平山栄一記録簿  想哲理越憂愁     

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②エライ人間

権威とは何だろう

 

しばしば権威という言葉が人生の最中に出てくる。だが、この「権威」という言葉を正確に理解している人は少ない。かく言う私も、きちんと理解出来ているかというと、自信が無い。なので考えてみることにした。

 

権威とは何か? これは存外、かなり難しいテーマなのかもしれない。自分で書いてみてそう思うのだから間違いない。

 

権威という言葉を普通に理解できている人は、案外少ないのではないか? 権威という言葉には様々な冠言葉が付くと思われる。少し羅列してみよう。

 

地政学の権威 同時通訳の権威 英文学の権威 ドイツ語の権威 男はつらいよの権威 生物学の権威 ワクチンの権威 ブログ知識の権威 パブーの権威 お祭り男の権威 政治学の権威 天文学の権威 アホ学の権威 グルノーベル賞の権威 仏文学の権威 伊文学の権威 日本文学の権威 独文学の権威 プロレタリア文学の権威 夏目漱石文学の権威 小林多喜二文学の権威 健康の権威(?) 1984研究の権威 コロナウソの権威 ウクライナ正義ウソの権威 ゼレンスキーカス学の権威 疲労の権威 もう疲れたの権威

 

まぁ、色々な権威がある。愛嬌のある物もあれば、皮肉っぽいのもある。正当なものもあるかもしれないが、人生何が正当なのか知れたものではない。たかが人生、されど人生、中々に味わい深いのが人生だが、意外に奥深く、かつ、いい加減なものが多い。

 

個人的に言えば、権威など人間の生の中において、何ほどの意味も持たない。たかが100年足らずの人生の中で、一体どれほどの「権威」を持てるというのか? さらに言えば、その「権威」を何かしら持てたと言って、何がエライと言うのか? 明言しよう。何の意味もない。私ほどのジジィになれば、多少の明言も許されよう。

 

権威という言葉からは少しずれるが、一般的に、エライ人と呼ばれる者に注目してみよう。総理大臣、大臣、国会議員、医者、弁護士、教師、科学者、文学者、ノーベル賞受賞者、どこそこの教授、などなど、羅列も疲れる、もう止めだ。いずれにせよ、こうした種類の人たちは、おおむねエライ人だとされる。だが本当にエライ人なのか?

 

本当にエライ人なのかどうかは、その人が実際に描く人生模様において決定されるのではないか? 例えば、とりあえずとてもエライ人だという設定になっている岸田総理大臣というのを想定してみよう。彼はエライ人間なのか?

 

様々な活動内容に照らして表示することも考えたが、類例になるかどうか分からないので止める。直観によって判断してみよう。簡単だ。エライとは到底思えない。岸田のどこがエライのだろう? 思い当たるようなエライ所は残念ながら、無い。殆どウソしか言ってない、という点において、エラく・・・無い。

 

ならば、教授の中でも、東大教授というのはどうか? エライ人間だろうか? 実は東大教授、いや定年を過ぎたから元東大教授というのが幸い私の同級生に居る。彼を引き出して申し訳ないが、彼がエライ人間かどうか考察してみよう。かつて、彼は私の友人だった。かつて? 今は友人ではない。ある一点において、疑問符を突きつけた所、あっという間に私は彼の友人枠から外された。なぜか彼の理解分野から相当外れていたようだ。だが、その問題は子供たちの生き死にに関わる問題であり、もっと真剣に討議して欲しかった問題でもある。彼は逃げた。なので、私にとっては、到底エライ人間ではない。

 

エライ人間かどうかは、絶対的な評価も相対的な評価も交じりうる。私の評価はこの元東大教授にとっては相対的評価だったのだろう。しかし後世の歴史においては、絶対的評価として彼は批判される立場になるだろうと、私的には判断している。まぁそんなことはどうでもいい。

 

ともかく、エライ人間かどうかについて、最も簡単に関連づけられる評価基準がある。それは・・・

 

子供たちを助けたい、という指標に立っているかどうかだ。少なくとも私は、私はと言ってはいけない、偉そうになるから・・・ 人間は、(もっと偉そうになってしまった・・・まぁいいか)子供たちを助けたいという思想を持つものでない限り、エライ人間として認められることは無い。断言してもいい。子供たちの命と未来を守りたいと思わないものはエライ人間では無い。

 

誰か反論する者がいるか? いるとしたら名乗り出て欲しい。名乗り出る者がいるだろうか? もし万が一、いや、私は子供たちの命と未来などに興味は無い、という者がいたとしたら・・・

 

その者は大変気の毒な人なのだろう。何故なら、軽蔑の対象でしかなり得ないから。その軽蔑の対象としての候補者が世にゴマンといるのが現在社会だ・・・しかもその候補者が社会を牛耳っている。何とも悲劇的ではないか。私は取りあえず、エライ人間になってやろうと思う。