて古本で見つけることができるばかり。とんでもない高額本になっているケースもある。希少本もしくは稀覯本(きこうぼん)というらしい。

 

林えいだい、吉田清治の著作に関しては、何故か強烈な日本政府筋からのバッシングがあり、その内容のすべてを否定したいという思惑があるようだ。おそらく、朝鮮人強制連行、強制労働、性奴隷制度に関する史実を無いものとしたいという意図の下でのことだろう。

 

チェ・ゲバラ関連の書籍も、どちらかと言えば、日本政府の覚えめでたくない種類の書籍になるかもしれない。何故ならチェ・ゲバラはボリビアにおいて、アメリカCIAの軍事作戦によって殺されている。チェ・ゲバラはアメリカの、いや、軍産複合体及びその黒幕から非常に警戒されていた人物だった。それは翼賛国としての日本においても、同様の警戒をすべき役割分担が必要だとされているのだろう。

 

残念ながら、日本の現状は正確に理解されていない。日本にある憲法は日本における最上位の法規定ではなく、憲法の上に日米合同委員会があり、日本における重要な政治決定が米の意志によって行われている。しかしむろん、絶対この件はテレビも新聞も政府自体も発信しない。実は日本は国ではないと白状しているようなものになるからだ。

 

なにも日本という国を貶めたいがためにこんなことを書いているのではない。現実を理解し、どうすればこの状況から逃れ出ることができるかについて、多くの人が考えていくことが大事だと感じている。なので書いている。このままでいくと、日本はアメリカの犠牲となりつづけていく。いや、もっと悲惨な末路が待っているかもしれない。

 

しかし・・・考えてみれば、チェ・ゲバラが命をかけてラテンアメリカ革命を目指したものの、今のキューバを見ると、概観として感じるのは、何も変わってない、何もキューバの国民は喜んでいない、むしろ苦しんでいる、という現実だ。この現実は、日本の現実と国の仕組みは違えても、あまり変わらないように見える。日本は豊かな国からは完全に没落した。キューバもカストロ、ゲバラたちによる革命からしばらくの間は豊かな国づくりを進めたが、いまでは完全に色あせてしまっている。

 

国家というのは元来脆弱なものなのだな、という印象を受ける。○々人としての誇りをもって、とか、○々人の気概を持って生きようとか、言われることに個人的に違和感がある。どこそこの国に所属するからそれは名誉なことなのか? この国だからそこに住む人は誉れ高いのか? 今の日本の、キューバの現状でそんなことが言えるか?

 

国とは虚構に過ぎないのではないか? 何故、国のために特攻攻撃なんてしたのか? そして何のためにゲリラ戦までやって命をかけて革命したのか? 結局、国として本物の豊かさを持続するということは到底できない、ということではないか?

 

随分前から、国というものに疑問を感じ続けてきた。今もその疑問は消えないし、国というものの存在意義も分からない。と言っても、NWOやグレートリセットに賛同など出来る訳ない。これこそ陰謀。しかし、国家が有効な組織体だとも思えない。有害な部分も多々ある。国という組織体より、小規模な地域共同体的なものなら・・・? そう簡単に具体的なイメージを掴めることは出来ない。何十万、何百万もの地域共同体が出来たとしても、いや、そのイメージすら覚束ない。原始人的な状況に戻るというのも奇妙なことだ・・・

 

人間って難しい生き物だな。人間って、国家って、考えれば考えるほど訳が分からなくなる。困ったものだ。基本的に人間はカオスの中で生き続けていくしかない、そうとりあえず考えておこう。